3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

貧困専業主婦の正体 周さんの報告書から

2019-10-30 15:00:35 | DVDノート
専業主婦世帯の貧困:その実態と要因
周さんは次のように書いている。
https://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/15060022.html


はじめに
専業主婦は、かつて裕福さの象徴と言われた。つまり、夫は一流の企業に勤めるサラリーマンで、十分な収入があるために、妻が経済的な理由で働く必要はないというイメージが一般的であった。しかしながら、1990 年代後半以降、正社員で高収入の夫を持つ妻であっても、専業主婦を選択する傾向は弱まってきていることが、多くの実証研究によって確認されている(大竹2001、小原2001)。高学歴・高収入同士の結婚が増えている一方、低学歴・低収入同士の結婚も増えており、欧米でのいわゆる同類婚(Assortative mating)の傾向が日本でも確認されるようになってきた(Raymo and Iwasawa 2005、橘木・迫田2013)。「夫の収入が高ければ妻は専業主婦になる」というダグラス・有沢法則は弱まり、夫の収入が高くても妻が働くとの傾向が強まっている。

専業主婦が裕福さの象徴といえなくなっていることは、総務省統計局「家計調査」の結果からも確認できる。直近(2013 年度)の家計調査によれば、夫のみ有業の専業主婦世帯の平均実収入は、夫婦共働き世帯より2割も低く、標準的な子育て世帯(夫婦と子2 人)に限ってみても、専業主婦世帯の平均実収入の方が10%以上低い。また、こうした専業主婦世帯と共働き世帯の経済格差は、最近起きたことではなく、2000 年度の統計からすでに確認できる。

いったいなぜ専業主婦世帯の平均収入は、共働き世帯より、これほど低くなったのだろうか。一つの仮説は、専業主婦層の中に、収入の二極化現象が起きているというものである。すなわち、旧来型の裕福な専業主婦は依然として存在しているものの、「夫の収入が少ないのに働けずにいる専業主婦」、いわゆる貧困層の専業主婦が大量に増加してきている可能性がある。残念ながら、総務省の「家計調査」や「国勢調査」、厚生労働省「国民生活基礎調査」等を含むこれまでの主要な公式統計では、専業主婦世帯の収入分布に関する情報が公表されておらず、貧困専業主婦世帯の規模を量的に把握することが困難であった。

こうした中、独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)は、2011 年11 月に「子どものいる世帯の生活状況および保護者の就業に関する調査2011」(略称:子育て世帯全国調査)を実施し、貧困専業主婦世帯の推定人数やその生活状況の公表を、わが国で初めて行った(JILPT2012)。JILPTの調査結果によると、専業主婦世帯の12.4%が、貧困線以下の収入で暮らしており、貧困層の専業主婦世帯の総数は55.6 万世帯にも上ると推計されている。この結果は、貧困層の専業主婦世帯が無視できないほどの規模で存在することを世に知らしめ、多くのメディアの耳目を集めた。

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今や、夫の収入が高くても妻も働き、高学歴同士の結婚という同類婚で裕福な層はますます裕福になり、低所得同士が結婚して、専業主婦になった日には正真正銘の貧困家庭が出来上がってしまうという構造である。低所得にもかかわらず、男が稼いで家族を養うという幻想にとらわれるあまり、自ら働くこともなく、というか低学歴だと高収入を得られるよい仕事に就けないから、しかたないのかもしれないが、じっと貧困状態に落ち込んでいくのをただただ立ち尽くしているうちにどんどん貧困に陥っていっていく。元気なうちはよいが病気や老後に至るとこの悲惨さはどん底にいたる。

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成田空港のワクワク感

2019-10-17 15:37:34 | DVDノート
江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

というエッセイを読んだ。
「20代のころ、よく行っていたのが成田空港だそうで・・・・朝の9時くらいにリムジンバスで新宿を出発して、お昼前に成田空港へ着き、一日中空港にいて、夕方になって夜になる、というのを見届けてから、またリムジンバスで帰ってくるというのを、よくやっていたんです」

!!!
成田空港にいっていたというのに驚く。

そう、海外に行かないのに国際空港に行くという感覚、すごくわかるのである。
リムジンに乗るかどうかは別として、あの海外に行くときのワクワク感を味わいたい気持ちがわかる。

「・・・ドイツのフランクフルト空港も好きです。あの空港に行くためだけにドイツに行きたいくらい。広くて機能的で、いろんなところにつながっているし、ビールが飲めるところがいっぱいある(笑)。何か、空港にいると自由な気がするんです」

同感である。
フランクフルト空港、いいいですよね。

コーヒーと焼きたてのパンとそして香水のかおりが混ざったあの感覚に会いたくて成田にいきたくなります。私も時々。
成田はヨーロッパの文化の窓口なんです。

ドイツに行きたくても行けない私はせめて成田空港でコーヒーとパン、そして香水のかおりに酔う、といったところである。


「旅 上」   萩原 朔太郎



  ふらんすへ行きたしと思へども

  ふらんすはあまりに遠し

  せめては新しき背広をきて

  きままなる旅にいでてみん。

  汽車が山道をゆくとき

  みづいろの窓によりかかりて

  われひとりうれしきことをおもはむ

  五月の朝のしののめ

 うら若草のもえいづる心まかせに。

           (『純情小曲集』 1925年刊)

朔太郎的にいえば、せめて当たらし背広きて気ままなたびにでようか、というところだ。

ドイツの街角を思い出している。
ああ、次はいつ行くのだろうか。
せめて、秋を装い、香水を振り、焼きたてのパンとコーヒーの香りに酔おうか。

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ペンタゴンペーパーズ +大統領の陰謀

2018-05-02 17:32:55 | DVDノート
GWの合間、日比谷に映画を見に行った。すごく込んでいた。
ペンダゴンペパーズ、監督はスピルバーグ。
やめられないベトナム戦争、ニクソン大統領の時代の話。

ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、アメリカの70年代のジャーナリズムがかっこいい。
新聞記者になりたくなる。

防衛省の日報問題も同じ構造である。
戦闘地域には自衛隊を派遣しないはずなので、戦闘状態と書いてある日報は表に出せない。野党に突っ込まれるから。破棄しましたとかいっていて、ほとぼりがさめた今頃になって、出てくる。

日本のジャーナリズムは弱い。ジャーナリズム魂が試されている。


さて、映画の話にもどるが、最後、ウオーターゲート事件を想像させるシーンでおわる。ニクソン大統領は盗聴でその座を追われるのである。

ペンタゴンペーパーズを見る前に、あるいは見たあとでよいので、「大統領の陰謀」を必ず見ることをお勧めする。
で、ベトナム戦争について知りたい場合は、プラトーン、7月4日に生まれて、ランボーもある意味ベトナム戦争の傷跡を想起させる作品、などがお勧めである。

沢田教一の写真なんかもインパクトがあるので、見ておく必要があるよね。

朝鮮戦争が休戦し、そのあとベトナム戦争を20年もやるアメリカってどういう国なんだろうか。
やめられないとまらない戦争。戦争をやることによって潤う人々が、戦争を支持し、若者を戦場に送る。
以来、アメリカはやんでしまった。ベトナム帰りの若者が精神を病み、仕事につけずに犯罪に手をそめるものもいた。

いまだに完全に回復していないように思える。

それにしてもこの映画、監督は男性だが、主演、原作、脚本、プロデューサーなど女性陣で固めている。
アメリカの映画界も女性パワーが席巻しているのだ。

ジャーナリズムは常に反権力、権力の犯罪的行為を暴くのが仕事であり、それに命をかけるのがジャーナリズムの本質であることを思い出させてくれる映画である。政府のポチみたいな、広告塔のようなのはジャーナリズムとは言わないのである。



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100分de名著 高慢と偏見

2017-07-07 11:04:33 | DVDノート
今週の100分で名著は、ジェイン・オースティンの高慢と偏見!
BBCのコリンファース版が出てきてすごく楽しめるのである。
2013年の夏、遅ればせながら、BBC版にはまり、以来、コリンファースのファンになったのである。

2013年の本ブログの内容を再掲しておこう。

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高慢と偏見 (BBC) コリン・ファース 版

2013-07-13 17:35:32 | DVDノート


高慢と偏見 コリン・ファース (出演)について、メモしておきたい。
さすがにBBCの作品なので、とても楽しめるDVDである。
日本語版は高いので、アマゾンUKでイギリス版を買った。英語の字幕をつければよくわかる。英語の勉強になるなあ。

コリンの声はとてもいい声でほれぼれするし、池に飛び込むシーンはワイルドでとてもよろしい。
放映されていたとき、日本でいうところのいわゆる「銭湯に人がいない状態」になったらしい。国民的小説のテレビドラマ化だから、みな楽しみにしていたのだろう。

コリンが飛び込んだ池には多くのファンが訪れるらしい。
イギリス人にもミーハーはいるのだ。

コリンのダーシーも結構素敵だ。いや結構どころではない。すごく素敵。
だんだん感情移入してしまう。
小説に準拠しているので、そこが大変よい。
だんだん、ダーシーとエリザベスの心が近づいていくのが見えるし、微妙な言い回しなどによって、小説をまるでよんでいるような気分になれる。

それにしても、内気で寡黙なダーシー、かわいくって、笑わせてあげたくなるのは私だけか?



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ファンが多いだけにこの解説をするというのは至難の業である。
第一回、朗読がとてもよかった。
BBC版を使用しながらも朗読を取り入れているところがよい。
廣野先生の解説はまあなんとかギリギリな感じではあるが、次回からが楽しみである。

ところで、ジェイン・オースティンは生涯独身であった。
そこには秘められた恋があったのである。
ジェイン・オースティン 秘められた恋 [DVD] アン・ハサウェイ (出演), ジェームズ・マカヴォイ (出演), ジュリアン・ジャロルド (監督)
それについても、本ブログで取り上げたので再掲しておくと、

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2013-09-13 20:36:59 | DVDノート


高慢と偏見のファンなのだが、ジェイン・オースティンの生涯を描いた映画があるというので、見てみた。
本当のところはわからない。
悲恋を経験したらしい。

関連文献を読むと、実際、ある男性と恋に落ちたらしい。が、その男性は財産がなく、ジェインも貧しい牧師館の娘だったから、その恋は成就することがなかったようである。
一生その人の思い出を胸に小説をかき続けていたのだろうか。

彼女の作品の中の男性のどれかがその人なのだろう。
ミスター・ダーシーかウイッカムか。
ハンサムな軍人にほれ込んで駆け落ちをしてしまう女性・・これもどこかで自分を描いているのかもしれない。

彼女が恋するルフロイ、ハンサムである。
ジェインは本当にルフロイのような男性と出会ったのかもしれない。そして、駆け落ちをしかけたか、不発に終わったか、どちらにしてもしたかったのだろう。
しかし、それはできなかった。その情熱を作家活動に傾けたのだろう。


何十年後、彼女は一流の作家として名を上げる。皆が「みて、あれがジェインオースティンよ!」と噂している。文壇で上り詰めたジェイン。
彼女の朗読を皆が望むが拒絶、そこへ、別れた彼、ルフロイが「娘」をつれてやってくる。その娘の名はジェイン。泣ける。娘の名がジェインと聞いて、特別に朗読をする。だって小説は誰のためでもないルフロイに向けて書いていたから。思い出し泣きしちゃう。


ルフロイの母は情熱的な恋をして、財産のない男と結婚し、子だくさんで貧乏である。
ルフロイは叔父に頼っている。自由に結婚相手を選ぶことはできない立場。
ルフロイは叔父にジェインとの結婚を許してもらおうとするが、貧乏な行きおくれの作家志望の娘など!と、叔父の逆鱗に触れ、撃沈。

なら、駆け落ちと計画するが、不成功に終わる。

結局、ルフロイは叔父の言うとおりに故郷の資産家の娘と結婚し、豊かな暮らしを手に入れるのだった。

駆け落ちを途中であきらめ、ジェインがハンプシャーに帰っていくシーン。馬車の中からルフロイの姿を探すジェイン。ルフロイが追いかけてくるのではという小さな期待。しかし、彼は追いかけてはこなかった。馬車の小さな窓のなかにどんどん小さくなっていくルフロイの姿。彼との最後の別れのシーン。これが一番泣ける。
誰でも一度くらいは、恋人と悲しい別れを経験するものであろうから、万人がこのシーンに共感するのだろう。

女はたぶん待っていたのである。ルフロイが猛烈に追いかけてくることを。そうしたら、馬車から降りて、駆け寄り、今度こそ二人でやっていこうとおもったかもしれない。
しかし、男はそうはしなかった。ずるい奴。ここに男の狡さがみえてくる。

ジェインはルフロイと一緒になっていたら、作家として大成できなかったかもしれない。
いや、逆に、別の作品を残すことができたかもしれず、それなりに成功し、結局、財産を築けたかもしれないのだ。
ルフロイも真面目に勉強して優秀な弁護士になったかもしれない。

人生はいくつもの岐路に立たされるシーンがある。
最善の選択とおもっても最悪の人生になることもある。

生涯独身だったジェインオースティンにも、一生ものの情熱的な恋があったのだと思うと、なんだかうれしくなる。
それにしても、時代をこえて、いつの時代も恋に泣き苦しむのは女、ずるいのは男、なのかなあと思うのである。

20年ぶりに再会するシーンで歌われているのは、フィガロのアリア
Le nozze di Figaro (The Marriage of Figaro), opera, K. 492: Act lV. Recitativo & Aria: "Giunse alfin il momento...Deh vieni"
「とうとう嬉しい時が来た~恋人よここに」

ほんと、イギリス人って(BBC)、フィガロがすきなのね。高慢と偏見もフィガロだったし。

さっそく、モーツアルトアリア集を広げて歌ってみたりしている。
もう一曲、ルフロイとの舞踏会シーン、パーセルのAbdelazer, Z. T683: Hornpipe 、とても美しいバロック。
あれほど効果的に音楽がつかわれているのをみたことがないほどである。フルロイが踊りの列に突然割り込んでくるシーン、かっこいいったらありゃしない。


ジェイン役の女優はアメリカ人らしい。彼女の英語の発音がきれいではなく、ミャーミャーした英語で、不人気。また、雰囲気も見かけも決してジェインらしさからは程遠く興ざめであったが、それ以外は実によかった。

私だったら、ウイリー氏を選ぶが・・・。ルフロイよりずっと誠実そうだから。恋愛は一瞬、結婚は一生、生活だからね。

それでは、ハンサムなルフロイの画像を!


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というわけで、我ながら日本人なのにイギリス人の国民的作家の作品に入れ込んでいるのが理解できないが、それはそれとして、日本の人にも読んでほしいジェイン・オースティンなのである。
高慢と偏見のDVDで一番素敵なシーンは、エリザベスがダーシーの妹と一緒にPfを弾くシーンだろうね。
互いに愛情に満ちた瞳を交わすあのシーンに、恋のすべてがあるというものである。ダーシーの飼っている犬さえロマンチックにみえてくる。




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舞踏会の手帳を観て

2016-09-12 16:29:54 | DVDノート
舞踏会の手帳、古い映画 1937年、フランス映画。

16歳の時の初めての舞踏会、そこで踊った男のその後をたどる話である。
主人公の女性は、夫に先立たれた。ふと、結婚前に出会った男の消息を知りたくなって、舞踏会の手帳を頼りに訪ねる。

失恋を苦に自殺をした男。
悪党になった男
司祭、理髪師、アルピニスト、あやしい産婦人科医、町長・・。

だれも幸せとは言えないその後の人生。
最後に会いに行った男は会う直前に死んでいた。
生き写しの息子。
その息子を引き取る主人公、というシーンでFIN

青春の美しい日々は短い。短いからこそ美しいのか。
少女のころ、若くてはつらつとしていて、まだ、本当の恋も知らず、人生を知らず。
それでも愛の言葉は覚えているものである。
いくつかの美しいフランス詩とともに。
あるいは、いくつかの美しい万葉集や古今和歌集とともに。

この映画ではヴェルレーヌの「感傷的な会話」が引用されていた。
http://baudelai.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-ccb4.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感傷的な会話
           ヴェルレーヌ

人気もなく凍った廃園の中
二つの影がたったいま通り過ぎた。

その目は死んで唇はゆるみ、
話す言葉はほとんど聞こえない。

人気もなく凍った廃園の中
二つの亡霊が過去を呼び起こした。

―きみは思いだすかい、昔の陶酔を?
―なぜあなたは私に思いださせたいの?

―ぼくの名前を聞くだけで今でも胸がときめくかな?
今でもぼくの魂を夢にみるかい? ―いや。

―ああ! えもいわれぬ幸福なあの美しい日々、
ぼくらの唇を合わせた頃! ―そうだったかもしれない。

―あんなに青い空、あんなに大きな希望が!
―希望は打ち負かされて、黒い空に逃げ去った。

こうして二人はからす麦の中を歩いていった、
ただ夜だけが二人の言葉を聞いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今でもぼくの魂を夢にみるかい?

このフレーズは、中島みゆきの歌にもありそうである。
中島みゆきアルバム「臨月」の最後の歌、夜曲のなかに

♪今でもあなたは私の夢をみてくれることがあるかしら♪

もし、今でも私の夢をみてくれることがあるとしたら、うれしいかもしれない。

ずっと昔に別れた恋人が今でも私の夢をみてくれているとしたら、女冥利に尽きるというもの。

舞踏会の手帳、という戦前の映画、全く偶然みたのだが、古い恋をしばし思い出し、消息をひとりひとり訪ねてみたくなるのである。

死んでしまっていたり、落ちぶれていたりする人ばかりでなく、
声もかけられないようなまぶしい人もいるかもしれない。

今ではFBで何気なく近況がわかるもので、
容貌から仕事の内容から業績の一つ一つまで知ることができるから、戦前のこの白黒の映画のように訪ねていく必要もないけれど。

それでもあったら、泣いてしまいそう。
それは悲しい恋の思い出、成就しなかった恋のため、というより、若い青春の一つ一つの場面、無垢な自分の人生とその後の人生を知っているからかもしれない。
一つ一つの恋の結末を知っているから、とにかく、懐かしさと自らの未熟さに泣けてくるのだと思うのである。

ベルレーヌやアポリネールの詩とともに、懐かしさがこみあげてくる秋の夕暮れである。







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