東京は緊急事態が解除された。解除される2日ぐらいまえからどうも解除されるらしい、といううわさが流れ、みんなそわそわしていた。在宅ワークに慣れきっている人びとはああー、このまま在宅ワークが続けばよいのに、またあの通勤地獄か、とうんざりしたり。
在宅ワークをしてみると家でお昼を食べる生活というのに穏やかな生活とはこういうものか、と改めて家に居る生活のよさを再認識したりしている。洗濯物を外に干していて急に雨が降ってきてもだれかが気づいてとりこんでくれるとか、いいなあと思うのである。
さっそく開店したデパートに人びとが殺到している映像をみると自粛蟄居という生活にいかに飽きていたかがわかるというもの。そうこうしているうちに感染第二波がすぐにやってくる気もするのだが、我々はこのウイルスの特長について、そうとう知識を蓄積してきていてちょっとは賢くなっているので気が大きくなっているのは確かである。
マスクをして人との距離をとり、手を頻繁に洗いさえすればなんとか感染防止が可能であるとか、このウイルスは、唾液に含まれていて飛沫感染するとか、だとしたら、食事中にやっぱりおしゃべるしてはいけないのだろう、とか。そういうことがだんだん明らかになってくると基本さえ抑えておけば何とかなると思うのは私だけかもしれないが、とにかく、気が大きくなっていることは確かだ。
子どもには手にうんこがついているとおもいなさい、と言ってある。そう思えばお金をさわったり携帯をさわったりドアノブやエレベーターのボタンなどやばいと思ってさわらないだろうし、さわったら消毒をするだろうと思うから。
どこかの国の人は手にペンキがついていると思いなさい、といっていたがどこの国の人もみな考えることは同じだ。
在宅ワークが続くとエッセンシャルワーカーを除く人びとはみなテレビやラジオネットニュースなど以前よりずっと目にする機会が増える。であるので、検事長の定年延長や賭けマージャン、布マスク2枚のアベノマスクの失態、10万円をすぐといいながら待ちぼうけを食らっている仕事の遅い政府のやり方・・・。とにかく不満が爆発している。自営業の人びとなどは堪忍袋の緒が切れた感じである。
マスクなど全戸配布する必要などそもそもないのに大騒ぎして何億円もかけて馬鹿じゃないかと思うし、挙句の果てに送られてきたマスクが不良品だった日には怒髪天である。われわれの国の政府は国民の健康や経済の安定など本気で何も考えていなかったということが明らかになるにつれ、みんなの怒りがここえきて爆発している感がある。
60年代70年代は政府を批判することは普通だった。最近は政権批判をするといけない空気が蔓延して息苦しかったのだが、感染症の拡大は国民のことを真剣に考えている政権というものはどういうものであるか、を他国の首相などの所作と比較して知ることになり、わが国の総理大臣と政権に対する絶望と失望はハンパないのである。
平時ならやり過ごすことでも非常時は命と生活がかかっているからみな真剣である。素人でもわかることがわかっていない、普通の企業だったらとっくの昔に更迭されているような大臣が居座る現政権の幼稚さに皆我慢ができなくなっていることは確かだ。
非常事態解除で世界が日本の不思議と半信半疑で評価している。
無策の政権、たったマスク(布)2枚を全戸支給するという愚策しかやっていないのになぜ感染拡大を食い止めているのか、本当に不思議である。衛生観念のある国民、握手をせずにお辞儀をする文化、靴を脱ぐ文化などをあげている。
しかし、私はコウ思うのである。
それは、日本の保健医療福祉関係者が身を削って使命感のみでがんばってくれているからとしか言いようがないのではないか。戦後まもってきた国民皆保険の制度がわれわれを守ってくれているのであると。
また、欧米では、高齢者施設の感染が広がっているようで、しかもケアワーカーが感染を恐れ高齢者を放置して逃げてしまったという話を読んだが、そういうことはわが国ではまだおきていない。それは、介護現場で働く人びとが高いプライドを持って働いているからではないかと思うのである。決して高くない賃金にもかかわらずだ。本当にありがたく、彼ら彼女らの給料を医師看護師と同様引き上げる必要を感じる。
わが国の感染拡大防止の裏にはエッセンシャルな仕事を大切に思い使命をもって働いてくれる人々がいるということである。
そんな人びとの努力をよそに賭けマージャンに興じる検事長などを許すわけないじゃないか。懲戒免職にしても足りないとただただ憤るのである。