3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

仮設住宅の在り方をめぐってー阪神淡路の教訓

2011-06-20 11:50:50 | 被災地支援
仮設住宅に入居した要介護高齢者と家族が介護負担で困っているという。もともと東北地方は恐ろしいくらい高齢化率が高かったのだから、こういった問題が浮上するのは当然である。

阪神淡路大震災のとき、仮設住宅を建てるにあたって、高齢者や障がい者が孤立することなく、共同で住まうことができるようにした事例がある。いわゆるルームシェアリングのような仕様の仮設である。各部屋の中心にリビングをおき、バスルームとキッチンは共同である。そこに地域包括支援センターのような介護拠点を設け、介護スタッフを常駐させるというものだった。もちろん、神戸のときは介護保険は導入されていなかった。地域包括もなかったが、介護保険がなくとも、重層的な福祉相談、介護サービスは提供されていた。神戸では、現場の創意工夫が生かされていたと思う。地域的にも異なるとは思うが、仮設住宅建設にも現場のスタッフの意見がかなり反映されていたと思う。結果として、高齢や障害で生活支援が必要な人々のための仮設住宅はきわめてユニークなグループリビングのようなものが出来上がったのだった。高齢者たちは安心して生活支援をうけながら孤立することなかった。その後、市営住宅に転居していったが、市営住宅に移ってからのほうが、孤独死がふえたという。高層の市営住宅があまりに無機的、閉鎖的だったため、高齢者たちはどんどん孤立化していったのだった。

阪神・淡路の教訓を生かして、高齢化の進んだ東北の仮設住宅を考えるべきである。

緊急事態なので、仮設住宅は雨露をしのぐものであってよいが、グループリビング仕様のものはできないものかと思う。
バスルームとリビングとキッチンを共同にした要介護家族が暮らしやすい仮設の設計を考えてもよいだろう。とにかく、高齢者や障がい者、また、介護家族を孤立化させてはいけない。

東北は、地域共同体意識が強固である。農業、漁業を基盤として形成された地域共同体は共同作業を中心にしたものであり、これまで、緊密な人間関係のもとでその生活は営まれてきた。だから、都市的な発想で、個室、個室的空間や個々のバスルームを作るのが必ずしも受け入れられるとは思えないのだ。もっともっと共同的なものがもとめられているのかもしれない。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格差拡大と生活再建力

2011-06-19 17:28:04 | 被災地支援
被災地の人々の生活支援を考えるとき、さまざまな支援の在り方があるだろう。
東北三県のうち、フクシマ、個人的には福島の人々の生活をどう支援したらよいか、ずっと考えている。

天変地異はすべての人に平等にやってくる。放射能も。
しかし、その後の生活再建、復興の度合いは個人の生活力によるところが大きい。
被災前の生活の安定性によって被災後の再建力は異なるということ。私有財産制だから、難しいところが多い。しかし、憲法25条を引くまでもないが、最低生活を保障するのは国家の役割だから、国、地方自治体の責任は重い。このことを国会議員は肝に念じてほしい。


それから、ジェンダー視点で震災をとらえる必要も感じる。
わが国の女性の地位は低い。GEMは57位なのだ。防災計画や復興計画にどれだけジェンダー視点を盛り込むことができるか、大きな課題だ。

貧困問題を考え、セイフティネットを考える。フクシマの人々を見捨てず、生活と人生の再建を真剣にわがこととして受け止め、エネルギー政策の行く末を案じつつ、ジェンダー視点を盛り込んだ生活再建の方向・・・、考えることが多くて大変だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランティアを単位にすべきか否か―3.11世代

2011-06-12 10:59:21 | 被災地支援
今回の大震災で多くの大学生が被災地に入りボランティアとして活躍している。
6月10日の「朝日」の社説は「もっと!ボランティア―3.11世代」だった。大学生たちの活動をもっとと鼓舞している。
Youth for 3.11は大学生自身が立ち上げた被災地に若者を送る仕組みだ。まるで、トインビーホールや帝大セツルみたいだ。

大学生はある意味、時間的にも体力的特権階級なのだから、全力で被災地支援に活動するのはよいことだろう。
社会人ともなれば、生活に追われ、行きたくても行けない。

阪神・淡路大震災のとき、多くの若者が被災地に入り、大活躍した。1995年は「ボランティア元年」といわれた。その後、さまざまな社会活動グループに法人格を与え、活動しやすいようにという声があがり、NPO法が成立した。

ボランティアは損得なしの無償の奉仕活動だから、すばらしい。若者は活動から多くを学ぶことができる。意味なく笑顔を振りまかなければならないファーストフードのアルバイトで得られるいくばくかの金銭よりずっと貴重な体験のはずだ。

そういった被災地支援のボランティア活動に大学が単位を与えるか否かということになると賛否両論だ。
単位を与える?

20年ぐらい前の大学は出席などとらなかったが、最近の大学は出席に厳しいようだ。
講義開講数について文科省のコントロールが厳しく、なぜ、厳しいのかこれも意味不明だが、15回の講義、休講はご法度、補講せよ、ということにいつのまにかなっている。

あほらしい。

大学での出席欠席が、大学教育の非常に大きなウエイトを占めるようになるなんて大学の権威の失墜以外のなにものでもない。


大学で出席をとるなんてナンセンスだ。その考えは基本的に間違っている。大学はものの考え方、社会の在り方の方向性を議論を通して、自ら考える力を養うところだ。断片的な知識、昨日今日で終わってしまう小手先の技術などを教えるところではない。

ボラ活動に単位なんて与える必要はないというのが私の意見。

大学生の諸君、出席にこだわり、超つまらぬ講義を聞いているより現地にいこう。
自給1200円のバイトに汗をながすより、現地にいこう。
授業のことについては大学教員に直接交渉せよ。現地から学ぶことを奨励しないような教員の単位は落としてもよい。
大学教員は若者の特権をうらやましく思っているのだ。必ず理解を示してくれるだろう。そういう流れが出席回数や開講回数にこだわる文科省のやり方を崩していくだろう。そういうきっかけにもなる。それは大学教育の在り方をゲリラ的に改革していく最初の一歩なのだ。

単位にしてやりたい分野もある。
保健医療福祉系の大学生、つまり医学部や薬学部や看護学部や福祉学部などを学ぶ学生こそ、ボランティアとしてどんどん活躍してほしい。こういった資格系の学生に対して、厚生労働省は柔軟に対応すべきだ。またとない3.11世代の医療系の学生の鍛錬の場として、被災地支援のボラを奨励すべきだ。文科省よりもっと硬直している厚労省の態度が気に入らない。深い人間理解が必要な医療従事者こそ、若いときに震災ボラとして活動すべきなのだ。それが医療者としての原点になるはずだ。厚労省こそ、ボラ活動をなんらかの実習単位として認めるとかそういう柔軟な態度をとるべきだ。

3.11のような大震災に見舞われる機会はそう多くはないだろう。それに我々はもう3.11以前にはもどれないのだ。放射線医学はじめとして、多くを学ぶことができるはずだ。

3.11を境に大学教育も大きな転換をすべきなのだ。それ以前の平和ボケしているような全入時代の大学教育こそ変わらなければならない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間環境宣言ー産業化と生活破壊

2011-05-05 19:21:26 | 被災地支援
我が国において、公害が激化し始めたのは昭和40年代。そのころから、国連の経済社会理事会でも環境問題が検討されはじめた。昭和43年(1968)同理事会の第44回会議で、スウエーデンが無計画、無制限な開発による人間環境破壊について警告、国連が中心となって国際協調のもと、解決すべき人間環境に関する国際会議の開催を提案したそうだ。同年、「人間環境に関する国連会議」を昭和47年(1972)に開催することが決定、昭和45年3月に第1回準備委員会が開かれたとのこと。ウ・タント国連事務総長(当時)「現在の環境危機の問題ほどあらゆる国にとって一様に関心のある問題はかつてなかった。今こそ国連は憲章精神にのっとって、人間環境問題を解決しようとするすべての国々の行動を調和させるための中心になるべき」と演説のなかで環境問題の国際協力を熱く説いたという。昭和47年の第1回「人間環境に関する国連会議」がスウエーデンで開催、「人間環境宣言」が採択された。


1.宣言-(3)

人は、絶えず経験を生かし、発見、発明、創造及び進歩を続けなければならない。今
日四囲の環境を変革する人間の力は、賢明に用いるならば、すべての人々に開発の恩恵
と生活の質を向上させる機会をもたらすことができる。誤って、又は不注意に用いるな
らば、同じ力は、人間と人間環境に対しはかり知れない害をもたらすことにもなる。我々
は地球上の多くの地域において、人工の害が増大しつつあることを知っている。その害
とは、水、大気、地球、及び生物の危険なレベルに達した汚染、生物圏の生態学的均衡
に対する大きな、かつ望ましくないかく乱、かけがえのない資源の破壊と枯渇及び人工
の環境、特に生活環境、労働環境における人間の肉体的、精神的、社会的健康に害を与
える甚だしい欠陥である。

2.原則-(6)
〔有害物質の排出規制〕
(6)生態系に重大又は回復できない損害を与えないため、有害物質その他の物質の排出及
び熱の放出を、それらを無害にする環境の能力を超えるような量や濃度で行うことは、
停止されなければならない。環境汚染に反対するすべての国の人々の正当な闘争は支持
されなければならない。

われわれはあらためて人間環境宣言を読み返してみるべきだろう。


産業化と生活破壊、そして、それは、産業基盤の脆弱な地域に集中する。
天災地変は原発事故を引き起こした。その環境破壊によって、それは現存する機会の不平等、貧困等と密接にからみながら、生活を破壊させ、生活の問題を深化させていくだろう。

低迷する地方、そこにすでにあった貧困や生活問題、環境破壊がさらに覆いかぶさるように地場産業や農水産業を破壊していく。今回の震災、原発事故はそこから自力では生活再建できない、立ち直れない多くの人々を生み出すはずなのだ。

日銀は日本経済は一時的に落ち込むが秋ごろから復調するという予想をだしたそうだ。しかし、マクロで経済が復調するということと、ひとりひとりの生活が再建するというのは違うのだ。
被災した地域の復興はそこに住む人々の人生、生活が本当の意味で再建できたときなのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復興構想委員会

2011-05-02 14:36:39 | 被災地支援
1995年の阪神淡路の震災のときの復興委員会は当時の村山富市首相が編成した。メンバーは、以下の通りであった。

 ○下河辺淳(元国土事務次官、都市計画家)
 ○伊藤滋(東大教授=都市計画専門家)
 ○堺屋太一(作家、経済評論家、元通産官僚)
 ○一番ケ瀬康子(日本女子大学教授=社会福祉専門家)
 ○川上哲郎(関西経済連合会会長)
 ○後藤田正晴(元副総理、元警察官僚=旧内務官僚)
 ○平岩外四(経団連名誉会長、元東京電力社長・会長)

村山総理は旧社会党系だから、社会福祉の研究者をいれたのだろう。
後藤田正晴、平岩外四という大物がきちんと入っている。

今回の東日本大震災の復興構想委員会のメンバーを生活保障、すなわち社会保障、社会福祉という視点からみてみると
専門委員の白波瀬氏が社会保障や社会福祉の立場ということになっているようだ。白波瀬氏のPPTは次のようなものである。抜粋してみよう。

「地域の医療拠点の確立」としてあげているのは次の4点である。
保健師、ソーシャルワーカーによる巡回サー
ビス:高齢者、乳幼児
公衆衛生の再生、充実:感染症、心の相談
食の安全、栄養指導
医薬品の調達

「異なる専門家の連携が要」
であると、異専門職種の連携を強調し総括する。が、保健師、ソーシャルワーカーによる巡回サービスとは具体的にどのようなものをイメージしているのか不明である。
地域包括支援センターの相談体制をイメージしているのだろうか。
地域医療の拠点を確立するなら、保健師、看護師の訪問看護や相談、訪問医療こそ巡回サービスにあげられる必要があろう。
さらに突然、公衆衛生の再生充実のところに感染症と「心の相談」がはいっているが、これも詰めが甘い。


次に「地域コミュニティーを支える専門職」の重要性を説く。

生活の場(生活圏)に、医療・介護・福祉の包
括的拠点を作る.
その中心的役割を担うのが、保健師であり
ソーシャルワーカー、そしてカウンセラーであ
る.専門職の派遣と養成
専門職を束ねるコーディネーターの養成

これもよくわからない。生活の場に医療・介護・福祉の包括的拠点という、中心的役割を保健師、ソーシャルワーカー、カウンセラーが担うとあり、それらを束ねるコーディネーターを養成するとある。
今から養成するのでは、すぐに役立たないから、医師、保健師、看護師、栄養士などの医療系、社会福祉士、介護福祉士という福祉系、そして臨床心理士などの心理系の専門職をどこかが束ねなければならないだろう。


「復興を福祉のあり方から考える」
要介護者への対応
介護ケアの担い手問題
介護保険手続き上の問題(迅速な対応)
障害者への対応
障害者本人のみならず障害者を抱える家族への支援、ケア
日本語を母語としない住民への対応
多様な背景をもつものが共に生きる社会に向けた第一歩
貧困層への対応
現時点ではこの問題について、まだ顕在化していないが、今後、雇用
の問題も含めて深刻化することは疑いない.
福祉事務所が住民の福祉に十分機能するよう、生活保護に留まらな
い住民へのトータルな福祉サービス拠点のあり方を設計すべき.

つまり福祉事務所が住民の福祉に十分機能するよう生活保護をはじめとし、トータルな生活支援のためのサービスの「拠点」になるべきということなのか。

「仮設住宅の建設と生活圏の構築」では

住む場所と生活する場所
住む人の立場にたった、生活圏の構築。
医療サービスへのアクセス
介護サービスの提供
子育て支援(保育サービス、育児相談等)
公園、公民館、児童館、図書館等
雇用支援サービス(職業訓練)
仮設住宅を生活圏とするために、社会保障の
整備は不可欠

とのことである。
というか、社会保障の基本的ベースとして住宅保障を位置付ける必要があるだろう。

「少子高齢社会の新たなコミュニティモデル」
中範囲生活圏の創造
互いの顔が見える循環型コミュニティー空間の形成
女性、若者、外国人、障害者など、多様な人々に意思決定の場への
参加要請
参加型社会の形成
新しいスキル(熟練)を獲得するための積極的な職業訓練機会の提供
男女共同参画社会と生涯現役社会の実現
医療・介護・福祉サービスの包括的拠点の形成
拠点からアクセスが容易な範囲に生活圏を設定
する。ソーシャルワーカーによる訪問といった、見
守り巡回も不可欠
各種情報の収集と情報共有システムの確立

中範囲生活圏とは、どのくらいの規模をいうのか?
地域包括支援センターは中学校圏をイメージしているからその程度の規模なのだろか。互いの顔が見える循環型コミュニティ空間の形成、
きわめて抽象的であり、たぶん、これを書いている本人にもイメージがわいていないように思える。
そのあとにある参加型とか新しいスキルとか男女共同参画社会(以下省略)・・・・、これらはすべて、3.11以前に何べんもいわれ、手垢にまみれた文言である。
3.11以後の新しい社会保障、社会福祉の提示できる枠組みはないのか。

これでは、3.11以前にあった政府系の白書のおさらいをしているような気になる。
説得力に欠ける。
やはり、これまで社会保障、社会福祉の現実を知らず、現場に携わってこなかったためなのではないだろうか。

短期間にプレゼン資料を作成するのは大変だろう。
しかし、避難所にいる人々は、絵空事など期待してはいない。とくに社会保障、社会福祉のところは、生存にかかわるので、きわめて重要である。
そして、社会保障費をどうねん出するか、つまり、消費税や復興税のあらたな増税論議とも密接にからむ。清家委員が年金支給年齢の引き上げも提案されているようであるが、これもきわめてナイーブな提案で物議をかもすところであろう。このどさくさにまぎれてなんでもとれるところから、削減できるところからやってしまえ、という、火事場泥棒みたいなやりかたがみえかくれする。

避難所にいる人々が安心できるインパクトのあるものを出してほしいものである。被災地は高齢化率が恐ろしく高い地域である。年金制度にメスをいれるならそれなりの覚悟が必要だろう。

避難所とは遠いところにいるが、これからの日本がどうなるのか、不安にかられている全国の人が納得のいくようなそれでいて新しい枠組みを提示してもらいたい。
震災がなくても、不況で生活不安が蔓延していた日本、復興構想委員会は、3.11以後、希望が見える復興の道筋を描くことができるのか。
























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする