3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

伊勢志摩サミット

2016-05-30 11:51:22 | 日記
伊勢志摩サミットが終わって、各国の首脳も帰路についた。

テロもなく、大韓航空のエンジントラブルが羽田空港であったが、とりあえず終了。

このサミットがもし成功したというなら、オバマ大統領が広島を訪問し核なき世界のスピーチをしたことである。
謝罪がないとか、いろいろ言われているが、私は、とにかく、広島の原爆ドームの前でのスピーチ、献花、原爆資料館に短時間とはいえ入館したことは戦後の日本の歴史的出来事に違いないのではないかと思う。
71年前の戦争について、時を経て、次第に風化していて残念である、生き残った人も少なくなっている。歴史認識も時代を経て変節しているが、それでも、広島は人類がこれから追求すべき最大のテーマである「核なき世界」を考えるために必須の場所である。
世界に発信する場としてこれほど意味のある効果的な場所はないのであるから、アメリカ大統領が訪問したのは大いに意義があり、高く評価したいのである。

広島はいいとして、安部首相のG7での行動は最悪であった。
なにが、リーマンショック以前に状況に似ている?馬鹿言ってんじゃないよと、メルクルがすぐに反対を示したらしいが、当たり前である。
消費税の延期というアリバイ作りにG7をつかわれちゃあ困るんだわとメルクルさんもキャメロンもおもっただろう。

各国の首脳に比して、中身のなさと言ったらありゃしないわが社の社長。
カナダのあんちゃんもひどいが。

というわけで、伊勢志摩サミットは無事に終わったがオバマの広島訪問以外はなんの成果もなくである。むしろ、安部がG7の国々からあまりに浅はかなやり方と馬鹿にされてしまった、その中身のないことが露呈してしまったことは誠に恥ずかしいという限りである。

伊勢志摩の地元の人は少しは景気がよくなったのだろうか。
真珠のブローチなどは商売っ気が強くて、見ていて痛々しい。

もう少し品のあるやり方はなかったのか。

伊勢志摩のエンブレム?もちっともよくなくて、ごめんね、かわいくないよね。
でも、この旗のデザインはとても良いと思った。まったくお騒がせのサミットであった。

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1959年小津安二郎「お早う」

2016-05-04 14:19:00 | TVノート
先日、小津の映画をNHKでみた。

原節子などは出ていない。
原節子、秋日和をみたが、白いマニュキュアがどぎつく、ちっともキレイとも思えなかった。

お早うは子役がよいので、とにかく、面白い。

高度経済成長がはじまるときの日本の風景

東京の郊外、八丁縄手あたりらしい

郊外に団地と一戸建てが建つころの話。
土手の下の一戸建て群。洗濯物がはためく。
少子化はすでにはじまっていて子どもは、一人か二人になっている。
サラリーマンのお父さんと専業主婦のお母さん、子ども二人。
お父さんの妹が同居していて、働いている。高度経済成長スタートの前夜。

醤油やビールの貸し借り、お勝手から奥さんたちが出入りしていて、鍵なんかかけていない時代の話。
地域の相互扶助が成り立っている。プライバシーはないけれど。

お父さんは笠 智衆、お母さんは三宅邦子
隣のお父さんは東野栄次郎。

テレビを買ってくれと子どもがねだる
笠 智衆のいえ、電気炊飯器はあるが、テレビはない。
おとなりの杉村春子のうちは洗濯機がある。月賦でかったとか。

父親の権威は次第に失墜し、電気製品が家庭に入ってきて、主婦の仕事は楽になった時代である。
学校の先生もやさしい。給食費がはらっていないということで家庭訪問をしていた。

小津はこれでなにをつたえたかったのか。

東野栄次郎が定年をむかえ、再就職先を探している。
しみじみと赤ちょうちんでつぶやく。
一色懸命は働いても定年をむかえればおしまい。会社なんてつめたいもんです・・・。

少子化と定年と専業主婦の話。電化製品が普及して大きな生活の変動があった時代。
でも、まだ、ご近所のつながりが深くて、子どもは素直。テレビのある家に集まってみている。ほほえましい。
テレビを街頭で見ていた時代から個人の家に入り込んでくる変わり目の時代。

日本の夫婦、家族、地域、社会の在り方がおおきく変わる変革期だったんだなあとしみじみと思うのである。
1959年の日本、あれから幾年立ったのだろう。
あのころの子どもたちも今は還暦をとうに過ぎ、あの時のお父さんたちは、もうなくなったのだろうか。

三宅邦子のおかあさんが実に良い味を出していた。サラリーマンの奥さん、女学校か女子大出の雰囲気である。
久我美子と佐田啓二の若々しいカップルもみていてすがすがしい。

あの頃のまま、とまってしたら、どんな日本になっていたのだろう。
高度成長がもしなかったら、別の日本もあり得たのではないだろうか。
とふと思ってしまう。

あれから、狂乱的な大量生産大量消費の時代に入り、我々の心は荒んでいく。
共同作業より一人勝ちをよしとする時代。
なによりももうけ。
嫌な世の中になったものである。

もう一度1959年に戻ってみたいのである。








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2016年GWの過ごしかたールーフバルコニーの草花の話

2016-05-04 12:58:10 | 日記
仕事の雑用、掃除、衣替えをしている。毛布やひざ掛け、フリーズをしまって、夏用のベッドパットにした。
クーラーと送風機も始動してみた。

2年前のGWに引っ越して、3回目のGWである。
そのころはルーフバルコニーにはトネリコとアジサイぐらいしかなかったが、今はずいぶん草花が増えた。

四季折々の草花が茂っている。

庭というのは住んでいる人の個性がでるものである。
知らず知らずのうちに買い集め、だめになってしまったものなどもあるが、私の個性が発揮されているように思う。

ゼラニウムやミニバラ、ダリアなどもあるが、それは例外で基本的には日本的な庭にできあがった。
冬の終わりに椿がさく、早春は梅、続いて花海棠、かわいい花が鈴なりに咲く。
その後、小手毬が白い花をさかせ、その白さは夜ほど美しい。

GWのころはミニバラが満開だ。羽衣ジャスミンが白い花を咲かせ、香りがリビングの中まで漂う。
そうこうしているうちにアジサイがつぼみをつける。
梅雨のころはアジサイが咲く。
ピンク、白、青の豪華なアジサイもあるが、おたふくというアジサイは可憐で地味だが好きな花だ。
白いアジサイも美しい。白いアジサイは弱弱しくもあるが、これでなかなかタフな花で、雨風にもやられずすくっといつまでも咲いている。

その後、桔梗、真夏はスイレンが涼やかに咲く。
桔梗というのは強靭である。昨年、すっかり枯れてもう来年はないと思って放っておいたら、春になって、雑草の間から、小さな芽。いまごろになって、どんどん成長し、夏になれば美しい紫の花をつけてくれそうだ。
わすれていただけに桔梗の強さに圧倒され、忘れていたことを詫びたくなる。

秋は菊、イロハモミジが赤く染まり、落葉。
そして菊の季節がおわるころ遅咲きのダリアが咲くという順番である。
そうそう、このお正月に猫柳を飾ったのだが、それを適当に植木鉢にさして置いたら、根付いた。だから、来年は猫柳も我が家の庭に銀色の美しい実をつけて楽しませてくれそうなのだ。

ダリア(皇帝)は日本式の我が家の庭には似合わないのだが、主張しすぎなので、それでもなんとなく遅咲きというところが気に入って育てている。
リヒャルトシュトラウスの歌曲にダリアというのがあって、他の花はみんな枯れてしまったのになぜ今咲くのだダリアよ。遅咲きの花~♪というのがあって、好んで歌っているので、ダリアを育ててみたいと思ったのである。

ダリアも強靭だ。霜にやられてもうだめかと思ったら、新しい芽が出てきてぐんぐん伸びている。
そして、椿が大きなつぼみをつけるころ、冬到来となる。

料理用のイタリアンパセリ、パセリ、ローズマリーは年中お世話になっている。
イタリアンパセリは、鶏肉の香草焼きや白ソーセージをゆでるときに重宝である。すごくおいしいのである。

そうそうアララギと蛇香草というのもある。端っこに追いやられているので忘れていたが、アララギは歌心をそそられると思って育てている。

常緑樹のトネリコは夏はさらさらと涼しさを庭にもたらしてくれる。
夏のモミジは生命を感じる。青々として庭はイキイキとする。台風の時は大変だろうが。

こうしてみるとまるまる2年の間にずいぶん、庭が充実したように思う。
年を重ねて世話ができなくなったらどうしようかとも思うが、そうなったら、知り合いの花屋さんに引き取ってもらおうと思っている。

子どものころを思い出すと庭の木々の間でよく遊んだことを思い出す。
母と歌いながら花を摘んだ。その時も小手毬があったことを思い出す。

どんなときでも庭は人の心を和ませる。
庭のある風景に人は心癒されるのである。




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熊本被災地支援:雨水の利用

2016-05-04 12:52:52 | 現代社会論
すでにやっているかもしれないが、被災地支援のひとつに雨水の利用促進がある。
雨になる、被災地は大変なのだろうが、雨水確保という視点からみれば、好機である。
雨を集めてトイレの水ぐらいはできるし、配給の水は限られているから雨水をためて濾過すればなんとかなる。すくなくともペットの水ぐらいは確保できるだろう。

我が家も樋を加工して雨水をあつめるしくみを導入しようと思うのである。
小さな池の水は少なくてトイレの水ぐらいにはなるだろうが、もっとたくさん集めておけば、日ごろの庭の水やりにも役立つ
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保育士の賃金について

2016-05-04 11:58:43 | 現代社会論
 2016.5.3
「保育士の給料」はいったいどれだけ安いのか 月給6000円増だけでは働く魅力を増さない
東洋経済オンライン東洋経済オンライン 榊 裕葵

非常にわかりやすいので転記

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政府は重要政策の一つとして掲げる「待機児童ゼロ」の実現に向けて、保育士の待遇改善を打ち出した。安倍晋三首相は4月26日、「1億総活躍国民会議」の中で2017年度から保育士の月給を2%増に当たる約6000円引き上げる方針を表明した。介護士についても同1万円の昇給を図るようだ。
 「保育士の賃金は安すぎる」とはこれまで一般的に指摘されてきたことだ。実際のところはどうなのだろうか。保育士の給料は全国平均で年収323.3万円(平均年齢35.0歳)と、全産業平均の489.2万円(同42.3歳)に比べて確かに高くはない(平成27年度 賃金構造基本統計調査)。というよりも、明らかに「安い」といえる水準だ。
 一方で、保育士すべての給料が安いかというと、そうでもない。保育所には運営主体によって、地方公共団体が運営する公立保育所と、社会福祉法人や株式会社が運営する私立保育所がある。公立保育所に勤める、いわゆる公務員保育士なら話は別だ。
 東京都練馬区を例に挙げよう。同区が運営する保育所に勤める保育士の平均年収は539.1万円(平成27年度 練馬区人事行政の運営等の状況の公表)。平均年齢が44.0歳ということを考慮しても、全産業の平均給料よりも高い。
 つまり保育士の給料は官民格差が大きい。公務員保育士は勤続年数に応じた昇給のほか、水準としても平均的な公務員と同程度の収入が確約される。そのため、公立保育所の保育士採用試験には応募が殺到し、自治体によって倍率は数倍から10倍を超えることも珍しくないようだ。
 逆に、なぜ私立保育所の保育士の賃金は低いのか。
 私立保育所の求人をいくつか眺めてみると、正社員の初任給は20万円前後で募集している保育所が多いことがわかる。初任給20万円というと、多くの業種における大卒新入社員の初任給とそんなに大差はない。
 問題はそこからの昇給幅の少なさである。保育士全体の平均年齢35.0歳に対し、平均月給は21.9万円。35歳の保育士なら少なくとも10年以上の経験があるはずなのに、初任給からほぼ昇給していない計算となる。
 これは私立保育所の収益構造によるところが大きい。私立保育所は、認可保育所と認可外保育所に分かれている(公立保育所も「認可」「認可外」の区分においては、認可保育所の一種であるが、人件費の考え方が違うので、ここでは除外する)。
 私立の認可保育所は、施設や職員数などにおいて国の設置基準を満たし、公費により運営される保育所である。市区町村が一括して集めた保育料に税金を足して認可保育所運営のための原資とし、各認可保育所に運営費として分配する。認可保育所へ分配される運営費の額は、原則として当該保育所に在籍する年齢階層ごとの園児数によって計算される。
 園児1人を受け入れるのにかかる1カ月あたりの費用を「保育単価」とし、年齢階層ごとの「保育単価」×「園児数」の積み上げが、保育所の収入となる。在籍する保育士の平均勤続年によって最大12%の加算があるが、基本的には在籍する園児数によって予算額が決まってしまい、経営努力をしても保育所に入ってくる収益を増やせない。これが私立の認可保育所で職員を昇給させることが難しい根本的な理由だ。
 私立の認可外保育所はどうか。認可外保育所とは、施設の広さや職員数などで国の設置基準を満たすことができず、公費の支給を受けることができないので、原則として保育料収入だけで運営される保育所のことを指す。東京都の「認証保育所」制度のように、認可外保育所に対し独自の補助を与えている地方自治体もあるが、やはり、保育士の待遇は認可保育所と同等か、それに満たない場合も少なくないようだ。
 政府が打ち出した保育士の昇給のための補助金の対象範囲はまだ不明確であるが、認可外保育所で働く保育士も、認可保育所で働く保育士と職務内容に何ら変わりはないので、認可外保育所の保育士が補助金の対象から外れるということは望ましくないだろう。
 とはいえ月6000円程度の引き上げで保育士の待遇が大幅に改善され、働き手から見て魅力を増すとは言い難い。年間に直せば7万2000円の昇給にすぎず、賞与に一部反映されるとしてもまだまだ水準そのものが低い。保育士には給与水準そのものの低さに加えて、働きに対する正当な報酬が支払われていないという問題もありそうだ。いわゆるサービス残業である。
 平成27(2015)年度 賃金構造基本統計調査によると、保育士の時間外労働は1カ月平均「4時間」という調査結果になっている。ただ、筆者が知人や友人などからヒアリングしてみた限り、保育士の時間外労働が月4時間で収まっているとは到底思えない。賃金に反映されていない水面下の時間外労働が、少なからずあるのではないかと推測される。
 というのも、保育士は園児と直に接する以外にもさまざまな労働をしているからだ。園児が到着するよりも早く出勤をして、掃除や換気など園児を受け入れる準備をしたり、園児が帰宅した後も日誌を書いたり翌日の授業の用意をしたりなども日々の重要な業務の一部である。発表会や運動会、遠足など、各種行事の前は、その企画や準備のため深夜まで保育園に残ったり、自宅に仕事を持ち帰ったりすることも珍しくないようである。
 労働基準法では、所定労働時間に限らず、実質的に事業主の指揮命令を受けていた時間は、全て賃金の発生する労働時間としてカウントされるべきものとしているので、これらの時間の一部も労働時間とカウントできるかもしれない。賃金引き上げだけに限らず、保育士に対する残業代が労働基準法上のルールに基づいて、正しく支払われるようになれば、保育士の年収がおのずと上がる可能性もある。
 2014年度に東京都福祉保健局が公表した「東京都保育士実態調査報告書」にも注目したい。報告書内に示されている統計データの1つで、都内で就業中の保育士8214名から有効回答を得たアンケートであるが、複数回答可で職場への改善希望点を尋ねたところ、59.0%の方が給与・賞与等の改善を求めたのに続き、職員数の増員を40.4%、事務・雑務の軽減を34.9%、未消化(有給等)休暇の改善を31.5%の方が求めていることが分かった。
 給与面に続き、1人当たりの負荷の高さや休みの取りにくさに不満を感じている保育士が多いということだ。保育士の離職理由に関しても同様の傾向が見られたので、賃金の低さだけでなく、労働環境の厳しさも保育士不足の背景にあるということが統計上も確認できるわけである。
 そうすると、国の支援策としては、当人の給与を引き上げるだけでなく、保育所が職員の負荷分散のため、雇用者する保育士の数を増やす余力を持てるようにすることも必要であろう。保育士が有給休暇を取得することも踏まえて、代替要員を無理なく確保できるような前提条件を充分に検討してもいいだろう。
 いずれにしても、地方公務員と同等の待遇が受けられる公立保育所であれば保育士が集まっていることは事実なのだから、私立保育所でも一定の労働条件の引き上げ環境が整えば、保育士の離職率が下がる。また、潜在的保育士も保育の現場に戻ってきて、待機児童問題の解消にもつながるのではないだろうか。
 最後に補足だが、非常勤保育士の待遇改善も課題である。待遇が良いとされる公立保育所においても、非常勤職員として採用された場合は、時給ベースでの賃金となり、フルタイムに近い形態で勤務したとしても年収は200万~300万円程度にしかならない。「同一労働同一賃金」の推進が政府の大きな方針にある以上、同じ保育士という仕事をしていても、正社員であるか非常勤であるかという、採用の入口が違っただけで大きな差が生じてしまう待遇格差についても議論が必要になってくるだろう。

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これをよむといろいろ考えされられる。

保育、介護は女の仕事なので、低賃金を強いられているのだろう。非正規職員も多く、その場合はよりひどい。
公務員保育士になれば別だが、私立の社会福祉法人や企業などの保育所の職員は安く働かされているということ、
そして、認可外保育所にいたっては、公的な援助がないから、保育料は高く、にもかかわらず、保育士の待遇も保育環境もよくないような場合もあり、忌々しき問題。

保育や介護は女性が外で働かない時代は安い賃金で済ませていても大きな問題にはならなかったが、女性の社会進出がこれだけすすむと逆に保育や介護というパーソナルな仕事が中心になるのは当然である。
こういう仕事に高い賃金をはらい専門性の高い人材を集めることが、高度に成熟した男女共同参画社会の前提条件だろう。
それを、今までの枠組みで少々賃金を上乗せ、雀の涙ほどしても、それくらいじゃやってられないといういことで、良い人材は集まらない。
介護だってそうである。
ある時期までは低賃金の仕事だったが、今や、これだけの認知症や要介護の高齢者があふれている時代、高額所得の人だって親の介護には苦労している。
良い人材を養成するしかないのである。
時代が変わったのである。
社会システムとして、保育、介護という仕事の社会的意義を認め、高く評価し、厚遇するしかないのである。
いつまでも、脇役にしていてはダメなのである。
少子高齢社会の人材登用の主役は、保育士と介護福祉士なのではないだろうか。
そういう意識の大展開が政策担当者のみならず国民全体もされる必要がある。




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