3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

カルロス・ゴーンの高額な報酬に異を唱えるー労働者の生活を蹂躙するやり方は許せない!

2018-11-28 18:30:04 | 現代社会論
人員整理をして工場を閉鎖し、多くの労働者が首を切られていった。
そして、日産はV字型回復をした。日産は復活して、いまやグローバル企業として世界的な企業となった。
その立役者がカルロス・ゴーン。
で、その高額な報酬についてその手腕を評価し妥当とするもの、異議をとなえるもの、さまざまである。

筆者は、高額な報酬が当たり前という論調には賛成できない。

多くの労働者の首を切り、そのようにして回復をしたとしてもそれは、決して、いいことはないと思うのである。
人きりをすれば、V字回復はたやすいだろうが、それで、CEOは巨万の富を獲得し、多くの労働者は路頭に迷う。
それでよいのだろうか。
GEもそういうやり方である。
こんな無能な経営が成り立つなら、労働者の働く権利は経営者側に言いようにされ言いなりで、権利もへったくりもありゃしない。
一部の富裕層だけが豊かな生活を獲得するような社会はおかしい。
みんなおかしいと言おう。
市場原理主義に浸りきったわれわれだが、もう、そういう労働者の雇用を護らない経営方式は時代遅れだといおう。

これからは、再分配社会である。少ない賃金になっても雇用は確保する。
一部の執行部に富が集中するのではなく、多くの労働者に広く、富は分配する方式が求めら得るべきである。
それが安定し、分断しない社会をつくり、ひいては国民の生活は幸せになるというものである。

そもそも虚偽報告など絶対に許されない。
日本は途上国ではない。
虚偽報告がフランスで通用するわけでもあるまい。

公明正大でなければならない。世界の日産であるのなら、そのCEOであるのなら、虚偽はいただけない。
姑息なCEOは立ち去るべきである。



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安藤和津さんがお母様の介護をしてうつ病に

2018-11-27 18:39:02 | 女性の地位
安藤和津のことは奥田瑛二と結婚したあたりから知った。奥田瑛二といえば、桃井かおりとの映画「もう頰づえはつかない」をみて、ちゃらんぽらんの男の役として印象にのこっている。

安藤和津は犬養毅の孫だそうで、父親は犬養毅の三男の健、で、その健にはいわゆる妾がいて、柳橋の芸者、そこに生まれたのが安藤和津さんなのだそうだ。
渋沢栄一とか後藤新平とか、とにかく、戦前期の政治家や実業家は多くが妾を囲っていて、それを妻もみとめていたというできすぎた妻(正室)たちで、いまでは到底受け入れられない文化である。

それはそうとして、その安藤和津は母親が脳腫瘍になり、その介護の一切を引き受け、といってもひとりでやっていたのではないと思うが、家政婦さんはいなかったのだろうかとかいろいろ考えるが、とにかく、全面的に母の介護を引き受け、介護鬱になってしまったという。
そして、母を看取った後、介護から解放され、自由になったとたんにまたもや鬱になったそうだ。
常によい娘を演じ続け、その呪縛から解き放たれてなお、娘役割が内面化してまったく解放されることがなかったらしい。
そして、いま、介護鬱が徐々に回復していてそのきっかけは、孫のオムツを変えることだったそうだ。
とことん、娘役割の次は母役割に浸っているのだろうか。

彼女の生き方を批判するつもりはないけれど、娘として親の介護をやりつくしましたというようなそれがまるでとても良いことのようなトーンで語られるのはいかがなものか。
マスコミもマスコミでこれだから、日本の娘、嫁は介護をやることを美談として捉え続け、その呪縛で鬱になってそれもまた美談として捕らえられるような風潮があり、本当にどうかと思うのである。

彼女が、娘として鬱になってまでも母親の介護を担ったことが問題だと思う。
それは親孝行ではない、と思うのである。

私が病気の母親の立場だったら、脳腫瘍の母を仕事を制限してまでも介護する必要はなく、近くの有料老人ホームに預け、毎日見舞いをして、そして仕事を続けるような人生選択をしてくれたほうが、うれしいとおもうのだが、どうだろうか。
長い介護生活、人生のもっとも仕事に打ち込める中年の時期を介護のみで費やしてほしくないと母親の立場だったら思うのではないか。少なくとも私が母親だったら娘にそういう。

親子の関係、とくに母子の関係は特別だからなんともいえないが、遠くの老人ホームではなく、近くの高額ホームなら、その財力はあるのだろうから、別にとことん親の介護に専念する必要はなかったと思う。
自分の人生の多くをかけて親を介護すると言う選択はよかったとはまったく持って思えないのである。私が彼女の友人だったら、決して勧めはしないだろう。

だから彼女の本が売れて、美談として持ち上げられるのは、危険としか思えないのである。多くの女性たちが介護と親孝行を内面化すると思うからである。その呪縛を解くためにどれだけの時間と労力をかけてきたのかと思うからである。介護保険にしても介護役割を担う女性たちをその呪縛から解き放つために成立したはずだからである。


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日産 カルロス・ゴーンの強欲拝金主義の終わりを歓迎する

2018-11-23 15:40:23 | 現代社会論
日産がV字型回復を達成したのは、カルロス・ゴーンによる強権発動、猛烈な人件費カット、人きり寄るものである。切られて日産を去った人たちが多くいるわけで、だから、今回の逮捕劇に溜飲を下げた人もいるのではないかと思う。
企業はいろいろだから、今回の逮捕劇のクーデター説、フランスの人はそういうらしいが、そういうこともあるかもしれない。

しかし、どちらにしても、権力が一極集中し、わずかのものに情報も金も人事権も集まるというのは、ある意味会社経営には単純でよいのだろうが、従業員からするとどうなのだろうかと思うのである。

そもそも、日本の高度経済成長というのは、企業が従業員とその家族を含んで福利厚生、賃金を上げ、終身雇用、年功序列のなかで達成してきたものである。だから、そこに切り込んで、首切りと賃金カット、従業員もその家族も路頭にまよってもお構いなしというやりかたには批判が集まるのは仕方ない。

V字型回復で、もし、ゴーンが土光さんのように、粗食に耐え質素な暮らしをしていたら尊敬されたであろうが、虚偽の記載をし、あちこちに会社の金で大邸宅を購入し、やりたい放題だったというから、これは、だめだろう。だれも尊敬しない。軽蔑するだけである。
強欲資本主義の権化のようなゴーンを日本人は本音のところで嫌っているのである。

日本型経営が懐かしいと思う人たちにとって、ゴーンのようなやり方は嫌いなのである。
結局、人を切って会社を回復したとしても、そこで切られた人の暮らしはどうなるんだといいたい。
もし、みなが首を切られなくても、賃金を下げて、社長の賃金もぎりぎり下げて、みなで乗り切ろうというような方法であれば、それは歓迎されるのではないだろうか。

フランスのルノーの労組の幹部らしき人が、これはクーデターだとかいっていたが、フランスも労組の幹部のくせにゴーンの肩をもつなんて、ホントバカじゃないかと思うが、そこがルノーのだめさをものがたっているんじゃないだろうか。国営企業の労使馴れ合いの労組だからしょうがないのだろうが。

終身雇用、年功序列、人きりは絶対しないという日本型経営は、ロイヤリティを強め、未来を考えることができるという利点を持っている。若者もみな生活設計を考えることができるわけで、終身雇用であるからこそ、結婚、子育ても予定できるというもの。

先行きの不安、いつくびを切られるか不安で眠れないとか、そういう職場じゃあ、ゆっくり仕事に取り組めない。
ゴーンが日産にやってきたのが1999年と言うから、そのあたり、1995年あたりから日本的経営への批判が目立つようになり、非正規化が進むのが日本の労働市場であり、そこから、激しい職場内での競争、企業の生き残りで恥も外聞もなく強欲資本主義にまっしぐらの日本経済である。
どこで間違ったのか。
ゴーンの逮捕で、もういちど1990年代半ばに立ち返って、やり直すべきである。
もう無味乾燥な経済成長はいらないんじゃないだろうか。
強欲ではなく、ほのぼの経済をめざすべきで、首切りより、賃金が下がってもとにかくポストはあるという状態を保障するほうが、労働者にとっては安心が得られるのではないかと思う。
だから、これからの企業経営は、とにかく、一人ひとりの従業員を大切に育てるという理念を基本にしたほうが良いと思うのである。
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2018.11.23未明のバルコニー 満月である

2018-11-23 01:02:39 | 日記
今夜は美しい満月である。
夜遅く寝ようと思い、ふとバルコニーを見ると明るい。月の光に草花が照らされてその影さえも美しい。
月の光に圧倒される。しかし、よく見ると冴え渡る夜空に星がいくつもまたたき、こんなにもはっきりと見える夜も珍しいことである。いつまでもみていたい。オリオン座よ。
美しい月と星々に照らされ、また、眠れぬ夜を過ごしそうだ。
こんな日に眠ってしまうのはなんとももったいないことである。
一生のうち何度出会うことができるか、と思う。美しい月の光に照らされていると人生は美しいものに思えてくる。
こんな日は、月並みだが、ドビッシーしかあるまい。
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カルロス・ゴーン氏逮捕される 多額の報酬は本当に必要なのだろうか

2018-11-20 18:33:27 | 現代社会論
昨日、日産のカルロス・ゴーン氏が逮捕された。
日産自動車の有価証券報告書に自らの役員報酬を約50億円過少記載した容疑である。50億円!だって。
羽田に着陸したその飛行機に特捜部の職員がタラップを上り入っていく映像、そのうち飛行機のブラインドが降りて、まったく中の様子がわからなくなった。逮捕されるところを映されるのはさすがに気の毒だとおもったのだろう。

高額な報酬、強欲資本主義の権化みたいな人である。
そもそも日産を復活させるために雇われ、情け容赦なく人を切り、表面的な経営の再建を成功させただけで、日産の従業員は決して幸福ではなかっただろう。人を切れば成果があがるのいうのは、もっとも低能なやり方である。

この逮捕劇、高額報酬について考えさせられる。
世の中にはクレイジーな富裕層がいるようである。
勝手にどうぞと思う。
日本人は本来、金儲けを嫌い、高い報酬をもらうことなどに興味がないふりをするところがあるので、むき出しの強欲さ、そのスタイルは受け入れがたい。もちろん高い報酬が得られればそれに越したことはない。しかし、そのためになりふり構わず、仁義を欠いて、人にうらまれるくらいなら、少し貧乏でもそのほうが幸せだと思うのである。

自家用飛行機でもなんでも乗り回して結構であるが、恵まれてたまたま富裕層になったのだろうから、子どもの貧困とか、難民援助とか、そういうことに少しは目を向けて経済的支援をしたりするべきなのではないだろうか。

自己の努力で富裕になったのだから、「努力が足りなくて」貧乏になってしまったうちの子供なんぞに興味はないのだろうが、商売というのは、本来、もうかったのは幸運として社会に還元するというのが筋である。

農業でも食べるに足るだけつくり生活をやっていけるだけの収益を得るために作物をつくる、そうすれば環境を破壊するほど生産力を上げる必要はないのである。
とっくの昔から、大量生産大量消費という生活スタイルは終わっているのではないだろうか。
温暖化の問題もあるのだから、バカみたいに儲けようとか人の暮らしを破壊してまで生産力をあげようとか、ホント時代遅れとしかいいようのない会社経営のスタンスはもう止めるべきだと思うのである。

ほかにもゴーンみたいなやつはいるので、どんどん特捜部はがんばって捕まえてほしいものである。
まじめに地道に働いているほとんどの人たちの労苦に応えるようなそういう経済と政治を求めたいのである。
政治家も怪しいものである。早晩、強欲政治家も摘発される日が気がする。そうあってほしい。でなけりゃ、お天道様に申し訳が立たないのである。





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