3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

2018.11.10 バルコニー便り 美しい秋の日

2018-11-10 11:17:49 | 日記
今日は晴れわたっている。
空はどこまでも高い。
昨日の雨で草花がいきいきしている。
イロハモミジは紅葉がはじまっているが、先日届いた小さなほうはまだ青々している。
このもみじは滋賀あたりの業者から送られてきたようなので、まだ、こちらの気候になれずにとまどっているのかもしれない。

秋なのに夏のような天気で暑いくらいである。
草花たちはまだ夏が終わっていないと錯覚して秋の風情に変化することをしばらく忘れているのだろう。

昨日は雨のなか赤坂御苑で秋の園遊会があったそうだ。
平成という元号は平成31年でおわり、と同時に次の元号に継承される。
次の元号についていろいろ推測するという人もいるらしい。

万延元年のフットボールから万延という元号があることを改めて知ったことがある。
慶応というのは漱石がうまれたときの元号だったと思う。
明暦の火事とか文化文政とか、もっとも親しみがあるのは大化の改新。
とまあ、元号もその時代の雰囲気をかもし出していてそれなりに楽しいものではある。

元号は日本人のアイデンティティなのだろう。
しかし、多くの外国人労働者が流入しているわが国において、いったい日本人はどう定義されるのだろうか。
医療の世界では、白人男性とかアジア人とか日本人の糖尿病とかそういうカテゴリーを使うことがあるらしいが、その場合、どのようにして日本人だと特定するのかはなはだ疑問である。

雅子妃は適応障害で秋の園遊会に最後まで出たのは15年前だとニュースで言っていた。
15年前、極度の適応できない環境があったのだろう。
普通、障害の分野では障害というのは最近は周囲の環境が作り出すものという風に考えられるようになっている。
周囲の環境を整える、本人にストレスがかからないように整えさえすれば改善するはずなのに、15年もの間、改善することがなかったのは、周囲がかわることをしなかったからであろう。
本人が強い意志をもっていればいるほど、そして周りの環境が強固で柔軟でないと、それだけ本人は強いストレスを感じるのだろうね。
通常であれば、まったく違った環境に身をおければすぐに改善する場合もあるのだが、次期、皇后というポジションはそれをさせなかったということなのだろう。

一般の会社などでも、まじめな社員が第一希望の日本を代表するような会社などにはいって、期待にこたえられず、あるいは、職場を過大評価しすぎて、あるいはつまらない仕事を予想に反して与えられてしまって、自らを追い詰め適応障害になることがある。良い会社にはいったのだから、辞められないし、だからといって、巨大な企業の歯車のひとつとして機能するには重過ぎる。立ち往生する場合も多々あるらしい。

草花を育てたりして自然にふれ、周囲にいるうるさそうな女官たちを遠ざけ、アメリカでもヨーロッパでも一年くらい滞在して好きな分野の勉強でも気ままにやれば回復するのに、それを許さないさないのは政治的圧力なのだろうか。

菊薫る秋の日差しの強い日にあれこれ考えているのである。
それにしても西暦になれている私にとっては興味ないが、次の元号をかんがえてみるのも楽しいものかもしれない。
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2018.11.4 バルコニー便り 梅の木はすっかり落葉したが、最後の一葉が

2018-11-04 11:46:35 | 日記
今日は、どんよりとした曇りでしかも寒々としている一日
10月末までの仕事をなんとかこなし、先ほどポストに投函、しばし、解放感に浸っている。
が、次の仕事があり、それがまだまだ終わりそうになく、PCはずっとスリープにして、すぐに取り掛かれるようにしているのだが、それがすぐにいは取り掛かるような状態にはなかなかなれず、CDを聞いたりして、やる気が出るのを待っている状態。

バルコニーは11月に入り、ますます寒々としてきて、梅の木はすっかり落葉してしまった。
最後の一葉が強風にも負けずにいつまのも落ちずにいるなあとおもってよく見るとそれは蓑虫だった。
これからますます寒風が吹くのだろうが、蓑虫は落葉することなく、春までじっとそのときをまっているのだろうね。

寒々とした庭でもよく咲いているのがゼラニウム、夏の盛りには、暑さにぐったりして強い日差しにやられ茶色くなってしまっていたが、最近はまた、息を吹き返し、青々としたその葉は秋の荒れた庭に少しの活力を与えている。

この時期の花として期待しているのは皇帝ダリアである。
「皇帝」ダリアなんて、私のイメージとは遠いのだが、ポンポンダリアならわかるのだが、皇帝なんていうのはそもそも嫌いなので、なんでこのようなものがわが庭にあるのか自分でも不思議なのだ。
が、とにかく、元気にすくすくと伸びて、いつになったら花が咲くのかこれまたわからないのだが、そのうち咲くと思われ心待ちにしている。
なぜ、皇帝ダリアなのか、晩秋になって咲く花として紹介されていたのでこれを3年ほどまえに入手したのだ。
強風でやられてしまったこともあるが、倒れても、強靭な生命力で復活し、また、次の年は芽を出すのである。だから皇帝ダリアなどと偉そうな花ではあるが、それなりに見守っているのである。

カエデは以前2つほど、結構大きいものを入手してバルコニーの両脇において楽しんでいた。しかし、一つがあるとき突然に枯れてしまった。
しばらく、一つのカエデを楽しんでいた。カエデ、イロハモミジをリビングからみると紅葉してその美しさには目を見張る。とくに晴れ渡った空の青にもみじの黄色と緑と赤が映えて本当に美しい。
また、早朝の露が朝陽に照らされて輝く様は本当に美しい。
一本だけでも十分であるが、枯れてしまったものの代わりにもう一つほしくなった。

で、先日、小さなイロハモミジを入手した。
小さいながらその姿はすでに偉大なもみじの様相を呈していて、素敵だ。
椿のとなり、リビングから見える真ん中において、眺めている。
ひとりでリビングで新聞を読んでいて、ふと庭に目をやるとそこにそのもみじが風にそよいでいたりしていて、はっとする。
名前をつけてやりたくなる。その凛とした美しさ、インテリジェンスに満ちた姿をどう表現したものか。
風にそよぎながらも、とくに自己主張するわけではないのだが、そこに高い誇りと知を感じる。
などとあれこれ考えているうちに秋の日は過ぎていくのである。

仕事に取り掛からねばならないのだが、しばし、もみじの美しさに見とれる晩秋の休日である。





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2018.10.25 バルコニー便り もみじが美しく色づいている

2018-10-25 16:44:12 | 日記
今日は快晴である。
暖かい日差し、暑いくらいである。しかし、10月も後半となり、太陽の光は部屋までは届かない。

カエデが美しく紅葉している。
緑の部分を残しつつ、赤、黄色と色を変え、秋の光に照らされて輝いている。
近くの銀杏の樹も色づいてきた。
秋になったのである。

ふと見ると椿につぼみがたくさんできている。
まだ、硬くてとうぶん咲きそうにないけれど、確かに冬の訪れを待っているそのつぼみたちは、強い存在感を放っている。

撫子が咲いている。秋の七草の一つですもの、いま咲かなくちゃとでもいうようである。

そして、菊である。
いつの間にかたくさんつぼみができている。
もう菊の季節なんだね。

菊をみると思い出す。
小学校1年か2年のころだったか、学校でみなで菊を見に行って作文を書いたこと。
いまでも小学校で菊を見に行くのだろうか。
菊人形の季節である。
遠い記憶をたどるように菊人形でも見に行こうかと思うのである。
湯島天神の菊祭りがはじまるのは11月1日からだそうである。
楽しみなのである。




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2018.10.23 バルコニー便り 雨の秋の日 医学部志望の女子を応援する

2018-10-23 15:42:49 | 日記
今日は一日雨のようである。
東京は、朝は明るかったのだが、昼ごろから雨が激しく降ったりやんだりしている。
明日は、重く緊張する仕事がある。今はその準備におわれている。とはいえ、このどんよりとして天気にどうしてもやる気がおきない。やる気を奮い立たせてというところだが、遅々として進まず、相当なストレスである。
のどが腫れて、鼻の奥が詰まった感じである。

医学部の不正入試の話がどんどん出ている。
最後の植民地なのだろうか。医学部というのは女子にとって。法学部も工学部もほとんどフィフティフィフティになっているのに、医学部はそうではない。はじめから差別され、女子は全うな評価を受けることができない。

100メートル競走とおもっていたら、ゴールが200メートル先にあった。男子は80メートルでよいという。医学部を受ける女子は200メートルの体力を要求されるのに、男子は80メートルでよいというようなもの。ばかばかしい。
よっぽどできれば別だが、同じ点なら断然男子をというその発想があまりにも時代遅れとしかいいようがない。
それに浪人は不利とのこと。天皇の手術を担当した天野先生は多浪だったよね。


時代遅れの医学部入試。医学部のおじさんたちの顔をみるにつけ、コネと口利き文化で生き残ってきた連中と思い、反吐がでる。
これは男性がもつ既得権を打ち破る戦いである。

女子はここで男子にゆずってはいけない。
多くの女子高校生、浪人女子が医学部に挑戦し、来年の春、大量の合格者がでることを期待するのである。

女子は、男子に医師のポストをゆずってはいけない。石にかじりついても獲得していってほしいものである。
それを社会的使命とするべきである。
ひとりの女子高校生の問題ではない、後続の女子たちに道を開くための戦いと思って挑戦してほしい。

どこかの金持ちのおばさん、医学部女子(私立の医学部は高すぎるよね)のために奨学金でも作ってほしいものである。


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2018.10.11 バルコニー便り  「落葉松」秋の雨の日に私の心が濡れる

2018-10-11 15:38:04 | 日記
今日は曇り、少し雨

落葉松を聞いている。
40歳ぐらいのバリトン歌手が歌う「落葉松」がとてもよい。


落葉松(作詞:野上彰、作曲:小林秀雄)

落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる
落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる

落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる
落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる

・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしの思い出が濡れる
小鳥の雨に
わたしの乾いた眼が濡れる

いいなあ、
しんみりする

こんな日は素敵なバリトンの「落葉松」がいい。

遠い日、年下に恋したことがあった。
そんな遠い日の恋を思い出し、涙ぐんでしまう秋の雨の夕暮れ





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