3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ロンドン五輪開会式の波及効果

2012-07-31 09:24:10 | 現代社会論
開会式を見てから、いろいろ思い出すことが多くて困る。

ポールの歌声を聞いてしまったから、しばらくはビートルズのCDを引っ張り出して聞いている。そういう人も多いのではないだろうか。
そのつながりでミックジャガーも聞いてみたり、クイーンのWe Are The Championsなんかもオリンピックにふさわしい歌だなあなんておもいながら聞いてみる。I was born to love you はいい歌だなあ。Freddie Mercuryが亡くなって、衝撃的、随分経つなあとか。
炎のランナー、この映画もあらためてyou tube で見てみたりする。007の歴代のジェームスボンドリストみて懐かしむ。

NHSもあらためて調べてみたりすると新たな発見があり楽しい。

なによりも、ロンドン五輪開会式で連想してyou tube で見るのは、東京オリンピックの開会式の映像である。
それは1964(昭和39)年の東京の姿を垣間見ることができる貴重な映像である。
市川崑監督、富士山の前を聖火ランナーが走るシーンはあまりにも鮮明である。
開会式、整列して、号令がかかり、みな天皇に向かって最敬礼している。
敗戦、焦土と化した東京、19年後、そこでオリンピック開催して、世界に復興を印象づけた。
この前後からミラクル日本の高度経済成長が始まった。

あのころの日本人の顔は愛嬌がある。
戦前期の伝統文化を破壊しつつ高度経済成長を遂げる。その途上の古き良き日本人の精神性がみえる。
あれから、テレビは一家に一台の時代が来て、共同体、集団ではなく個の時代になる。
戦争突入の集団的行動はよくないと否定され、だから個性化した。

たしかに日本人は集団で行動すると思いのほか強く、それが裏目にでるとファッショになり、異なるものを排除し、集団リンチとなるから用心しないといけない。

一家に一台のTV、電話、車、それがいつのまにか一人一台のTV、電話、車、PCにかわり、家族は変容し街も変わる。
その裏返しで孤食、孤独死、一人暮らし、関係性の希薄化・・・


それにしても、1964年開会式のイタリア選手団やフランス選手団のファッションセンスの良さには目をみはる。

東京オリンピックは敗戦日本、空腹に苦しみながら働いてきたそういう日本が自信を取り戻した、取り戻すためにやった最初の大イベントだったのだなあ。


ヘイジュードからの連想、プラハの春、マ­ルタ・クビショバ、チェコの無血革命

「ヘイ・ジュード 革命のシンボルになった名曲」 を参照
http://www.youtube.com/watch?v=OJ3H6Mo8zW8&feature=related

そう考えるとヘイジュードは開会式のフィナーレを飾るにふさわしい曲だったといえるね。




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ロンドンオリンピック開会式を観る

2012-07-30 09:32:10 | 現代社会論
ロンドン五輪の開会式を観た。

良かった。
イギリスがなにを売りにしているかよくわかった。

子どもたちの合唱、牧歌的な緑豊かな島国、
産業革命、鉄道、懸命に働く労働者たち、大量の移民
煙突と煙、これがイギリス産業革命の象徴なのだ。これこそイギリス、ロンドンである。
この煙突が次第に熱い炎の輪となり最後に五輪ができあがる。
このあたりの演出は素晴らしいと思った。

そして、NHS=福祉国家、わかる人にのみウケるNHS、これも世界に先駆けてつくった社会サービスであり、福祉国家のモデルである。

シェークスピアの出番が少なかったのは残念だが
ミスタービーンの炎のランナーには笑った。

007と女王陛下、もっともジェームスボンド(ショーン・コネリーかロジャー・ムア)でないとつまらないが・・・。個人的にはティモシー・ダルトンが好きですが。
River Thamesとベッカム(サッカー)、これもイギリスを代表するものなのだろう。

ロックのところは長すぎて退屈だった。はやくポールが出てこないかと待っていたら出てきた。
70歳のポールがヘイジュードを熱唱していた。

産業革命、福祉国家、007、女王、ビートルズにテムズ川とサッカー・・・、イギリスといえばこれなのだろう。

歴史を全面に出すという発想はよいが、シェークスピアやクラシック音楽などは登場せず、クラシックファンとしては物足りなさを感じたが、総じてよい開会式であったといえるだろう。
ロゲ会長のスピーチも好評であった。

聖火の演出は非常にクオリティの高い品のあるかつ幻想的、感動的であった。これは本当にすばらしい演出であった。
北京やアトランタではこうした演出は絶対にできないような気がする。



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反原発運動で市民意識が盛り上がりっても-エネルギー政策と日本の行く末はどうなるのか

2012-07-27 10:38:15 | 現代社会論
先日のクローズアップ現代は「デモは社会を変えるか」というテーマだった。出演は映画監督の森 達也。

毎週金曜日に国会周辺に市民が集まり、デモり、「再稼働反対!」とシュプレヒコールをあげている。

かつての60年安保、60年代後半の学生運動とは異なり、労働団体や政党には属さない「未組織」の市民が自発的に集まってきているということだった。
子連れの人たちには、ファミリー席らしきものも用意されていて、デモに参加やすくしているそうだ。

森監督の言で気になった部分がある。「大事故や事件のあとに市民は不安をおぼえ、集団行動にでる。たとえば、関東大震災後の朝鮮人虐殺など・・・」

もし、大事故、フクシマの問題、のあとの不安が、集団化を促し、集団行動に出ているとすると危ない。
エネルギー政策は経済と連動しているから、単に「再稼働反対」を唱えるだけでは意味がない。反対の先の政策、生活の青写真を出せるかにかかっている。

原子力15%というB案にすると、それは、新しい原発1.2基つくることを前提にしているようだ。
それでも、2030年のGDPは、-5兆円、CO2の排出を考慮すると-25兆円となるという試算がある。次のサイト参照のこと。
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/23th/23-2-2.pdf


マイナス25兆円が本当なら大変ことなのではないか。
東日本大震災の経済的損失は16兆円といわれているから、それ以上の損失である。

国家予算のうち、社会保障費は28兆円(2011年度)だから、まるごと社会保障費が失われるくらいの損失である。
15%でもこの損失。

再稼働反対はだれもそう思うが、それでも、経済的損失についても冷静に考え判断しなければならない。
日本は苦渋の選択を迫られているのだ。
ことは重大なのだ。
再稼働反対で市民意識がもりあがっていると喜んでいる場合ではないのではないだろうか。


高い技術力、額に汗して築いたものつくり日本、少子化で労働力低下、2030年にはローマ帝国のように滅びるしかないのだろうか。



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スカイツリーの周辺-まちの再生はなるか

2012-07-25 09:34:08 | 現代社会論
←スカイツリーのてっぺん

スカイツリーは連日大盛況のようである。
その周辺はどうなっているのだろうか。周辺の街は活性化しているのだろうか?

どうも貧相である。
スカイツリーとソラマチとよばれる商業施設はたくさんの観光客でごった返している。
しかし、一歩外にでるとなんだか別世界。
おなじようにキラキラしなくてもよいだろうが、墨田区ならではのあたたかい街づくりはもっとできるのではないだろうか。そこまでまだ回っていないようだ。

スカイツリーの周りに芝生もなければベンチも少なく、寝転んでスカイツリー、というようなことができないところは残念である。夏場は別として屋外が気持ちの良い季節になれば、家族づれでスカイツリーをみながらお弁当を食べるというようなことができればすばらしいだろうに。

商業施設の飲食店は大繁盛で長蛇の列でもうかってよいだろうが、押上から浅草までのぶらぶら歩く遊歩道などがあれば、多くの来場者を地域に拡散できる。その途中でカフェや地元の飲食店などがあれば繁盛するのになあ。

谷根千のような地味でも暖かい街づくりをめざそう。
スカイツリーで人はどんどんやってくる。街はどんどん進化できるのだ。実験場だと思って思い切りやってみたらいいのにね。

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日本の女子力は勘違いである。

2012-07-23 11:01:45 | 女性の地位
今朝の日経に「女子力」の国際比較で日本はワースト2だという記事が載っていた。
そうだろうよ。一部の優良な企業や役所を除けば、それが普通だと思う。
どうしようもないおじさんが管理職でふんぞり返っていて優秀な女性が係長ぐらいでとまっているというのがよくある風景。
どうしようもない無能なおじさんなんかが管理職やっているからロクでもない会社になって、国際競争力どころではない。


筆者は女性の力を企業にもっと、と日頃から思っている。女子力という言葉をどのような文脈でつかっているのか調べてみたら、驚いた。
女子力とは、巷では、会社などで、メイクがうまくて男に気に入られるような性格であることをさすらしい。

なんとあほらしい。男も男なら女も女である。

世界では、女性をまともな労働力として評価しない国は経済成長しないというのが常識になっている。

化粧がうまくて男に気に入られるのが女子力など、のんきなことをいっているから日本は世界から取り残されるのだ。

労働市場における本当の女子力を上げる政策こそが必要とされている。

男性が12時間働くところを8時間にして、女性3時間のパートを7時間の正規社員にする。そうやって男女のワークシェアリングをしよう。

保育や介護分野は常時人手不足であるのだから、働き口は沢山ある。グリーン経済にシフトするのだから、環境などの分野も雇用拡大させ、地域密着型の社会的企業などを育てよう。

正規社員若夫婦を沢山つくる。コンパクトシティにして職住接近にして子育てがやりやすい環境にする。男性は家庭に帰れ!女性はもっと働け!社会はそういう家族・都市政策を第一政策課題とせよ!そうすれば少子化、高齢化、エネルギー政策、うまくゆくと思うよ。
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