3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

with Corona の時代に 5 感染症対策は地方自治体の判断力によるところが大きい

2020-06-30 10:46:39 | 新型コロナウイルス
今日の朝日の耕論で和歌山県知事がいわゆる「和歌山モデル」について語っていた。
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 そもそも感染症への対応は、感染症法で定められた都道府県知事の権限であり、義務です。知事が指揮するのは当然で、ことさらリーダーシップを発揮しなければという意識はなかったですね。
 「和歌山モデル」があるとすれば、早期発見、早期隔離、徹底した行動履歴調査という基本に忠実にやることです。福祉保健部技監の野尻孝子さんが保健所長出身で、現場をよく知っていたのが非常に良かったと思います。
 国は「37・5度以上の発熱が4日続くまでは受診を控えて」と言っていましたが、和歌山県はその方針に従わない、とはっきり言いました。風邪気味の人は、どんどん近くのクリニックに行って、X線やCTを撮ってもらう。肺炎の疑いのある人だけを保健所でPCR検査にかける。そうやって絞り込むほうが合理的ですから、国が何と言おうと従いませんでした。
 5月初め、大阪府の吉村洋文知事が休業要請の早期解除を打ち出しました。感染が収束していない時点で「出口」を言うのは勇気が要ったでしょう。ただ、休業要請の緩和には、保健所が機能していることが大前提。保健行政の立て直しも一緒にやるべきですと助言させてもらいました。
 第2波対策で一番重要なのは、感染症法の原点に戻ることです。保健所の権限で早期隔離ができることが、日本の最大の武器です。政府は接触の制限だけを強調しましたが、営業自粛、行動自粛だけだと、経済と生活が破壊されてしまう。保健医療行政が機能していれば、多少自由に出歩き、飲食しても、感染者が出ればすぐに対応できます。
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和歌山県知事の言うことは至極全うである。感染症の基本をまもること、信頼できる保健所経験の豊富な保健福祉部の技監がいたことも幸運だったのだろうが、とにかく保健行政を守りながら科学的なデータをもとにきちんと判断をし、実行すればよいのだ。国の「指導」などこの際どうでもよい、われわれの判断を優先するという強さ、地方自治体の長というものはかくあるべし、これが和歌山モデルの核心なのではないか、と思う。有田病院関係者も保健福祉部と一緒になって実行したことも功績だ。

中央にこびへつらい、厚労省のいうことを聞いていればたとえ失敗しても地方自治体の責任は逃れる、と思っている知事は多い。県民の生命や生活が第一、成功も失敗も知事の考えでいく、責任は私がとる、という強い意思と判断力が求められる、それが知事というものであろう。
もし、失敗したら、そんなことはそのときにならなければわからない。そのときどきに最高の判断と思える根拠を示して判断すれば、誰もが納得するだろう。自らの判断に責任をもつ、それを含めて知事の仕事なのだ。判断を恐れてはいけない。東京にもほしい知事なのである。
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専門家会議の継続を強く求める

2020-06-27 12:16:14 | 新型コロナウイルス
なにがあったというのか。専門家会議を解散し、別組織を作るという突然の発表。
これは認められない。
これまでの専門家会議の果たした役割は大きく、信頼とともに国民の生活に浸透している。
専門家会議のおかげで日本は奇跡的にパンデミックを避けているのである。
切り替えて、経済優先の御用学者の専門家会議にしようという魂胆には絶対に賛同できない。
こういうやり方は絶対に許せない。
政府に強く抗議したいのである。

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with Corona の時代に4:wear masks and be quiet

2020-06-27 11:29:55 | 現代社会論
新しい日常といわれているが、飛沫感染を防止するためにマスクをつけて、大声でしゃべらない、他人とは2メートルあけて歩こう、というもの。
しかし、3月ごろから自粛生活がはじまり、4月からは全面的に自宅ワーク、5月6月と外出が思うようにできない日常にだんだんみんな飽きてきたようだ。
もう、みんな堰を切ったように外出しているのである。
遠距離バスは混んでいるという。新幹線も結構な混み具合で、自家用車の遠出で道は混んでいる。
飽きっぽいのである。
政治的スキャンダルもテレビでセンセーショナルに取り上げるが、粘り強く追及するわけではなく、熱が冷めて芸能人の不倫の話題などに興味が移って行ったりしてしまうのである。

コロナウイルスはそんな人びとの興味が薄れた、もう飽きた、などという気まぐれに合わせてはくれない。気を緩めればすぐにやってきて感染拡大する。

人類よ、お前たちのこれまでの悪行の数々、免罪はまだまだだといわんばかりである。

もういい加減にしてくれ、生活が破綻する、という悲鳴が聞こえてくるがそんなことはお構いなくウイルスはわれわれの生活の細部に入り込み、ちょっとでも緩めれば、すぐさまやってくる。

このウイルスは決してわれわれの都合で動いてはくれないのである、ということを肝に銘じるべきなのである。

気を緩めて歌舞伎町などに繰り出せばすぐさま感染拡大するということである。
歌舞伎町だけでなく、全国の歓楽街には、不特定多数を相手に商売をし生計を立てている女たち(男たち)が少なからずいて、国内を移動しているらしい。徳島の歓楽街で感染した女性はそのまえ、大阪で働いていたというし、そして何人と接したかわからない、それほどたくさんの客と接したということであろうが、ということである。

戦前期、結核もそうだが、梅毒が流行し、兵士が感染しては国力が落ちるということで花柳病対策という感染症対策がおこなわれたということを読んだことがあるが、まさに、現代版、歓楽街における感染症対策が必要になっているということなのだろう。
歓楽街で感染が拡大し、感染はそこだけにとどまらず、お客と従業員らに感染し、お客が働くその職場に広がり、またその家族に広り、妊婦や高齢者などにも広がり、結局、毎日感染者が増え続けている。

コロナ以前の生活に戻ることは絶対にないという状況に陥っている。

それにしても、緊急事態宣言が解除された途端に夜の街に繰り出すという、この文化をなんとかできないものだろうか。この問題と向き合い議論をし、まともに社会的な対応を考えてこなかったツケが回ってきたとしか思えないのである。
コロナウイルスはわれわれの社会の弱点を衝いてくる。
飽きやすく、金で何でも解決するような、そして自分のことしか考えないようなスタイルに変更を強くもとめる、それがコロナとともに生きる時代のニューノーマルなのだろう。






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with Corona の時代に 3 中心化するひきこもり文化

2020-06-18 10:44:29 | 現代社会論
内向きな性格で社会と距離をとることで精神的な安定を保つという人びとがいる。私も通常は職場であれこれ発言しているので仲間内では外交的だと誤認されているが、本来は内向きな性格であるし、他人から時間の制限や管理をされることほどいやなものはないと思っている人間である。
毎日、9時からお仕事などという生活にはなじめない。10時~の会議に遅刻しないようにがんばる朝なんか本当につらいものである。
だから、在宅ワークに切り替わって、本当に救われている。
10時ですね、はいはい、机の前にすわってPCのスイッチをON、カメラを整えればもう会議には出席できるんだから、楽チンである。

自分で生活時間を組み立てられるという生活は本当にすばらしい。好きなときに好きなだけ集中して仕事をして、あとは音楽を聴いたりしてリラックスできるのだから、これほど生産性のあがる働き方はないと心底思う。
しかし、世の中にはちゃんと出勤をして職場の人と会話をしながら、仕事をするというスタイルのほうがよい、体になじむ人もいるようである。そういう人は、だんだん、在宅ワークが長くなると集中力がなくなって飽きてくるらしい。それで、早く会社がはじまらないかなあ、などといったりするので、あきれる。

他方、在宅ワークを皆がやっているときも、集まって会議をやっている人もいる。在宅ワーク?そんな甘い働き方はありえない!といわんばかりの人びともいて、そういう人びとには本当にお疲れ様といいたい。

WEB会議なのに家ではなく、会社の一室から出席しているような一群をみると社畜なんだな、と思うが、それは責任のある仕事とか情報が外に漏れたらいけない仕事なのだから仕方ないのだろうと思うことにしている。

確かに在宅ワークの会議の内容が家族にきかれたりするのはまずい。
私の場合は、幸い、完全に家族から隔離された空間で仕事をすることができるので、よいのだが、そういうことができない人は苦労があるだろう。
在宅ワークのWEB会議で子どもが出演してしまったり、家族に会社の会議の様子を察知されてまずいことになることもあるだろう。

コロナの到来でわれわれの生活は在宅ワークが標準になりつつある。
それは紛れもない事実である。
これは「ひきこもり生活」が標準化するということをさす。
これまでいわゆる「ひきこもり」の人に対して夕方コンビニにいくしか外出していないとかあれこれ陰口を言っていた人も、同じような生活を強いられることになり、べつに「ひきこもり」は特別なことではなくなってしまった。

かえって外出なんかしてどこかからウイルスをもらってきてウイルスをばら撒く人よりよっぽど感謝されるのだから、「ひきこもり」の人たちは堂々とすればよいと思うのである。

私のような隠れ「ひきこもり」、ひきこもり生活がうれしい、ものにとって、こんなにいきやすい生活もあるのだと思い、以前より生き生きしてしまっている自分を発見する今日この頃なのである。


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with Corona の時代に 2   悲しすぎる声楽家のコロナ感染死

2020-06-13 16:44:22 | 新型コロナウイルス
今朝の毎日新聞に文京区に住む声楽家末芳枝先生がコロナで5月になくなっていたという記事を読んで悲しくなった。
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2020.6.13 毎日新聞朝刊

東京都文京区のマンションで暮らしていた高齢の3姉妹が新型コロナウイルスに感染した。相次いで入院したが、病状はあっという間に悪化し、うち2人はわずか1週間ほどで帰らぬ人に。感染防止のため、最期の対面や火葬に立ち会うこともできなかった兄の末(すえ)利光さん(87)=甲府市=は2人の実名を明かした上、「どこにでもいる普通の姉妹がコロナに突然人生を断ち切られた。コロナの恐ろしさを少しでも身近に感じてほしい」と訴えた。 
      亡くなったのは、妹の貴久子さん(78)と芳枝さん(83)。2人は特に持病もなく、姉(90)を支えて3人で生活していた。 
     「この風邪はなんだか変だ。胸の下が妙に痛い」 
     最初に異変を感じたのは貴久子さんだった。4月10日に全身のだるさと喉の痛みがあり、翌11日に近くのクリニックを受診。数日後に別の親族に電話し、自らの症状とともに「芳枝さんも風邪を引いている」と伝えた。 
37度から38度台前半の熱が続いたため、貴久子さんは16日にクリニックに連絡し、保健所から指示された病院を17日に受診。そのまま入院し、その日のうちに容体が悪化して集中治療室に入った。芳枝さんも翌18日に入院。1人残された姉も同じ日に入院し、全員がコロナに感染していることが分かった。 
 「青天のへきれきとはこのことか」。利光さんらは8人きょうだいで、既に4人が他界。東京に行けば必ず3人のマンションに立ち寄っており、3月にも一緒に食卓を囲んだばかり。3人の感染を聞き、信じられない気持ちだった。 
     そばに駆け付けたいが、感染防止のため病院に向かうこともできない。入院して6日後の23日、病院から貴久子さんが亡くなったと連絡があった。本人とは言葉も交わせないままだった。 
     追い打ちをかけるように、芳枝さんも症状が悪化していった。その後、驚くほど弱々しい声で芳枝さんから電話があった。人工呼吸器をつけるかどうかの決断を迫られていると言い、こう続けた。「私には一生鍛えてきた歌い手の喉がある。このままの姿でいたい」 
     音大を出てウィーンに留学し、多くのリサイタルを開き、後進の育成にも力を注ぐなど声楽家として活躍してきた芳枝さん。「少しでも長く」と心では願った利光さんだったが、芳枝さんの覚悟に負け「お前の好きにしたらいい」と折れた。小さな声で「ありがとう」と聞こえたのが最後になった。芳枝さんも27日、息を引き取った。姉は回復し、PCR検査で2度陰性になった。 
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     「電話のやりとりばかりで、亡くなった顔も見られない。どこか絵空事のようだった」と利光さん。死を実感したのは、遺品が入った段ボール箱が自宅に届いてからだった。感染リスクのため1カ月ほど待って開けたところ、芳枝さんの貫いた意志を示すかのように、白紙のままの人工呼吸療法の同意書が入っていた。 
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末芳枝さんの死はさまざまな報道でもとりあげられている。
このVTRの中で芳枝さんが弱弱しい声で「一生、鍛えてきた歌手としての喉がある。喉だけは一生歌い続けた証拠として残したい。」と死の直前に話したというエピソードに感動し涙する。
末芳枝さんはウイーンに留学してリート歌手として後進の育成にも尽力してきたという。この記事とVTRを何度もみて涙がこぼれた。
人工呼吸器をあえて拒否した。それは最後まで声楽家であり続けたいという強い意志の表明だったのだろう。そこには声楽家たる矜持。喉をなくしたら私でなくなるという声楽家としての矜持。もし、人工呼吸器をつけても助からないかもしれない、だとしたら呼吸器をつけないで喉を最後まで大切にしてきた声楽家としての人生を生き抜きたいと考えたのではないか。死を前に一生を振り返り最後の決断をしたのだ。そう思うと、その強固なプロとしての最後の逝き方にただただ感動して涙が出る。
安らかに。
末芳枝さんのメゾソプラノの声を追悼して、
シューマンの女の愛と人生を聞こう(白井光子、ヘル)

 
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