日本の文系の大学院の場合の話だ。
日本の大学院はどこも大変である。
大学側はなるべく大学院の定員を埋めなければならないのでとにかく、学生確保が至上命令。
だが、今の大学で大学院に行く学生はだいたい就活に失敗したか、コミュニケーション能力が乏しく就活になじまないか、学者をめざしているかのどれかである。
実際、学者をめざす優秀なものもいるにはいるが、学者を養成するのは時間がかかり至難の業である。何年もニートみたいな生活になってしまうかもしれないので、みな尻込みをしてしまうのが実情。非常勤講師をいくつも掛け持つのは大変である。ぼんくら大学だって教えにいかなければならないし。崇高なわが理論研究を、と思っても、そんなの聞いてくれるはずもないから、嫌気がさすだろう。
だいたい、優秀な学生で大学に残ってほしいとおもうものは、優秀であるからやはり企業もほしい人材なので、就活をして民間大企業にいくか、公務員試験にちゃんと合格してさっさと卒業してしまう。
で、大学院に集まるのは留学生、学歴ロンダリングの他大学の就活こぼれ組である。留学生はみな優秀なのでほっとするが。
東大でもどこでも大学院にのこって学者の道に行くのは結構きついのでみな、どんどん就活をして就職してしまう。
他大学の学生がなぜか修士?博士?にいて、学位取得したりして、うそのような本当の話である。だから最近は、履歴書を高校から大学の学部、そして大学院と細かく書かせる。
そうでもしないと、東大大学院修了かと思って話していると、学部は全然違う大学だったりするので、ちょっと調子狂うことが多いからである。
大学は大学院をつくりすぎてしまい定員を埋めるためになりふりかまわず学生を集めようとして結局、大学院のレベルは下がっている。
大学院はもっと定員をしぼり、研究者養成をちゃんとするようにしないと、ろくな人材が大学院に集まらなくなってしまい、研究どころではなくなってしまうだろう。
専門職大学院などもあるが、そういうリカレント的なものは修了後の着地点がめえているのだろうから心配ないが、学者をどう育てるか、それが日本のアカデミックな世界で深刻な問題となっているように思う。
日本の大学院はどこも大変である。
大学側はなるべく大学院の定員を埋めなければならないのでとにかく、学生確保が至上命令。
だが、今の大学で大学院に行く学生はだいたい就活に失敗したか、コミュニケーション能力が乏しく就活になじまないか、学者をめざしているかのどれかである。
実際、学者をめざす優秀なものもいるにはいるが、学者を養成するのは時間がかかり至難の業である。何年もニートみたいな生活になってしまうかもしれないので、みな尻込みをしてしまうのが実情。非常勤講師をいくつも掛け持つのは大変である。ぼんくら大学だって教えにいかなければならないし。崇高なわが理論研究を、と思っても、そんなの聞いてくれるはずもないから、嫌気がさすだろう。
だいたい、優秀な学生で大学に残ってほしいとおもうものは、優秀であるからやはり企業もほしい人材なので、就活をして民間大企業にいくか、公務員試験にちゃんと合格してさっさと卒業してしまう。
で、大学院に集まるのは留学生、学歴ロンダリングの他大学の就活こぼれ組である。留学生はみな優秀なのでほっとするが。
東大でもどこでも大学院にのこって学者の道に行くのは結構きついのでみな、どんどん就活をして就職してしまう。
他大学の学生がなぜか修士?博士?にいて、学位取得したりして、うそのような本当の話である。だから最近は、履歴書を高校から大学の学部、そして大学院と細かく書かせる。
そうでもしないと、東大大学院修了かと思って話していると、学部は全然違う大学だったりするので、ちょっと調子狂うことが多いからである。
大学は大学院をつくりすぎてしまい定員を埋めるためになりふりかまわず学生を集めようとして結局、大学院のレベルは下がっている。
大学院はもっと定員をしぼり、研究者養成をちゃんとするようにしないと、ろくな人材が大学院に集まらなくなってしまい、研究どころではなくなってしまうだろう。
専門職大学院などもあるが、そういうリカレント的なものは修了後の着地点がめえているのだろうから心配ないが、学者をどう育てるか、それが日本のアカデミックな世界で深刻な問題となっているように思う。