3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

南青山に児童相談所をつくることに地元の人が反対しているニュース

2018-10-30 16:36:47 | 現代社会論
どういう人々が反対するのだろうか。
全体像を把握するすべがないので断片的な情報をつなぐとどうも南青山という地価が高いところに児童相談所をつくるという計画があり、それに地元の人たちが反対しているということらしい。

児童相談所について知らないのだろうね。無知がゆえに反対しているということなのだろう。無知ほど恐ろしいものはない。

だって、児童相談所を設置するというのは本当に喜ばしいことだとおもうから。

児童虐待やらなにやらの対応で児童相談所を増設し、地域の子どもとその親を支援しようとする取り組みの一つだと思うので、ぜひとも設置してほしいものだが、それを反対するという理由がまったく理解できない。無知というもの。

地価が下がる?児童相談所があるということで時価が下がるようでは日本は先進国として名を連ねることができないくらい非常識なのではないだろうか。
そもそも港区のような高額所得者が比較的多く住んでいるから児童相談所と無縁であるというのが間違っている。
児童虐待(育児放棄や性的虐待など)やDVは所得の多寡だけでははかれないということは常識である。
シロガネーゼなどといって、高級なブランドの衣服とかばんに身を包んで1600円のランチ(これが高いのか?と思うのだが、先日、御茶ノ水ちかくのホテルで食べたランチは2500円であった)に出かける専業主婦がDVにあっているという話はよくある話である。

見栄をはってブランド品を買うために汲々としている専業主婦が借金地獄にはまるという話もあるし、育児といっても過干渉は児童虐待であるし、南青山だからといってまったく児童相談所と無関係であるというわけでもあるまい。母子生活支援施設は虐待母子を受け入れることをしているし、貧困母子だけではない。それが現代的な貧困というものである。経済的な多寡だけでは貧困ははかれないのである。

それに、見かけ上は高級なマンションやブティックが立ち並んで華やかにみえても、その狭間で苦しんでいる人々もいるだろう。密室のマンションで息苦しさを感じている主婦や子どもたちもいるだろう。
それに、精神的な疾病や障害を抱える比率は1割ぐらいいるといわれているので、どこに住んでいても精神的な問題に苦しむ当事者や家族は南青山にもいるだろう。

児童相談所を理解できず、やみくもに反対する無知で見識のない住民の顔がみたいものである。
所得は高くても見識はゼロなんですねといってやりたい。

エスタブリッシュメントとしての基本ができてないものが何が偉そうに南青山だと思うのである。
これは、拝金主義、強欲資本主義の成れの果て、絶望しかない。
南青山児童相談所建設反対運動は強欲の果ての絶望である。


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2018.10.25 バルコニー便り もみじが美しく色づいている

2018-10-25 16:44:12 | 日記
今日は快晴である。
暖かい日差し、暑いくらいである。しかし、10月も後半となり、太陽の光は部屋までは届かない。

カエデが美しく紅葉している。
緑の部分を残しつつ、赤、黄色と色を変え、秋の光に照らされて輝いている。
近くの銀杏の樹も色づいてきた。
秋になったのである。

ふと見ると椿につぼみがたくさんできている。
まだ、硬くてとうぶん咲きそうにないけれど、確かに冬の訪れを待っているそのつぼみたちは、強い存在感を放っている。

撫子が咲いている。秋の七草の一つですもの、いま咲かなくちゃとでもいうようである。

そして、菊である。
いつの間にかたくさんつぼみができている。
もう菊の季節なんだね。

菊をみると思い出す。
小学校1年か2年のころだったか、学校でみなで菊を見に行って作文を書いたこと。
いまでも小学校で菊を見に行くのだろうか。
菊人形の季節である。
遠い記憶をたどるように菊人形でも見に行こうかと思うのである。
湯島天神の菊祭りがはじまるのは11月1日からだそうである。
楽しみなのである。




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2018.10.23 バルコニー便り 雨の秋の日 医学部志望の女子を応援する

2018-10-23 15:42:49 | 日記
今日は一日雨のようである。
東京は、朝は明るかったのだが、昼ごろから雨が激しく降ったりやんだりしている。
明日は、重く緊張する仕事がある。今はその準備におわれている。とはいえ、このどんよりとして天気にどうしてもやる気がおきない。やる気を奮い立たせてというところだが、遅々として進まず、相当なストレスである。
のどが腫れて、鼻の奥が詰まった感じである。

医学部の不正入試の話がどんどん出ている。
最後の植民地なのだろうか。医学部というのは女子にとって。法学部も工学部もほとんどフィフティフィフティになっているのに、医学部はそうではない。はじめから差別され、女子は全うな評価を受けることができない。

100メートル競走とおもっていたら、ゴールが200メートル先にあった。男子は80メートルでよいという。医学部を受ける女子は200メートルの体力を要求されるのに、男子は80メートルでよいというようなもの。ばかばかしい。
よっぽどできれば別だが、同じ点なら断然男子をというその発想があまりにも時代遅れとしかいいようがない。
それに浪人は不利とのこと。天皇の手術を担当した天野先生は多浪だったよね。


時代遅れの医学部入試。医学部のおじさんたちの顔をみるにつけ、コネと口利き文化で生き残ってきた連中と思い、反吐がでる。
これは男性がもつ既得権を打ち破る戦いである。

女子はここで男子にゆずってはいけない。
多くの女子高校生、浪人女子が医学部に挑戦し、来年の春、大量の合格者がでることを期待するのである。

女子は、男子に医師のポストをゆずってはいけない。石にかじりついても獲得していってほしいものである。
それを社会的使命とするべきである。
ひとりの女子高校生の問題ではない、後続の女子たちに道を開くための戦いと思って挑戦してほしい。

どこかの金持ちのおばさん、医学部女子(私立の医学部は高すぎるよね)のために奨学金でも作ってほしいものである。


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医学部は信用できないことが判明した その2 クオータ制度を導入せよ!

2018-10-18 10:41:38 | 女性の地位

医学部、私立大学、旧帝大系の医学部は男子率が高い、ということは、それらを卒業した医師はまともに戦わずして優遇されて医学部に入学し、医師になったというものたちである。優遇されてなった男性医師など信用できるはずがない。正々堂々戦え、バカボンクラ息子たちよ。下駄を履かせてもらって医学部に合格して医師になってうれしいか?恥ずかしくないのか?親のコネで入った娘たちも恥ずかしくないのかと思うのである。

その過程では涙をのみ、看護や理学、作業療法士やあるいは工学部などに流れていった普通なら医師として活躍できるはずだった優秀な女性たちが多数いるということである。日本に生まれたことが不幸なのか。
そういう女性たちの可能性をすべて潰して、医師となった男性医師たちを許すことができない。しかも医学部というほとんどが男性医師の塊社会で、まさに男性優位構造のなかの男性優遇入試(女子の縁故も含む)であり、これはまったくもって構造的なもので、犯罪である。法の元の平等に反するではないか!

医学部にクオーター制度を導入するべきである。
50%といかなくても6対4ぐらいの割合にすべきである。無理やりでよい。女性比率を4割まで引き上げよ。バカボンをこれ以上、入学させるな。

患者の50%は女性である。男性の権威主義のもと女性の患者は受診の際に気をつかうことが多い。女性が半分であれば、気が楽である。

ヒューマンな仕事であればあるほど、配慮が必要で、医師の男女比はイーブンにすべきである。それが、21世紀の先進国であるわが国の医師養成でやるべきことである。

クオータ制度を導入すれば、かなり変わると思う。
近所に私立の医学部を出た医師がいる。

上から下までバカボンで風邪を引いても行く気が起きない。誤診がこわくて。
縁故入試で入ったとしか思えず、ほんと許せないんだから。



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医学部は信用できないことが判明した 

2018-10-16 12:19:05 | 現代社会論
医学部の入試をめぐる不祥事、不公平、女子受験生への差別があらわになった。
医学部教員の常軌を逸する偏った社会意識が改めて白日の下にさらされている。

東京医大だけではないとはわかっていたが、入試情報を開示すればするほど、いい加減な入試が行われていたことが明らかになり、医学部卒といってもそもそも信用できない人たちであることがだんだんわかってきた。
私立の医学部は縁故と寄付金、金まみれの入試が行われているのではないかと思われ、この際、明確にすべきである。私立といっても多額の国の補助金が投入されているのであるから、税金を払っている国民からすれば、いい加減な入試でいい加減な合格発表が行われ、公平な手続きを経ていないものが合格して医師になっていくのはどうしても納得できない。


東京大学の理科Ⅲ類の入試の情報は明らかになったのであろうか。
東京医大のとき、全国の医学部の入試情報に関する調査が行われたが、東大は情報開示を拒否していたので、怪しいと思っているのだが、未だに東大の入試情報はクローズなのだろうか。
きちんと男女の差や面接点の開示などをすべきではないだろうか。
縁故採用をやっているのではないかと思われるふしがないわけではなく・・・、面接があるので、何でもありだと疑問にかねてから思っているので、この際、本丸東大理Ⅲ類の合格者情報を開示すべきであると強く要望したい。

財務事務次官のセクハラをみれば東大法学部の卒業生がセンター入試の点は高いのだろうが、そして数学や英語はよくできるのだろうが、ただそれだけのやからで、信頼に足るべき人材かどうかは、まったく別であることがだんだんわかってきた。というかやっと世間が正しい認識、つまり、東大や医学部といっても必ずしも公平に選ばれ、信頼される人格であるわけではないことがわかってきたということである。

さらに昨日は弁護士の犯罪が明らかになった。難関の司法試験を通って弁護士として社会の弱者を救うのが弁護士と思っていたが、犯罪に手を染めるとはどのような経歴の弁護士なのだろうか。
難関大学に合格するため、司法試験に通るために努力する途上で人格破壊が起こるのではないかと思うのである。

姫野カオルコの「彼女は頭が悪いから」という小説を読むと、頭が良いことが全能感を植え付け、何でも許されるという幻想をいただかせ、犯罪をしても許されると錯覚させる。大きいな問題を感じる。

日本の教育の大失敗だ。
このところ30年の教育の失敗なのではないだろうか。
効率や生産性ばかりを追及する社会状況は、子どもをゆがませ、縮こませ、ろくな人間を作ってこなかった。
優秀であってまともな子どもは、実は東大や医学部からは遠いところにいるのではないだろうか。
教育は、そういう優秀でまともな子どもを掘り起こし、育てることに力を注ぐべきである。

親が金持ちの医者で子どもに投資しコネをつかって、医学部や東大に入学させるような人間をとても信じることはできない。
腐っているのである。
本当に憤るのである。





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