3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ディスカウ『シューベルトを歌う』―リートは心で歌うのだ

2012-01-30 10:12:39 | 音楽ノート
この間、偶然 デイスカウが講師をしているNHK趣味百科のテキスト『シューベルトを歌う』を入手した。
これは、1997年のNHK教育TVの番組のテキスト。

シューベルトの3大歌曲からそれぞれいくつかの曲、加えて、湖上で、糸を紡ぐグレートヒェン、野ばらやます、魔王が取り上げられている。
楽譜に、「時間をかけて丁寧」にとか、「この言葉が浮かび上がるように」とコメントが書き込まれていて、大変参考になる。

最後のほうに、米山文明氏のエッセイ『ドイツリートと私の診た名歌手たち』が掲載されていて、これも大変参考になる。
リートを歌う心構えとしてシュワルツコップの名言を引きながら「リート一曲を歌うことはオペラ全曲をうたうのと同じ位の内容をもっていなければいけない」
「リートを一曲歌い終わった後、歌う前と後では人格が変わっていなければならない」とのことである。

リートは心で歌うのだなあとつくづく思う。
心のない演奏は空虚、いかに美声であっても高い技術があっても空虚であってはならない。
米山氏は最後のところで、次のように述べている。
「いかに美声でも、歌唱技術がいかにうまくても、心のない演奏は空虚である。これを支えるのは歌う人であり、蓄積された教養である。」

若く肺活量豊かで、技術的にすぐれた歌手でも、やはり中身がないと薄っぺらにどうしても聴こえてしまう。

リートは年を重ねる度に上手くなっていくように思う。リートは60過ぎなければ本当のところ歌えないような気がしてくる。

NHK教育はこのようなすばらしい番組をもっと世に送り出してほしい。
Eテレなんていわなくて教育TVでいいのにねえ。
だれもお高く止まっているなんて思っていない。
教養は高いところにいつもあるものだからね。
アイドルなんて起用しなくていいんですよ。
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第3号被保険者問題を考える

2012-01-29 17:01:13 | 現代社会論

1月23日の毎日新聞(夕刊)

年金学者の山崎泰彦氏が専業主婦の年金の切り替え漏れに関する調査を実施したところ、切り替え手続きを故意にやらなかったということが明らかになったことが報じられていた。
サラリーマンの夫が定年になるとそれまで払っていなかった国民年金の保険料を専業主婦も払わなければならなくなる。なぜなら、夫が厚生年金から脱退するからである。健康保険はちゃんと切り替え手続きをしているようで、国民年金のほうが、知っていたが、放置しているというケースが多いということ。サラリーマンの夫、高額な所得であればあるほど、専業主婦は年金の切り替えなど必要とはしない。払い損と思うのだろう。しかし、こうやって国民年金制度の根幹である保険料収入が縮小していくことを考えると、この主婦感覚というものはなんとかならないかと思う。自分さえよければというのはよくない。結局、夫が現役時からきちんと専業主婦も保険料を払っていればこういう齟齬は生じないのであるから、なんとも第3号の制度は矛盾に満ちたものである。

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国民年金:3号被保険者切り替え漏れ 専業主婦年金、大半故意か 「自治体要請応じず」7割


 ◇横須賀など3市1148人 神奈川保健福祉大名誉教授が調査

 専業主婦らの年金切り替え漏れ問題で、大半が意図的に切り替え手続きをしていなかった可能性の高いことが、神奈川県立保健福祉大の山崎泰彦名誉教授の調査で分かった。調査対象の約7割が地方自治体の手続き要請に応じず、自治体側が強制的に切り替えていた。年金の切り替えと同時に必要となる国民健康保険(国保)への加入手続きだけをした人も少なくなく、山崎氏は「意図的な保険料回避ではないか」と指摘する。

 サラリーマンの夫の扶養を受ける妻ら第3号被保険者は、保険料を払わなくても基礎年金を受け取れるが、夫の退職時には市町村で国民年金の1号被保険者に切り替える手続きをし、月額1万5020円の保険料(11年度)を納める必要がある。手続きをしないまま老後を迎え、本来より多い年金を受け取っている人は厚生労働省推計で5・3万人に上る。

 この問題に関する厚労省の検証会議委員を務めた山崎氏は岐阜、神戸、神奈川県横須賀の3市に依頼し、過去2年間に漏れのあった1148人を調査。市が手続きを促す「勧奨」で切り替えた人は岐阜市で10・3%、神戸市で23・4%、横須賀市で26・9%。一方、市による強制措置「職権適用」で切り替えた人は岐阜市72・2%、神戸市68・3%、横須賀市73・1%と7割前後を占めた。

 夫の退職に伴い、3号の妻は医療保険も市町村の国保へ切り替える必要が生じるが、岐阜市では41・4%、神戸市で18・4%、横須賀市で23・1%が国保の加入手続きだけをしていた。3市を含む多くの自治体では国保と国民年金の手続きを複写式の用紙で一括して行う形にしており、国保加入の用紙だけを意図的に提出する人が一定の割合でいることがうかがわれる。
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パート、非正規の短時間労働者への厚生年金適用拡大しても第3号問題の解決は無理だろう

2012-01-27 11:19:50 | 現代社会論
厚労省は、26日、労働時間週20ー30時間のパートなどの非正規短時間労働者への厚生年金と健康保険の拡大を固めたとのこと。

当面は、年収80万円以上で従業員300人超規模の大企業で働く人を対象とするという。これで100万人が新たに加入することになるという。
その後、段階的に100人規模の企業に拡大で50万人が新加入。最終的には370万人に適用することを目指す。そうやって「第3号被保険者」を減らそうとしているのか。
しかし、所謂第3号の数は、平成21年度厚生年金保険・国民年金事業の概況によれば、1021万人である。少しづつ現象しているとはいえ1000万人を超える数がいるのだ。そのほんの一部に保険料をかしても、根本的な問題解決にはならない。3号問題は、この1000万人の未払いにもかかわらず国民年金を受給する人々がいることが問題なのだから。

しかも、この対象拡大は、パートを多く抱える流通業界から反発をくらうことが予想されている。法案が成立する見通しはたっていない。ますます、年金制度は混迷していく。

報道ステーションで、年金について古館が取り上げていた。
年代順に男性が並んで、受給額と支払額の違いを示し、若い世代は払い損であることをことさらに強調していた。
これには違和感を感じぜずにいられない。

年金制度の根幹を理解していない。
年金制度には、積立方式と賦課方式とがある。
積立方式とは若い現役時代に払い込んだ金を積み立て、老後にそのお金を受け取る仕組みである。
賦課方式とは、働く現在現役の人が払い込んだ金を現在の高齢者に支給する仕組みであり、「世代間扶養」という考え方である。
今の国民年金は賦課方式であるから、払い込んだ分が返ってくるとか、払い損というような発想はそもそも間違いなのである。積立方式のような民間の私保険とは基本的に考え方が異なるのである。
にもかかわらず、若年世代は損だとか、まったくもって議論、批判の前提がおかしい。これは単に無知である。

第3号のようなエレギュラーな制度をまず止め、シンプルにしよう。
国民年金は老後や障害を得た時の生活保障である。その時々で制度を維持し、高齢者の方々や障害をもつ人々の最低生活を保障するためにわれわれ現役世代はがんばるしかない。
払った分だけ戻ってくるという反対給付ではないのだ。社会保障制度なのだからそこの理解があまりにも浅い。

高額年金受給者にはそれなりの税をかければよいのである。とはいえ、高齢期になれば疾病障害のリスクは高まり医療費もかさむ。働くばは狭まり年金依存度は高くなるので、結局、それなりの額の年金が必要になるのは仕方ないことである。年金制度を痩せ衰えさせ、文明国日本で高齢者の行き倒れを出すようなことになってはいけない。持続可能な年金制度を知恵を出し合って編み出さなければならない。今が正念場なのだ。
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田中正造と南方熊楠

2012-01-24 09:06:26 | 環境問題
日本人は何を考えてきたか、というNHKのシリーズ(Eテレ)、NHKの劣化を防ぐ希少価値の番組。
22日は田中正造と南方熊楠をとりあげていた。

谷中学、水俣学・・これらは、被害民当事者に徹底的に寄り添うという思想であり、そこからモノを考えることの重要性を説く学問の手法である。

多くの若者が、「銅山観光」に行って現地にはいってそこから物を考えてほしい。
3.11以後の日本のゆく道が見えてくるはずである。

西島秀俊の採用はナイスである。
もっとも知的でイケメンな俳優の一人だから。
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均等法世代と更年期

2012-01-23 11:06:28 | 女性の地位
アエラの吊り広告に「均等法世代と更年期」があった。

均等法25年、大卒で会社に入って、快進撃を続けてきた均等法世代も、「更年期」にさしかかり、くたびれてきたということなのだろう。

しかし、多様な女性労働者を年齢だけで、しかも、「更年期」という枠組みで解釈をしようとすることがすでに差別的であると思う。

均等法世代は、時代を切り開いてきた女性たちで、有能な人が多い。世界を見、一流と仕事をし、今やトップを実質的に支える女性たちが多いと思う。

重責を担うという点では男女も関係ない。
無能な部下には、たまには厳しく対応することもあるだろう。責任ある立場なら男性だってそうだ。
しかし、悲しいことに日本の職場はまだまだそういう厳しい女性管理職を受け入れる体制が出来ていないのである。

女性管理職の厳しさを、女性はいつでも穏やかで受容的でなければならないのに、これがすでに終わっている職場だとおもうが、厳しいのはおかしい、「更年期障害」ではないか、といって片付けようとするのは、男性優位社会の反映以外のなにものでもない。

厳しかったり、感情的だったりする男性(上司)は、いつでもどこでもいる。
それが女性だと「更年期」しかも「障害」と十把一絡げにすることこそ、そうやって排除することこそ社会的構造的女性差別そのものである。

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