3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

新型コロナウイルスの脅威14-大山鳴動してマスク2枚の貧弱

2020-05-27 09:31:35 | 病気
東京は緊急事態が解除された。解除される2日ぐらいまえからどうも解除されるらしい、といううわさが流れ、みんなそわそわしていた。在宅ワークに慣れきっている人びとはああー、このまま在宅ワークが続けばよいのに、またあの通勤地獄か、とうんざりしたり。
在宅ワークをしてみると家でお昼を食べる生活というのに穏やかな生活とはこういうものか、と改めて家に居る生活のよさを再認識したりしている。洗濯物を外に干していて急に雨が降ってきてもだれかが気づいてとりこんでくれるとか、いいなあと思うのである。
さっそく開店したデパートに人びとが殺到している映像をみると自粛蟄居という生活にいかに飽きていたかがわかるというもの。そうこうしているうちに感染第二波がすぐにやってくる気もするのだが、我々はこのウイルスの特長について、そうとう知識を蓄積してきていてちょっとは賢くなっているので気が大きくなっているのは確かである。
マスクをして人との距離をとり、手を頻繁に洗いさえすればなんとか感染防止が可能であるとか、このウイルスは、唾液に含まれていて飛沫感染するとか、だとしたら、食事中にやっぱりおしゃべるしてはいけないのだろう、とか。そういうことがだんだん明らかになってくると基本さえ抑えておけば何とかなると思うのは私だけかもしれないが、とにかく、気が大きくなっていることは確かだ。
子どもには手にうんこがついているとおもいなさい、と言ってある。そう思えばお金をさわったり携帯をさわったりドアノブやエレベーターのボタンなどやばいと思ってさわらないだろうし、さわったら消毒をするだろうと思うから。
どこかの国の人は手にペンキがついていると思いなさい、といっていたがどこの国の人もみな考えることは同じだ。
在宅ワークが続くとエッセンシャルワーカーを除く人びとはみなテレビやラジオネットニュースなど以前よりずっと目にする機会が増える。であるので、検事長の定年延長や賭けマージャン、布マスク2枚のアベノマスクの失態、10万円をすぐといいながら待ちぼうけを食らっている仕事の遅い政府のやり方・・・。とにかく不満が爆発している。自営業の人びとなどは堪忍袋の緒が切れた感じである。
マスクなど全戸配布する必要などそもそもないのに大騒ぎして何億円もかけて馬鹿じゃないかと思うし、挙句の果てに送られてきたマスクが不良品だった日には怒髪天である。われわれの国の政府は国民の健康や経済の安定など本気で何も考えていなかったということが明らかになるにつれ、みんなの怒りがここえきて爆発している感がある。
60年代70年代は政府を批判することは普通だった。最近は政権批判をするといけない空気が蔓延して息苦しかったのだが、感染症の拡大は国民のことを真剣に考えている政権というものはどういうものであるか、を他国の首相などの所作と比較して知ることになり、わが国の総理大臣と政権に対する絶望と失望はハンパないのである。
平時ならやり過ごすことでも非常時は命と生活がかかっているからみな真剣である。素人でもわかることがわかっていない、普通の企業だったらとっくの昔に更迭されているような大臣が居座る現政権の幼稚さに皆我慢ができなくなっていることは確かだ。
非常事態解除で世界が日本の不思議と半信半疑で評価している。
無策の政権、たったマスク(布)2枚を全戸支給するという愚策しかやっていないのになぜ感染拡大を食い止めているのか、本当に不思議である。衛生観念のある国民、握手をせずにお辞儀をする文化、靴を脱ぐ文化などをあげている。
しかし、私はコウ思うのである。
それは、日本の保健医療福祉関係者が身を削って使命感のみでがんばってくれているからとしか言いようがないのではないか。戦後まもってきた国民皆保険の制度がわれわれを守ってくれているのであると。
また、欧米では、高齢者施設の感染が広がっているようで、しかもケアワーカーが感染を恐れ高齢者を放置して逃げてしまったという話を読んだが、そういうことはわが国ではまだおきていない。それは、介護現場で働く人びとが高いプライドを持って働いているからではないかと思うのである。決して高くない賃金にもかかわらずだ。本当にありがたく、彼ら彼女らの給料を医師看護師と同様引き上げる必要を感じる。
わが国の感染拡大防止の裏にはエッセンシャルな仕事を大切に思い使命をもって働いてくれる人々がいるということである。
そんな人びとの努力をよそに賭けマージャンに興じる検事長などを許すわけないじゃないか。懲戒免職にしても足りないとただただ憤るのである。

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新型コロナウイルスの脅威13 ドサクサにまぎれファッショ化する日本

2020-05-16 17:14:32 | 病気
検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断で検察幹部の「役職定年」を延長できるようにする法改正案。ツイッターを中心に抗議の輪が広がり、「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿は日に日に増している。
タレントたちも異議をツイッターで発信している。
昨日の予算委員会を見ていたら、議事堂の外のデモの音がはいってきて臨場感100%だった。
こんな暴挙が許されるのだろうか。
コロナショックで国民が疲弊している隙になんという卑劣なやり方だろうか。
しかし、これまで素直でおとなしかった国民もやっと目が覚めたのかとおもう。
安倍内閣のコロナ対応がひどいもので、2ヶ月たってもたいした政策をうちだせず、布マスク2枚にこのままじゃ沈没してしまうという危機感のあらわれなのかとおもうのだが、みなが反対の声をあげはじめた。
在宅勤務のビジネスパーソンたち、日ごろは混んだ電車で通勤している時間も在宅ワークになり、テレビなどをみて疑問をもち発信しているのだろう。
多くの国民が安倍内閣の横暴と無能さにあきれ果てこんな信用できない政府は金輪際やめてほしいと心底思っているのだろう。
さらに、諸外国の神対応などをみるとわが国が到底先進国などとはいえない状況であることに失望しているのは確かだ。
他国の首相や大統領といわれる人たちが、トランプを除いてだが、危機感をもち一つ一つの言葉を選び抜いて国民に話しかけるその演説の内容、信頼と安定感に満ちた話を聞くと、わが国の総理の軽くて頭が悪くて、取り巻きのいいなりしかできない、選挙演説の域をこえられない、これまで自分の足で頭でなにもかんがえてこなかった首相の演説内容と比べ、ただただ失望と絶望でいっぱいになるのはわたしだけではないだろう。

メルケル首相の演説を聞いて、こんな首相がわが国にいたら幸せなのになあ、とうらやましく思った。
東独出身の彼女の言葉は一つ一つが選び抜かれており、自らの自由を奪われた東独時代の経験を引きながら語りかけるその姿に引き込まれ、自国の首相ではなく、メルケルさんの話で私も自粛しようと思ってしまったくらいである。
自らの手柄など一つもあげることなく、だれもがこの人を信じようと思う、そんな心に響く演説だった。

自分の利益のためにかってに強権発動して検事長の定年を延長させるなど、ファッショとしかいいようがない。
いつの時代の話なのか、治安維持法の時代の話か。
総理であろうとなかろうと、司法に立ち入ることは禁触である。そこに土足で入り込むなどとんでもない話である。
私も一人の市民としてこの暴挙を阻止するために発信したい。

コロナショックで明日のご飯もない人もいて、そういう人のことも考える必要があるのだが、それと同時に私たちは政治の公平さ、を譲るわけにはいかないのである。政治的公平があることが最低生活の安定をつくる前提であるのだから。
一歩も譲らず、この改正案を廃案にするために同じ志を持つ人と連帯し闘いたいと思うのである。





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