開会式を見てから、いろいろ思い出すことが多くて困る。
ポールの歌声を聞いてしまったから、しばらくはビートルズのCDを引っ張り出して聞いている。そういう人も多いのではないだろうか。
そのつながりでミックジャガーも聞いてみたり、クイーンのWe Are The Championsなんかもオリンピックにふさわしい歌だなあなんておもいながら聞いてみる。I was born to love you はいい歌だなあ。Freddie Mercuryが亡くなって、衝撃的、随分経つなあとか。
炎のランナー、この映画もあらためてyou tube で見てみたりする。007の歴代のジェームスボンドリストみて懐かしむ。
NHSもあらためて調べてみたりすると新たな発見があり楽しい。
なによりも、ロンドン五輪開会式で連想してyou tube で見るのは、東京オリンピックの開会式の映像である。
それは1964(昭和39)年の東京の姿を垣間見ることができる貴重な映像である。
市川崑監督、富士山の前を聖火ランナーが走るシーンはあまりにも鮮明である。
開会式、整列して、号令がかかり、みな天皇に向かって最敬礼している。
敗戦、焦土と化した東京、19年後、そこでオリンピック開催して、世界に復興を印象づけた。
この前後からミラクル日本の高度経済成長が始まった。
あのころの日本人の顔は愛嬌がある。
戦前期の伝統文化を破壊しつつ高度経済成長を遂げる。その途上の古き良き日本人の精神性がみえる。
あれから、テレビは一家に一台の時代が来て、共同体、集団ではなく個の時代になる。
戦争突入の集団的行動はよくないと否定され、だから個性化した。
たしかに日本人は集団で行動すると思いのほか強く、それが裏目にでるとファッショになり、異なるものを排除し、集団リンチとなるから用心しないといけない。
一家に一台のTV、電話、車、それがいつのまにか一人一台のTV、電話、車、PCにかわり、家族は変容し街も変わる。
その裏返しで孤食、孤独死、一人暮らし、関係性の希薄化・・・
それにしても、1964年開会式のイタリア選手団やフランス選手団のファッションセンスの良さには目をみはる。
東京オリンピックは敗戦日本、空腹に苦しみながら働いてきたそういう日本が自信を取り戻した、取り戻すためにやった最初の大イベントだったのだなあ。
ヘイジュードからの連想、プラハの春、マルタ・クビショバ、チェコの無血革命
「ヘイ・ジュード 革命のシンボルになった名曲」 を参照
http://www.youtube.com/watch?v=OJ3H6Mo8zW8&feature=related
そう考えるとヘイジュードは開会式のフィナーレを飾るにふさわしい曲だったといえるね。
ポールの歌声を聞いてしまったから、しばらくはビートルズのCDを引っ張り出して聞いている。そういう人も多いのではないだろうか。
そのつながりでミックジャガーも聞いてみたり、クイーンのWe Are The Championsなんかもオリンピックにふさわしい歌だなあなんておもいながら聞いてみる。I was born to love you はいい歌だなあ。Freddie Mercuryが亡くなって、衝撃的、随分経つなあとか。
炎のランナー、この映画もあらためてyou tube で見てみたりする。007の歴代のジェームスボンドリストみて懐かしむ。
NHSもあらためて調べてみたりすると新たな発見があり楽しい。
なによりも、ロンドン五輪開会式で連想してyou tube で見るのは、東京オリンピックの開会式の映像である。
それは1964(昭和39)年の東京の姿を垣間見ることができる貴重な映像である。
市川崑監督、富士山の前を聖火ランナーが走るシーンはあまりにも鮮明である。
開会式、整列して、号令がかかり、みな天皇に向かって最敬礼している。
敗戦、焦土と化した東京、19年後、そこでオリンピック開催して、世界に復興を印象づけた。
この前後からミラクル日本の高度経済成長が始まった。
あのころの日本人の顔は愛嬌がある。
戦前期の伝統文化を破壊しつつ高度経済成長を遂げる。その途上の古き良き日本人の精神性がみえる。
あれから、テレビは一家に一台の時代が来て、共同体、集団ではなく個の時代になる。
戦争突入の集団的行動はよくないと否定され、だから個性化した。
たしかに日本人は集団で行動すると思いのほか強く、それが裏目にでるとファッショになり、異なるものを排除し、集団リンチとなるから用心しないといけない。
一家に一台のTV、電話、車、それがいつのまにか一人一台のTV、電話、車、PCにかわり、家族は変容し街も変わる。
その裏返しで孤食、孤独死、一人暮らし、関係性の希薄化・・・
それにしても、1964年開会式のイタリア選手団やフランス選手団のファッションセンスの良さには目をみはる。
東京オリンピックは敗戦日本、空腹に苦しみながら働いてきたそういう日本が自信を取り戻した、取り戻すためにやった最初の大イベントだったのだなあ。
ヘイジュードからの連想、プラハの春、マルタ・クビショバ、チェコの無血革命
「ヘイ・ジュード 革命のシンボルになった名曲」 を参照
http://www.youtube.com/watch?v=OJ3H6Mo8zW8&feature=related
そう考えるとヘイジュードは開会式のフィナーレを飾るにふさわしい曲だったといえるね。