3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

with Corona の時代に4:wear masks and be quiet

2020-06-27 11:29:55 | 現代社会論
新しい日常といわれているが、飛沫感染を防止するためにマスクをつけて、大声でしゃべらない、他人とは2メートルあけて歩こう、というもの。
しかし、3月ごろから自粛生活がはじまり、4月からは全面的に自宅ワーク、5月6月と外出が思うようにできない日常にだんだんみんな飽きてきたようだ。
もう、みんな堰を切ったように外出しているのである。
遠距離バスは混んでいるという。新幹線も結構な混み具合で、自家用車の遠出で道は混んでいる。
飽きっぽいのである。
政治的スキャンダルもテレビでセンセーショナルに取り上げるが、粘り強く追及するわけではなく、熱が冷めて芸能人の不倫の話題などに興味が移って行ったりしてしまうのである。

コロナウイルスはそんな人びとの興味が薄れた、もう飽きた、などという気まぐれに合わせてはくれない。気を緩めればすぐにやってきて感染拡大する。

人類よ、お前たちのこれまでの悪行の数々、免罪はまだまだだといわんばかりである。

もういい加減にしてくれ、生活が破綻する、という悲鳴が聞こえてくるがそんなことはお構いなくウイルスはわれわれの生活の細部に入り込み、ちょっとでも緩めれば、すぐさまやってくる。

このウイルスは決してわれわれの都合で動いてはくれないのである、ということを肝に銘じるべきなのである。

気を緩めて歌舞伎町などに繰り出せばすぐさま感染拡大するということである。
歌舞伎町だけでなく、全国の歓楽街には、不特定多数を相手に商売をし生計を立てている女たち(男たち)が少なからずいて、国内を移動しているらしい。徳島の歓楽街で感染した女性はそのまえ、大阪で働いていたというし、そして何人と接したかわからない、それほどたくさんの客と接したということであろうが、ということである。

戦前期、結核もそうだが、梅毒が流行し、兵士が感染しては国力が落ちるということで花柳病対策という感染症対策がおこなわれたということを読んだことがあるが、まさに、現代版、歓楽街における感染症対策が必要になっているということなのだろう。
歓楽街で感染が拡大し、感染はそこだけにとどまらず、お客と従業員らに感染し、お客が働くその職場に広がり、またその家族に広り、妊婦や高齢者などにも広がり、結局、毎日感染者が増え続けている。

コロナ以前の生活に戻ることは絶対にないという状況に陥っている。

それにしても、緊急事態宣言が解除された途端に夜の街に繰り出すという、この文化をなんとかできないものだろうか。この問題と向き合い議論をし、まともに社会的な対応を考えてこなかったツケが回ってきたとしか思えないのである。
コロナウイルスはわれわれの社会の弱点を衝いてくる。
飽きやすく、金で何でも解決するような、そして自分のことしか考えないようなスタイルに変更を強くもとめる、それがコロナとともに生きる時代のニューノーマルなのだろう。






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with Corona の時代に 3 中心化するひきこもり文化

2020-06-18 10:44:29 | 現代社会論
内向きな性格で社会と距離をとることで精神的な安定を保つという人びとがいる。私も通常は職場であれこれ発言しているので仲間内では外交的だと誤認されているが、本来は内向きな性格であるし、他人から時間の制限や管理をされることほどいやなものはないと思っている人間である。
毎日、9時からお仕事などという生活にはなじめない。10時~の会議に遅刻しないようにがんばる朝なんか本当につらいものである。
だから、在宅ワークに切り替わって、本当に救われている。
10時ですね、はいはい、机の前にすわってPCのスイッチをON、カメラを整えればもう会議には出席できるんだから、楽チンである。

自分で生活時間を組み立てられるという生活は本当にすばらしい。好きなときに好きなだけ集中して仕事をして、あとは音楽を聴いたりしてリラックスできるのだから、これほど生産性のあがる働き方はないと心底思う。
しかし、世の中にはちゃんと出勤をして職場の人と会話をしながら、仕事をするというスタイルのほうがよい、体になじむ人もいるようである。そういう人は、だんだん、在宅ワークが長くなると集中力がなくなって飽きてくるらしい。それで、早く会社がはじまらないかなあ、などといったりするので、あきれる。

他方、在宅ワークを皆がやっているときも、集まって会議をやっている人もいる。在宅ワーク?そんな甘い働き方はありえない!といわんばかりの人びともいて、そういう人びとには本当にお疲れ様といいたい。

WEB会議なのに家ではなく、会社の一室から出席しているような一群をみると社畜なんだな、と思うが、それは責任のある仕事とか情報が外に漏れたらいけない仕事なのだから仕方ないのだろうと思うことにしている。

確かに在宅ワークの会議の内容が家族にきかれたりするのはまずい。
私の場合は、幸い、完全に家族から隔離された空間で仕事をすることができるので、よいのだが、そういうことができない人は苦労があるだろう。
在宅ワークのWEB会議で子どもが出演してしまったり、家族に会社の会議の様子を察知されてまずいことになることもあるだろう。

コロナの到来でわれわれの生活は在宅ワークが標準になりつつある。
それは紛れもない事実である。
これは「ひきこもり生活」が標準化するということをさす。
これまでいわゆる「ひきこもり」の人に対して夕方コンビニにいくしか外出していないとかあれこれ陰口を言っていた人も、同じような生活を強いられることになり、べつに「ひきこもり」は特別なことではなくなってしまった。

かえって外出なんかしてどこかからウイルスをもらってきてウイルスをばら撒く人よりよっぽど感謝されるのだから、「ひきこもり」の人たちは堂々とすればよいと思うのである。

私のような隠れ「ひきこもり」、ひきこもり生活がうれしい、ものにとって、こんなにいきやすい生活もあるのだと思い、以前より生き生きしてしまっている自分を発見する今日この頃なのである。


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With Corona の時代に 1

2020-06-12 09:17:46 | 現代社会論
すっかりウイルスがいる生活が日常になった。
在宅ワークが主になった。手渡しでなければならない資料などを除いては、ほとんどメールでPWつければなんとかなる、ということになり、あとは在宅ワークの環境を整えることがテーマである。
パリの人はこの間の隠遁生活に飽きて、ひろい庭のある郊外の一戸建てに転居することを考える人が激増しているという。
日本も都心の狭いマンション、バルコニーは猫の額状態、では、やってられないということで郊外の庭付き一戸建てを希望する人が多くなっているという。
軽井沢とか山梨、熱海、小田原とか、新幹線などで1時間程度であればなんとかなりそうだ。世の中どこもかしこも空き家ばかりになっているのだから郊外や地方都市の一戸建て生活は可能だろう。

私は江戸っ子なので、地方に住んだこともあるにはあるが、どうも地方でのくらしはなじめないので、地方移転は無理と思っている。

第一、上野公園が近くになければコンサートも美術展も気軽にいけない。子どもの教育環境を考えれば、東京都心のほうがいいだろうと想像する。
中高年になって地方に住むのはけっこう勇気がいる。
その土地の価値とマッチするかどうか難しいと思うのである。

知人が定年を前に地方に引越した。最初は悠々自適晴耕雨読、在宅ワークを謳歌していたが、次第に近隣住民との軋轢か、5年したらまた都内に戻ってきた。生活拠点をたくさんもつというのは楽しいかもしれないが、一つの場所に集中するとそこの近隣関係のわずらわしさがいやになることもあるのだろうと思うのである。

在宅ワークの環境を整えるのは大変である。
書斎的な空間を用意してそこに机と椅子をおき、ネット環境を整え、モニターやヘッドセットを購入し、印刷機やコピー用紙・・。
第一、家にばかりいると運動不足になり体重が増えてしまう。
それで早朝のウオーキングは欠かせなくなった。

というわけでどこに住んでもよいけれど、with corona の時代にあって、在宅ワークにならざるを得ないのは確かだが、だからといって文化的な刺激がなければ無理である。
文化的な刺激がある程度満たされ、近隣関係のわずらわしさがないところ、で、何回かの出社にも楽な場所・・と考えると、今のところのほかに考え付かない私なのである。

地方への移転は絶対に考えられない。
刺激に満ちた江戸の暮らしをそう簡単に捨てられるわけないじゃないかと思うのである。



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After COVID-19 : Reconstruction of the NHS

2020-04-17 14:21:38 | 現代社会論

The change of times comes suddenly.
A brief look at the postwar transition period was the end of World War II, high economic growth, oil shocks, the collapse of the bubble, the collapse of the Berlin Wall in 1989, the September 11, Lehman Shock of 2001. COVID-19 in 2011, 3.11, and 2020.

The world before and after 2020, when the threat of the new coronavirus expanded, will change drastically.

2020 will be a turning point in world history.

The world of before COVID-19 and after COVID-19 is very different.
The so-called national powers of the United Kingdom, France, Italy, Spain, the United States and those countries will be much lower than they are now.
Instead, I don't yet know where the rise will occur. It may or may not be China.
The government and political leaders who have successfully controlled the threat of this virus and won the trust of the people will be the protagonists of the next era.

In any case, instead of leaving medical care and welfare at your own risk, you should aim to reform it as a strong public mechanism.
Viruses cross national borders, cross the gap between rich and poor, and of course low-income groups are more vulnerable to the threat of viruses than wealthy groups, but they still hurt people's health regardless of whether they are rich or not. Countries with poor medical systems are vulnerable to virus invasion, and suffer economic damage and weakness. Also, countries that stick to their country first are not respected.

Also, the speed of the virus will quickly damage the health of the wealthy, who are not tied to gold, so in an era where there is an unprecedented need for an equal medical system for men and women of all ages. I don't think so.

Considering this, in the world of after COVID-19, it will be necessary to improve the medical system so that everyone can access it equally.
The political interest of the people requires a robust medical system and an economic system that develops while protecting it.

The new world after COVID-19,We should construct a kind of a society in which the medical section and medical professionals are valued.
The momentary enjoyment that disappears like a bubble will die.
The aim is to build a social system that values ​​people's lives equally, rather than a culture with an economic system that fraudulently pursues profits.
People must learn to solidify across borders in order to be free from the threat of viruses.








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ローマのサンタチェチリア音楽院院長のヘイトスピーチを許してはいけない

2020-02-01 17:13:31 | 現代社会論
イタリアメディアによると、ローマにあるサンタチェチリア音楽院で、院長が教員に対し、「東洋人の学生を授業に参加させないことにした。2月5日に学内の医師の診察を受け、問題がなければ再登校できる」と通知した。渡航歴に関係なく中国人、韓国人、日本人など、東洋人全員を対象にしたもので、教員などからは「差別や恐怖心を広める」と批判が出ている。院長は、「全ての学生の健康を守るための判断だ」と釈明しているという。
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やはり、こういう発言が出てしまった。
これはひどい差別である。こういう発想がユダヤ人差別を生んだのだし、ますます社会の分断を助長する。
ヨーロッパ中心に考えれば中国や韓国、日本は一緒くたで、見分けがつかない。
中国も日本も同じなのであろう。日本文化に相当入れ込んでいれば別だが。

伝統ある音楽院の院長たるものこんな発言をしているようでは中身が問われる。
芸大の学長がまさかこんな発言をするとは思えない。
教養の低さが暴露されたも同然。

とはいうものの、日本人がヨーロッパであれこれ差別されるのは日常茶飯事だ。
明治以来、欧米列強に追いつけ追い越せでやってきたのも東洋のサル扱いされたわれわれのご先祖のつらい歴史があるからだろう。
こういう話が続くと国粋主義に陥り世界の統合の道は閉ざされる。
いやな世の中である。

東洋のなかでも日本は別であるなんて思っているのはわれわれだけで、欧米からみれば所詮東洋人は黄色い人びとで遅れた国の人びと、西洋音楽など理解できないやから、なのである。



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