3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

坂之上の雲、の先はなにがあったのだろう

2011-12-26 09:41:00 | 現代社会論
昨日、坂之上の雲を観た。とくに司馬遼太郎のファンというわけではない。が、7時半ごろ帰宅したら偶然やっていたので、観た。
日本海海戦は日本人がもっとも好きな歴史的場面である。天気晴朗なれど波高し。大国ロシアに真っ向勝負して、世界のだれもが日本の負けを確信していたにもかかわらず、勝利をおさめたのだから、こんなに気持ちのいいものはないだろう。後発の小さなアジアの国の小さな日本人が大国、巨体のロシアを破るのは快感だ。それは、フィジカルでは太刀打ちできない小さな日本人が、知力と技術力チームワークでワールドカップで大勝利を収めるようなものだから。

しかし、やはり、この日露戦争を讃美するトーンにはどうしてもなじめない。
史実にもとづく歴史小説ではないといわれているし、民衆史からは多くの批判があるだろう。

乃木の殉死、軍神など、好戦的な男性文学としての色彩が強すぎる。

坂之上の雲の先には何があったのだろう。
戦時体制という破滅の道の始まりであり、それを支えるための殖産興業は、自然環境も人々の生活も破壊し、疲弊させていった。敗戦にいたる新たな苦難の道のりがはじまったということである。

それにしても、若手女優があまりにも下手なので、笑ってしまう。
元旗本の娘にしては、へらへらしすぎだし、軍人の妻にしては、あまりに未熟、もっと、性根がすわっていなければならない。
男優も発声が不明瞭で意味不明。

NHKの劣化はこんなところにも出ているのかと思う。人材不足と演技指導が徹底されていない。
ナレーションも???
音楽、パンパカパーン的なBGMは軍艦マーチのようで、ノーテンキで、よくなかった。

子規、ホトトギスの連中は、よかったと思う。



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田中正造カレンダ―2012  デンキ開ケテ、世間暗夜となれり・・・

2011-12-23 14:55:38 | 環境問題
足尾鉱毒事件の解決に生涯をかけとりくんだ田中正造の2012年版カレンダーが出たそうだ。市民団体「田中正造大学」(栃木県佐野市)が、毎年制作している。

「デンキ開ケテ、世見(世間)暗夜となれり」という正造の言葉が印刷されているという。物質的な発展や人工、人為の進歩のみを追及すれば日本は亡びてしまうという警告。さっそく購入しよう。

「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」も正造の言葉で有名である。これは、1912年6月17日の日記の一文。
1901年の正造による天皇直訴が足尾鉱毒問題を全国に知らしめた。正造の大パーフォーマンス。あの直訴は幸徳秋水が書いたと言われている。しかし、その後、被災地谷中村は廃村、遊水池となることが決定し、農民たちは強制立ち退きを迫られる。正造は最後まで農民たちとともに抵抗し、闘った。
足尾銅山鉱毒事件は、山を荒廃し、渡良瀬川を死の川にし、村の自治を破壊した。生活を破壊し、自治を破壊するのが環境問題なのだ。

1904年日露戦争が始まる。日本人は一時、足尾に関心をもったが、すぐに日露戦争という戦時体制につっこんでいくのである。「坂之上の雲」の向こう側に農民の苦しみがあることなど忘れていく。富国強兵、殖産興業のために足尾銅山は閉山されることなく、さらに汚染は拡大していったのである。ひどい話だ。


2013年は正造没後100年になる。今年から来年にかけて正造が再評価されるとうれしい。
私は子どものころからずっと正造のファンだから。

足尾鉱毒問題はけっして、過去のものではないのだ。
足尾には、産業化とはなにか、環境破壊とはなにか、を考えるためのすべてがある。

日本史の教科書に数行書かれているだけだが、それではなにもみえずなにも学べない。

「足尾鉱毒問題」と「坂之上の雲」を重ね近代史をみていくとまた新しい視点がみえてくる。




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アンスネスのシューマン ピアノソナタNo.1

2011-12-21 10:38:35 | 音楽ノート
胃痛で伏せている。

それで音楽聴いている。
今日はシューマンの最初のピアノソナタ

アンスネスの音が限りなく美しい。

昨日の夜はどうしても断りきれない忘年会があって、胃炎なのに出かけていった。さすがに今日の忘年会はキャンセルした。
連日、忘年会があり、閉口だ。

静かな自然に囲まれていないと音楽ができない、と、アンスネスは言っている。

そう、悲鳴のような軽すぎる日本の今の音楽にはとても馴染めない。
雑踏から解放され、静かな音の世界にいることが最高の幸せである。

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眠りにつこうとして(R.シュトラウス)

2011-12-20 16:21:42 | 音楽ノート
先週から胃痛で仕事をセーブしている。神経性の胃炎なので、基本的に気分転換が必要でしょうということになり、
だからというわけではないが、歌の練習に勤しんでいる。
胃痛なのに歌うので体に力が入らず困る。


R.シュトラウスの「眠りにつこうとして」、この歌は、シュトラウス最晩年の歌曲である。
ヘルマン・ヘッセの詩である。ヘッセが中年に差し掛かった頃に作った詩に晩年のシュトラウスはどのような思いを込めてこの歌を作ったのか。

この場合の眠りにつこうとして、は、シュトラウスにとっては、永遠の眠りをイメージしていると思う。
永遠の眠りにつく日が間近にせまっている。


わたしは疲れ果てた。
わたしの願いは
星のきらめく夜に子どものように抱かれることだ


手よ、すべての仕事を止めるがよい
そして、すべての思考を止めよ

今わたしの五感は眠りに沈むことを欲している


魂は翼を広げて飛ぼうとしている
魂は、夜の世界で
深く、永遠に生きる


最後のフレーズ、永遠に生きる、を歌うときは、やはり、生きるを強調して歌うべきなのではないかと思う。

この歌は、ソプラノ用に作曲されていて、かなりの高音が要求され、また、相当の、いや、驚異的な肺活量を必要とする。
肺活量が多い高音が楽にだせる若い歌手のほうが歌いやすいだろう。しかし、歌詞を理解するためには、それなりの人生経験を必要とする。

というわけで、歌詞を理解し、なおかつ技術を習得し、体力をもっているものだけが歌う権利を有するということになる。
歌詞の本当の意味を理解できるようになっても、すでにその時は高音がでなくなっているということもある。

まことに悩ましい歌なのである。

お手本としては、やはりシュワルツコップであろう。彼女は3回録音しているが、三回目のものが一番美しいといわれている。
オケ伴はやはりスケールが大きくてすばらしい。



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2011年12月の日本―原発収束はないのだが

2011-12-18 13:00:35 | 現代社会論
3.11直後は、われわれは地震、津波、原子力についてこれほど真剣に考えたことがないくらい考えた。

地震、津波によって生命を失った人々に哀悼の意を評し、家族を失った人々に同情し、被災地支援に働いた。首都圏の人々は震度5弱の揺れに驚愕し、被災地ほどではないが、地震トラウマをかかえることになった。
また、フクシマについては、東電、経産省を槍玉にあげ、原子力政策を推進した人々を非難した。計画停電や夏場の節電を経て、再生エネルギーへシフトするというエネルギー政策の大転換に多くの国民は傾斜した。
しかし、12月も押し迫り、今年もあと残りわずかになった今日、何がわれわれの関心を引いているかといえば、被災地やフクシマ関連の当事者の人々を除いては、ボーナス、クリスマス、年末年始の過ごし方であり、新年度のスケジュールである。マスコミもつまらぬ話題ばかりとりあげていて、未来について真剣に問うような記事が少ない。嘆かわしい。

ギリシャ危機によって世界経済の不安定化、先行き不透明感で経済的な問題も関心の多くを占めている。
また、税と社会保障改革については、年金や医療の自己負担、それにともなう消費税や所得税、法人税などの税徴収のあり方についても関心を寄せるところである。
そして、震災復興と原子力災害への対応(長期にならざるを得ない)と放射能汚染された地域で収穫されたものをどれだけ制限するか、摂取することを避けるかが話題となっている。

われわれはフクシマとどう、向き合うかを問わずして、次の25年はないのではないかと思う。
電力供給をどのようにするのか、経済的成長をどの程度に設定するのかによって、社会システム全体のあり方が決まる。そして、ほとんど同時に、それによって社会保障の枠組みが決まってくる。

現実的には、原子力発電をある程度容認しながら、次のエネルギー体制を再構築しつつ、高齢化の進行する国民生活の安定、保障を実現する方法を編み出さなければならない。

子ども三人計画によって、人口構造を25年後には変えることができる。現在の労働力不足は女性と高齢者のフル活用をして、急場をしのぎ、次第に人口構造をかえ。エネルギーは再生エネルギーにシフトする。社会保障を充実させて多産文化を根付かせるしかないかもしれない。かなり乱暴だが。

それには、どうしても労働時間の削減が必要である。

今は、馬鹿な政治論議をしている場合ではないのだ。早急に政策決定をして、前へ進むしかない。まずは、消費税を上げるしかないことはだれだって分かっているだろう。その前にやるべきことはあるにしても、最後は税金をとってやるしかないのだ。選挙で負けるか負けないかなど瑣末なことだ。





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