3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

晩婚化時代の処方箋 朝日ニュースター

2012-12-31 17:32:48 | 現代社会論
年末大掃除の合間に、久しぶりに朝日ニュースターを見た。
晩婚化時代の処方箋というタイトルで、結婚相談所を始めた人がでて、あれこれ話していた。
キャスターはこれが経済学者?といううようなレベルの駒沢大学の教員で、期待通りのつまらぬ番組内容と展開であった。

80年代は女性のが結婚相手に望むのは三高(高学歴・高収入・高身長)だったそうだ。
バブル崩壊後は、3C、つまり、
・comfortable――「快適な」だが、意訳すると「充分な給料」。今の生活水準を落とさないで、子育てができる程度。一般に年収700万円以上。
・communicative――「理解しあえる」だが、意訳すると「階層が同じかちょっと上」。価値観やライフスタイルが一緒。
・cooperative――「協調的な」だが、 意訳すると「家事をすすんでやってくれる」。
だそうである。


今は3k(価値観が合う・金銭感覚が一致・雇用形態が安定)だとか。

まあ、どうでもいいようなテーマであるが、

80年代の三高というのは、80年代にそれなりのレベルの大学に通う女子大生あるいは、そういう大卒女子があげる結婚相手に望む条件だったように思う。有名女子大を卒業して有名な商社などに腰掛けで就職し、3年ぐらいのうちに東大や一橋あたりを卒業した背の高いイケメンと結婚し、海外赴任するというのが巷に転がっているようなよくある話だった。そして多くの男女はお見合いで結婚した時代。配偶者選びにおいて、恋愛結婚はマイナーであった。親が喜ぶお見合いの条件として、三高なのだろう。

均等法時代にはいると、女性たちも寿退社などするのはだんだんはばかられる時代になり、痩せても枯れても働き続けるというガンバリズムの女性たちも出現した。彼女たちは、自分でも稼ぐので快適な共働きができる相手を望むようになったのかもしれない。で、3C。

最近はどうなのか、相手に出世や世のためになるような仕事を望むというより、一緒にいて疲れない背伸びしなくてもするような相手を望むようになったのかもしれない。公務員などで安定した収入などが人気らしい。自分で稼いで男を食べさせてやるというような気概のある配偶者選びではないらしい。

最近の若いものは、格差社会を反映して、同じような階層に属し、生活レベルも同じ人、で、なんとか安定した仕事があればよし、と、考えているのかもしれない。

階層社会では、同一階層内での結婚が当然ながら主流となる。階層移動は好まないのだろうし、現実としてできにくい。異なる階層の人と交わることが少なくなる。ソーシャルネットワークは拡大しているものの、それは、特定の社会集団内の出来事となりつつあるのである。
配偶者選びは生活意識、価値が同じでないと破綻しやすい。同じものを良いと感じる人でないと長続きしないものである。
子どもの頃からクラシックと文学を好み、あるいは、海外生活の経験が豊富で世界の歴史や文化に精通しているような家族の中で育ったものが、家族内でもそういう話題しかしないような人間が、いきなり浪花節の世界にはいってしまったら互いに不幸になるに決まっている。どちらかが強いストレスを感じてしまうだろう。

恋愛は情熱だが、結婚は生活であるから、配偶者選びは実は、とても大変なことなのであり、文化の問題なのであり、男女の性が絡むセンシイティブなものなのである。




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NHK そこが知りたい!「新政権で日本はどう変わるのか」第3部エネルギー編

2012-12-31 16:34:29 | 環境問題
先日のNHKの解説委員総出の番組、そこが知りたい、の第三部は、エネルギー政策についてであった。
水野解説委員は脱原発派であり、現実派の嶋津八生は現状維持、二人は対立していた。

フクシマの再生なくして日本の再生はない、これはただしい。
しかし、だからといって再生エネルギー(太陽や風力など)が安定的にすぐ供給されるかというとそれは無理である。
現実に日本の基幹産業がどのように動いているのか、それがイメージできない人は多分、脱原発をいうのだろう。
しかし、経済の実情、産業の動きを現実に知っているものは、どうしても、脱原発では日本の経済は冷え込むことが見えるのでどうしてもそこにはシフトしない。

NHKの解説委員だけでなく、学識経験者のなかも、経済効率性をどうとらえるか、フクシマの再生をどう日本の経済成長とかかわらせてみるか、そのスタンスによって分かれる。

人間にはウエットな人種とドライな人種がいる。効率性を重視する人種と効率性より自然や人の地味な暮らしに心を動かされる人種がいる。
どちらが正しいということは言えない。

であるから、このエネルギー政策をめぐっては延々と議論が続くのである。
経済合理性をもって、ある程度は切り捨てざるを得ないと考えるか、とことん、自然回帰にシフトするか。
経済がガタガタになっても安全をとるか、危険と背中合わせであっても、いまの生活水準を維持する生き方をとるか。

ペルシャ湾が封鎖されて日本に原油が入ってこなくなるとか、アジアのなかの中国や韓国、北朝鮮などとの戦略的な視点からとか、たしかにあらゆるリスクを想定しながら、そろりそろりと日本のエネルギー政策を決めていくしかないのだろう。

結局、原発は維持されると思う。同時に再生エネルギーの開発と実用化は一挙に進むとも思う。

人口減少時代だから電気がいらないというのは嘘だろう。
人口減少で労働力が減るのだから、その減った分は機械で代替するしかなくなる。今よりもっと電気が必要になるだろう。
病院だって人を減らし、その代わり様々なセンサーを使って、患者を見守るしかなくなってきている。
高齢者がガスや石油ストーブを使うのは危険なので、やはり、電気の冷暖房や調理器具・・・を使うことになっている。

風力発電といっても風力発電のはねは鋼だ。あれを作るために大量の電気が必要である。
あれこれ考えれば考えるほど、日本は原子力に依存しなければやっていけないような要素が多すぎる。

そこを正面から見据えてデータを上げながらオープンな議論をする必要があるだろう。
NHKの解説委員は、学者ではないので、研究成果を下に議論するというところが少し弱い。
この手の議論には、もっともっと実証的な研究データが必要なのだ。

TVや新聞のメディアの人間は表面的な情報をかき集めて勝手に世論をつくるという悪弊があるので、注意が必要である。
エネルギー政策の難しいところは、その日の気分で議論できないところである。専門家、これも信用が失われているようだがそれでもなお、やはり、関連の専門知識をもつ専門家の見識がやはり必要なのである。素人があれこれ言っても始まらないのがこの問題の難しいところである。冷静な議論を専門知識の粋を集めてすべきなのである。

追伸

それにしても、エネルギー政策になったら、解説委員は全員男だった。
第二部のくらしの問題のときは結構女性の解説委員がいたのだが。
やはり、女はエネルギー政策は冷静に語れないのだろうか。
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NHK そこが知りたい!「新政権で日本はどう変わるのか」

2012-12-30 17:56:35 | 現代社会論
昨夜は、NHKのそこが知りたい!「新政権で日本はどう変わるのか」を夜中に見た。といっても長い番組なので、途中から録画して今朝、年末大掃除をしながら、見た。第三部は夕飯を食べながらみることに。

レンジをゴシゴシやりながらなので、真面目にはみていないのだが、第一部新政権で何が変わるのか、で主に政治・外交と経済政策、第二部は社会保障政策についてNHKの解説委員が雛段に並び、あれこれ発言して議論する。朝まで生TVをNHKが解説委員でやるという番組で結構楽しめた。解説委員がこんなにいるとは、たしかに皆解説番組などで見ている人たちで馴染みがあっておもしろい。それに、変な社会学者?もどきのようなコメンテーターが出てくるおなじNHKの番組より、よっぽどまともであった。いつもこれでいいではないか、と思う。夏の参議院選用のリップサービスに惑わされないようにしなければならない。

新政権と日銀のせめぎ合いも厳しいものがある。
マクロ経済は一般人にはわかりにくいものであるので、簡単に理解されないと思う。ここが問題である。

増税をする。加えて、どうしても、社会保障の費用をスリム化するしかないだろう。その際、社会保障の恩恵、たとえば、介護保険サービスを広く薄く供給する。そして、機能低下は徹底的に防止する必要があるだろう。社会保障費用を削減するという論議をするとゼロか1の話になってしまう。社会保障は広く薄くがよいのだ。介護保険を利用するか否かではなく、軽いサービスを多くの人が利用し、そして、それが重篤化を防止するのだから。それがひいては、社会保障を持続可能にすることにつながるのである。

間違っても家族介護を前提に、それができなくなったら社会サービスに、というような発想になっては絶対にだめだ。安倍みたいな保守派はそう言いそうで今から気が重い。
多くの人が広く薄く利用することによって、家族介護の破綻をできるだけ防ぐ、それが重要なことなのである。


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インドの女性蔑視は許せない

2012-12-29 19:49:22 | 女性の地位
朝日新聞が報じている。

インドで増え続ける強姦(ごうかん)事件が社会問題化し、女性の安全確保を求める声が高まっている。厳罰化を求める若者らはデモを続けて警官隊とぶつかる。女性蔑視の風潮のもと、警察に侮辱された女性が自殺する事件も起きた。政府や警察にも向けられた怒りはおさまりそうにない。学生らは連日、「レイプ犯に死を」などと抗議を続けた。22、23両日にはデモ隊と警察が衝突。警官1人が死亡、200人以上が負傷した。

インドは女性蔑視がひどい。警官も侮辱された女性に男との結婚を迫るというようなことが起きている。
なんとひどいこと。

レイプ犯には死を、当然である。

人生がみちゃくちゃになってしまう。
性は人権である。
蹂躙することは許されず、罪を犯したものは厳罰に処すべし。

男社会は男に甘い。
だからいつまでたっても厳罰化が実現しない。
インドばかりでなく、世界の女性は厳罰化のために立ち上がるべきである。
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2012年を振り返る

2012-12-29 14:36:24 | 日記
早いものでもう年の瀬である。
2012年も12月29日、今年も暮れようとしている。

今年はよく仕事をした。
3月から毎月のように11月末にいたるまで、締め切りがあり、神経が磨り減った。
その合間に、3月上旬、10月上旬、12月上旬に大きなイベントがあり、その重たい責任に押しつぶされそうになりつつ、さらに込み入った資料の作成が6月から11月末にかけて間断なくあり、気の休まる時がなかった。
今年度から加わったある仕事、これが非常に骨の折れる責任がみちゃくちゃ重い仕事なので、始終胃痛に悩まされている。

12月の22日あたりからやっと休みがとれるようになったが、それまでは土日もなく働いたように思う。
22日23日と眠りこけていた。その後、勝手に休暇をとり、家でDVD三昧、といっても「戦場のアリア」「映像の20世紀」「ラベンダーの咲く庭で」「八月の鯨」を見た程度であるが。

「戦場のアリア」をみて、WW1についてもう少し見てみようとおもって、「映像の20世紀」第2集を見て、それから、戦場のアリアで熱演をしていたダニエル・ブルールがでているDVD「ラベンダー・・・」を見て、老いるというテーマについて考えさせられ、八月の鯨を見たという流れである。

25日は歌の練習、ピアニストとの合わせ。
美しいピアノに合わせて歌うのは歌手冥利に尽きる。

ピアノは弾くものの解釈と歌手の解釈がピタとあったときに傑作、素晴らしいパーフォーマンスとなるのだなあとつくづく思う。
歌手だけでもピアニストだけでもだめなのだ。
そいういう意味では、今回のピアニストはすばらしい!
いつまでもその人の伴奏で歌っていたい気持ちになってしまう。

レイ・オヴェ・アンスネスかマルコム・マルティノーか、M氏かというくらいステキなピアノの音色である。
来年新年早々、M氏の伴奏で歌うことになっている。ウキウキしてしまう。

ということで、2012年は過労死しそうなくらい働いたが、最後は美しいピアノの伴奏で歌うことができて幸せであった。


Malcolm Martineau


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