3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

「悲惨のなかの希望」をめぐって①

2011-06-29 08:55:13 | 東日本大震災
提言のサブタイトルの「悲惨のなかの希望」そして前文はなかなかの名文である。悲惨と対極の希望を悲惨のなかに見出そうとする。そしてこの前文のキーワードは「つなぐ」である。
人と人、地域と地域、企業と企業、市町村と国、県、国と国、をつなぐことで希望が見えてくるとする。

そして、「希望」から人と人を「つなぐ」「共生」が育まれる。共生こそが共死したものたちへの追悼と鎮魂とする。

本論
第1章の(2)-①地域づくりで「減災」の考え方が示される。②地域の将来像は「東北の地に来るべき時代をリードする経済社会の可能性を追求」があげられ、コンパクトシティと再生可能エネルギー、生態系の恵みを生かす地域づくりなどが提案されている。まちづくりについては述べられているものの、住宅についてはまったく言及されていない。

第2章 くらしとしごとの再生
くらしを再生する視点としてあげられるのは、「地域包括ケア」と「学校機能の拡大」である。学校を地域の拠点とすることが提案されている。学校、小中高学校が地域の生活拠点となり、また、地域包括ケアの拠点と併設されるというのなら、理解できる。その効果は期待できよう。学校は大切だが、被災し両親が亡くなったり、父親が亡くなり母子世帯になった子どもがたくさんいるので、被災地のための児童養護施設もまた地域包括ケアの一角に加えるべきと思う。さらに、くらしの基盤である住宅整備についてここでもまだ言及されていない。保健医療福祉の連携は、高齢者や障がい者分野だとよく言われてきたが、むしろ、母子世帯や父子世帯などの単親世帯への支援やきょうだい家族、親族とくらす子どもたちへの生活支援をきちんとこの際、考えるべきであろう。

(4)雇用についてはあまり特別な記述はない。が、(5)の地域経済活動の再生のところで②農林業の3つの戦略ーC)農業経営の多角化のなかで、農業・農村の魅力を活かしたグリーンツーリズム、バイオマスエネルギー等による新たな収入源をあげているところは評価したい。

第3章 原子力災害からの復興に向けて
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政党再編はあるのか-エネルギー政策、社会保障、市場経済を軸に

2011-06-28 07:44:27 | 政治の世界
3.11を境に、それまで硬直していた政治的再編が進みそうだ。この変化をどうみたらよいか。
3.11は歴史的にみれば、戦後の焼け跡からの復興と重なる。ゼロからのスタートである。今の日本はゼロではないが、これだけの甚大な被害を見れば、明らかにそれ以前の政治的枠組み、経済的枠組み、文化的枠組みが変わらざるを得ないことを、否、変わらなければならないことを我々は知るべきであろう。

まず、3.11以前に引きずっていたいわば戦前の旧態依然とした政治的な体質を払拭することができるかが勝負だろう。
小選挙区制になり、身内ばかりで群れをなし、数の論理で強引に押し切るやり方、少数者や異端を排除していくやり方。別の価値を排除するやり方のその先に原子力政策もあったのだ。

市場原理の強調は拝金主義を私たちの骨の髄で浸みこませ、マスメディアも金まみれとなり大衆迎合化した。

政官財さらに学までも拝金主義に陥ったのだった。

官僚機構はというと、旧態依然とした政治的体質をベースにしますます硬直化していった。省庁縦割りの事なかれ主義の横行、経済グローバリゼーションの中で国民の暮らしは激変していたのにもかかわらず、硬直した官僚制のもとで国民生活の問題は見捨てられていた。

しかし、だからといって国民がそういった状態に不満を言うかというとそうではなかった。一般大衆もまた、自らの生活の問題を抱えつつ、それが、政治の無策、官僚機構の硬直、市場原理主義の強調に起因していることなど知る由もなく、我々もまたマスメディアに踊らされていたに過ぎなかった。すっかり批判精神を忘れたころに、被災し途方に暮れている。


自民党も再編し、民主党も再編し、ついでに社民党も再編し、エネルギー政策、社会保障政策、それから、市場経済の在り方を軸に組み替えられると少しは新しい政治体制が構築できるかと思う。

エネルギー政策では原子力をどこに位置付けるか、社会保障政策では、セイフティネットを雇用と住宅、教育を含め保障するか否か、が問われる。そして、市場経済をどう位置付けるかも大きな問題だ。会社ではなく、協同組合的な組織、NPOをどう組み込むかである。

次回は、社会保障政策に市場をどう位置付けるかについて述べたい。

復興構想会議の提言『復興への提言-悲惨のなかの希望』ではどこまで希望の道筋が描かれているのだろうか。
私から見れば、やっぱり最後は自己責任、自分で希望は見出すものという、どこか、冷たい提言に思えるのだが・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑のカーテンのその後

2011-06-27 14:24:27 | 日記
5月30日に苗を植えたゴーヤに花が次々と咲いています。

黄色い花です。夏の日差しにも負けない強い黄色い花。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エネルギー政策と社会保障政策

2011-06-22 19:11:37 | 政治の世界
政治的論点は大きく次の二つに分かれるだろう。まず第一に、エネルギー政策、我が国のエネルギー政策において原子力をどう位置付けるか、再生エネルギー政策への転換の青写真を具体的に示せるか否か。第二に社会保障改革をどう進めるか、ということである。いずれにしても社会保障に関しては、増税するか否かが争点であろう。

生活保護などかなり大ナタが振るわれそうであり、警戒する。そうするとますます底辺層の生活困窮は深まり、格差は拡大すると思う。結局、増税をして社会保障をきっちり強固なものにするしかないだろうと思うのだが。法人税を上げると大企業の海外逃亡が進むかもしれないが、そこはがまんだ。当然だが、高額所得者の税率を上げることも考えざるを得ない。平時より、国難なので逆にやりやすい。
生活困窮者が増えれば社会不安は広がり、子どもの貧困は広がり、教育レベルもさがり、希望のない悲惨な国になってしまうから、早く手を打たなければならない。すでに悲惨な国になりつつあるが・・・。

年金の第三号被保険者は廃止、国民年金の個人化をして専業主婦も当然ながら年金保険料を払うことにすべきである。第3号被保険者、専業主婦の既得権、これは過去の遺物であり、専業主婦が大半を占めていた時代の制度がそのまま残っているだけのものなので、即刻廃止すべきである。いつまでもあれこれ引きずるべきではない。こういう変な制度だと未納者が増えてしまう。
これは私保険ではなく公的保険なのだ。払う払わないの問題ではない。保険料税である。
脱税をして、社会保障の大きな柱である年金の根幹を揺るがしてはいけない。


エネルギー政策について、現在、原子力関連企業で働く人はものすごい数だと思う。直接的に原子力企業にかかわらなくとも、間接的には膨大な数の労働者の生活を支えている。国策としてやってきたのだから当然であろう。再生エネルギーに転換することはもちろん可能だし、近い将来実現するための努力は必要だ。しかし、現在の原子力企業を基幹産業とする産業構造をどう転換するか、具体的な青写真を描くとなると、大変なそれこそエネルギーを要する。本人は意識していないかもしれないのだが、原発反対を叫ぶ人も実はゆるやかに関連企業に従事していたりする。再生エネルギーに転換することは大賛成だが、経済失速との関連を明確にしないかぎり、賛同を得られにくいのではないかと思う。

それにしても国会議員は保身ばかりを考えていて国の将来なんか見えていないのではないかと思われる。
社会保障のためのお金はどこからもってくるのか、もはや増税しかないとおもうのにもかかわらず、相変わらず、増税反対を唱えるおバカな議員の多いこと。
3.11以前に通用していた手法は、もう通用しないことを知るべきである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮設住宅の在り方をめぐってー阪神淡路の教訓

2011-06-20 11:50:50 | 被災地支援
仮設住宅に入居した要介護高齢者と家族が介護負担で困っているという。もともと東北地方は恐ろしいくらい高齢化率が高かったのだから、こういった問題が浮上するのは当然である。

阪神淡路大震災のとき、仮設住宅を建てるにあたって、高齢者や障がい者が孤立することなく、共同で住まうことができるようにした事例がある。いわゆるルームシェアリングのような仕様の仮設である。各部屋の中心にリビングをおき、バスルームとキッチンは共同である。そこに地域包括支援センターのような介護拠点を設け、介護スタッフを常駐させるというものだった。もちろん、神戸のときは介護保険は導入されていなかった。地域包括もなかったが、介護保険がなくとも、重層的な福祉相談、介護サービスは提供されていた。神戸では、現場の創意工夫が生かされていたと思う。地域的にも異なるとは思うが、仮設住宅建設にも現場のスタッフの意見がかなり反映されていたと思う。結果として、高齢や障害で生活支援が必要な人々のための仮設住宅はきわめてユニークなグループリビングのようなものが出来上がったのだった。高齢者たちは安心して生活支援をうけながら孤立することなかった。その後、市営住宅に転居していったが、市営住宅に移ってからのほうが、孤独死がふえたという。高層の市営住宅があまりに無機的、閉鎖的だったため、高齢者たちはどんどん孤立化していったのだった。

阪神・淡路の教訓を生かして、高齢化の進んだ東北の仮設住宅を考えるべきである。

緊急事態なので、仮設住宅は雨露をしのぐものであってよいが、グループリビング仕様のものはできないものかと思う。
バスルームとリビングとキッチンを共同にした要介護家族が暮らしやすい仮設の設計を考えてもよいだろう。とにかく、高齢者や障がい者、また、介護家族を孤立化させてはいけない。

東北は、地域共同体意識が強固である。農業、漁業を基盤として形成された地域共同体は共同作業を中心にしたものであり、これまで、緊密な人間関係のもとでその生活は営まれてきた。だから、都市的な発想で、個室、個室的空間や個々のバスルームを作るのが必ずしも受け入れられるとは思えないのだ。もっともっと共同的なものがもとめられているのかもしれない。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする