3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

with Corona の時代に 6 新型コロナウイルスは「禍」なのか

2020-07-06 10:27:19 | 新型コロナウイルス
今回のコロナの脅威で新しい言葉が生まれている。
最近はコロナコロナといっているが、COVID-19であるし、新型コロナウイルスというべきものである。しかし、このところ新聞やテレビでは「コロナ禍」を使うことがある。違和感である。
禍というのはいただけない。禍という響きも意味も違うと思う。
禍だとするとその原因究明がおろそかになりはしないか。
禍だなんて、ウイルス側にしてみれば、それは人間が勝手につけただけで、俺のことを禍と呼ぶなと怒られそうである。
ずっとこれから付き合っていかなけりゃならないものなので一過性の禍ではないことは確かだ。
コロナの脅威とかコロナ危機とかコロナショックというのは理解できる。
このウイルスによって経済危機やリーマンショックなみの危機がやってくるというのは想像できるから。
禍などとごまかしてろくな政策をうつこともしないで、神社や寺に詣でて収めて貰うというような他力本願の響きがある言葉はつかうまい。

生活保護の申請数は増えている。株価が上がったところで、その恩恵を受けるのは限られた富裕層である。
そもそも存在した格差社会、そこにさらに上乗せされたコロナによる経済危機。社会の脆弱性がますます暴露されたのだ。

最低生活さえ守ることができないようなわれわれの社会なのである。

これまでの政府の無策の結果なのである。それは禍によるものなんてものじゃない。禍であるとすれば、有効な策を即決し実行できない政府、こんな政府を支持しつづけていることが禍なのではないだろうか。コロナに対応不能な政府こそがわれわれ国民にとって禍というものなのである。

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