3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

避難所に暮らす人々の生活実態を明らかに

2011-04-30 18:44:58 | 被災地支援
4月19日現在、原発事故の影響などによる避難も含め、18都道県に設置された約2500カ所の避難所に約13万6千人が身を寄せている、とのことである。
2500か所に避難所人々がどのような生活を望んでいるか即刻調査する必要がある。13万人余の人々全員とはいかなくとも、避難所ごとに何人かをサンプリングして調査するか、マークシート調査のようなものでもよいから実施すべきだろう。
まず、年齢、性別、世帯構成、病気や障がいの状況、生活費、職業、これからの就労の展望、どのような場所でだれと暮らしたいかなど、簡単なものでよいので、すぐにやるべきだ。精神的な悩みについてもできる範囲でよいので聞き取る必要がある。医療の問題、それから避難所生活で衣の供給状況、食の内容と要望、入浴実態やプライバシー侵害などはないか、避難所生活でこまっていることなどだ。今の生活はすぐには解消されるとはいえずしばらく続きそうだ。避難所生活を快適にするための情報を収集する必要がある。
これは、社会学の学生や福祉系の学生のボランティアや看護学部に身を置く学生などを動員してやれば可能だろう。個別聞き取りを取り入れ、リアルな避難所生活上の問題や将来の生活の展望を明らかにすると、復興構想委員会とは違った復興のイメージがわいてくると思う。
仮設を立てればおわるものではない。体育館から出たくないという人もいるという。それは、どこかに住居が決まって住むことになったら、仲間から離れてしまうだろうし、食事の確保など本当にできるか不安だからだろう。今の生活をまず充実した安定したものにするためにぜひとも必要だと思う。

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朝まで生テレビ

2011-04-30 12:38:03 | エネルギー政策
金曜日の夜、朝まで生テレビをみた。
石川廸夫先生が出ていた。原子力第一世代だ。
原爆を受け、とことんやられた日本は、敗戦後、アメリカの提案した原子力の平和利用、この路線にのった。
みなこれから資源のない日本を立て直すのは原子力しかない、これで、経済復興してアメリカに対抗しようと思った、とのこと。そこには利権とか、有名になろうとか、そんなことはみじんもなく、ただ日本の復興を原子力のエネルギーで果たしたいと思う一心だったのだろうと思うと感慨深い。

私が個人的に存じ上げている同世代の研究者もまた同じようなことを言っていたと思う。

そして、東海村に原子力の火がともったのが1957年。
あれから幾年、2011年の大事故まで、日本の原子力発電にシフトし続け走り続けてきたエネルギー政策の来し方を振り返ると、最初にかかわった人々の情熱と底力を感じる。

今、反原発をやっている若い人々はそれに比べるとひ弱だ。飯田哲也氏は反原発の中心的な役割を果たす研究者と位置付けられているが、1959年生まれと聞くと、彼の著書や取組、発言はいつも的を射るもので共感するがやや興ざめるのだ。
高木仁三郎氏世代とは異なる。私が個人的に反原発の運動にかかわる科学者として信用するかいなかは、その業績だけではない。本当に設計に携わり、その中から、官僚や政治的圧力によって安全性がねじまげられていった矛盾を科学者として体感しているか、そこが、信頼のおける科学者かどうか、この手の科学者の真価を問う際のバロメーターである。
スリーマイルアイランドの事故は1979年、その前に原子力分野を専攻する学生の質とそれ以後では、質が違うし、思いも違う。
そのプロセスを身を以て経験しているか否か、その微妙な体感温度を大切にしたい。

萩原博子は、なにもわからないおばさんの代表として出演しているのか?そういう脚本なのかと思うが、先月にも出演していたが、いつも1か0の答えを求めるところは、やはり、奥様ワイドショー的で、うける。一般の知識もなく判断力に欠ける代表として出演しているのだろう。

香山リカは、心の問題をとりあげてもそこには社会的な視点が欠落していて、キレがない。狭い臨床、精神科医の域を出ていない発言で失望した。

結局、同じデータを詳しく提示したとしても、それを危ないと受け止める人々と、大丈夫だとする人々と二通りなのだろう。
答えは簡単ではない。最後は自己責任なのか。

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こころのケアは本当に必要なのか

2011-04-28 12:24:06 | 東日本大震災
今回の震災で被災した方々を支えるために心のケアの大切さが強調されている。
支えあいとか絆とかといったことばの大切さが常にメディアでも取り上げられる。

心のケアの大切さはわかっている。
しかし、生活不安の根底にあるものを取り除かなければ、いくら表層の心のケアをおこなったところで精神的な安定はもたらされないと思う。
不安をとりのぞくためには正しい知識がなにより必要である。知識をもっているだけでなく、それにもとづいて行動できるまでそれが身に付いていることが大切である。

福島県の原子力発電所近くで被災した人々のみならず放射能に対して大きな不安を抱いている人々にどうしたら安心してもらえるだろうか。正しい知識をもつことである。デマメールやマスコミのオーバーリアクションの情報にも批判的に見ることができるような知識、それにもとづき、正しく自らを律しながら行動できるようになれば、不安はなくなる。

放射能について、あまりに無知な情報がまことしやかに流されている。知識をもっているものからすれば、あほらしいというようなものでも、知識がなく不安にかられているものにとって、つまり取捨選択するための知識をもっていないものは、それらをうのみにし、それがためにさらに不安はつのる。増幅された不安。そして、その不安はデマメールを送信させ、全国に不安をばらまく。

有名週刊誌でも、TVなどの巨大メディアでも、必ずしも正確な情報を発信しているとはいえない、ということを私たちは肝にめいじなければならない。なぜなら、彼らは彼女らは、この福島の問題については、まったくの素人のような人たちだから。

平時なら、「偉そうに」コメントしている元アイドル?や評論家をきどるタレントたちも少しは中身がなくともなんとかなるだろう。適当に政府を批判したり、無駄遣いが多いとか、適当なコメント、大衆が求めているだろうコメントをすれば、また、次の時にも声がかかる。

しかし、今回の福島の事故については、無知なものが不確かなコメントをしてはいけないのである。視聴者の不安をかりたてるようなものいいもだめだ。
視聴者が正しい知識を得て、いざというときにでも冷静にパニックにならず、水の買占めなどに走ることなく、知的に行動できるような情報提供をすべきなのである。


被災地の人々の不安の発生源は、生活の先が見えないことである。住まいと仕事。会社の経営の先行きのなさ、仕事先からいつ解雇されるのだろうという不安。子どもの学校、進学のための教育費、心のケアの前に、かれらの不安の発生源である生活の見通しをつけることが最大の心のケアであることを知っておく必要がある。



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4.26チェルノブイリ25周年に思う

2011-04-26 16:18:09 | エネルギー政策
4.26、それは、人類にとって特別な日である。25年前の今日、チェルノブイリがあった。あの時、人類は原発事故がひとたびおこれば、共通して健康被害にあい、環境汚染が広がる世界に住んでいることを改めて知らされたのだ。原発危機地球市民として、ある種の連帯感とでもいうような共通の不安と恐怖、被害者観というようなものかもしれない。

しかし、あれだけの大事故(レベル7)があったのにもかかわらず、私たちは、この25年、懲りもせず原子力発電所を作り続けてきたわけだ。我々はそもそも、チェルノブイリ後、どのようなエネルギー政策をとるべきだったのだろうか。自問する。

チェルノブイリは崩壊寸前の旧ソ連の政治的体制を象徴していたともいわれている。だから、今回の「福島ケース」も、ある意味で、日本の政治の機能不全やそのもとで「国営企業」として位置づけられ、優遇されつづけてきた東電、そのきわめて官僚的な企業風土、体質、特権化する利害、ある種の旧ソ連における社会主義国家の末期的状況と様相を同じくしているように見える。

福島ケースはある意味で、わが国の高度資本主義経済体制の終焉を意味するのではないかと思うのである。

我々は、ひとりひとりの生活や人生を重視するより、営利を中心において豊かさを追求してきた。国益につながる大企業を優遇する政策、その結果、脆弱な企業や自営業や農業や漁業や林業は衰退し、とくに地方のまちは衰退し、若年労働者層は都市に流れ、地方はどんどん過疎化が進み、同時に人口の高齢化がおこった。限界集落、シャッター通り、市立病院の経営困難、人件費カット、財政破綻する自治体。

その一方で、六本木ヒルズに象徴されるような大量に電力を必要とするビルが東京の中心には立ち並んだ。高級な衣料品が立ち並ぶ商店街が形成された。それはやたらと明るい、明るすぎる電灯によって満たされた無機的な空間。

それを建設する労働者は外国人労働者だったり、地方からの出稼ぎ労働者だったりするわけで、しかも、そこで働く人々は、きわめて不安定な雇用形態で、使い捨てられるような労働者。生産調整のため、いつでも首を切ることができるような「都合のよい労働者群」、それによって格差の拡大、不平等社会が起きたといえる。働くことが不安で、苦役であるのは不幸な社会だ。

私たちは、ひと揺れくれば、原発事故に恐怖するという恐怖共通社会にいきる地球市民にもかかわらず、そんな社会に生きていることも忘れ、少しでも、他人よりよい給料やよいポストを望み、ブランド品を買いあさり、他人に差をつけることに優越感をもつようなみみっちい文化に浸りきっていたのかもしれない。ホームレスの人々の暮らしを横目で見ながら、自分だけはそこまで落ちないと懸命に今の生活をキープするためになにかにしがみついて生きていたのかもしれない。ひと揺れくれば、明日はすべてを失うかもしれないのに。

この25年の政治、経済、社会のシステムを検証することが必要だろう。豪奢なビルではなくとも、味のある静かな建築物のひとつひとつに思いをはせることができるような街と人々の暮らし。風のそよぎや泉の湧く音に耳を傾けるゆとりのある生活、森のなかにある都市のオフィス、その土地の独自の伝統を守り、農業や漁業など豊かな自然を基盤とした就労の場が用意された街。

一極集中をやめ、まちの規模を小さくし、人口密度をある程度、均等にしていく政策、過密でも過疎でもない。私たちが自分の存在を確認できるだけの規模のまちづくりが必要なのかもしれない。






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被災し親を失った子どもたちのこと

2011-04-21 09:40:08 | 日記
たくさんの子どもたちが被災し、そして親を失っている。地震、津波、肉親の喪失、精神的なダメージも大きい。彼ら彼女らをどう支援したらよいのか。

戦争末期の東京大空襲でも、多くの子どもたちが被災した。家を失い、親を失った。戦後の児童福祉はこの焼け跡で生き残った子どもたちへの支援から始まった。当時、上野駅地下道にはたくさんの「浮浪児」がいて、栄養失調で病死する子も多数いた。生きるために物乞いをするか、食うものを探して、窃盗をして捕まる子もいた。そういう子どもたちを「刈込」と称してトラックで「保護」し、孤児院(養護施設)へ送った。すし詰め集団収容に耐え切れず、脱走するものもいたということである。それでも養護施設で衣食住を保障され、学校に通い、中学を卒業し、まじめに働き、結婚し、家庭を作り幸せになっていった事例も多い。そこで働く職員、彼ら彼女らも戦争から引き揚げてきたり、空襲で肉親を失ったものたちだったから、そこには戦争体験という共通の悲痛な経験があり、復興のために、がんばろうという気概があり、互いに助け合って生活していた。

東北で被災し、親を失った子どもたちは、強く立ち上がると思う。精神科医や臨床心理学者はPTSDを心配するけれど、そういう子どもたちもゼロではないにしろ、基本的には子どもは支えあって乗り越えていく力をもっているものだ。被災体験という共通体験をもつ人たちは子どもも大人も、互いに共感し、互いの悲しみを共有しながら、立ち直っていこうとするだろう。別れはつらくとも、愛された記憶があればやっていけるのだ。

東北大震災で被災した子ども達の生活再建の支援をどうしたらよいのか。
学校給食が始まって、パンと牛乳だけでも楽しそうに食べている映像を見ると、学校というのは勉強や友達との交流だけでなく、給食が心身の健康保持のために大きな役割を果たしていることがわかる。生き残った親は仕事を探したり、家の片づけで忙しい。学校に子どもがいるうちは、本当に安心だ。

また、今日のテレビで、吹奏楽部の子どもたちが町の人たちのために「見上げてごらん空の星を」を演奏したと報じていた。町の人たちが涙ぐんでいた映像をみて、子どもたちの存在がどれだけ土地の人を励ましていることかと思う。子どもは力と勇気をくれる存在なのだ。自分の子も隣のうちの子もみんなで育てようと町の人たちは思ったはずだ。

学校を子ども達、地域の拠点にする街づくりは有効と思う。そこに地域包括やデイケア、ミニ老人ホーム、障がいのある人々の施設、基幹的な病院をセットにして付設する。そのまわりに商店街、そして住宅を建設する。高台にある小学校センター方式のコンパクトな街である。小学校というのは基本的に徒歩圏に設置されているから、高齢者や障がいをもつ人々もだれでも使いやすいはずである。車に頼らない。できれば路面電車を敷くというのはどうだろう。みなが車に依存し、ガソリンの調達に奔走するような社会はもうやめたほうがよい。

今回の被災地はあまりに広域であるために自治体への支援や自治体同士の連携もとりにくいと聞く。23区の自治体をたとえば、それぞれ福島をはじめとする東北の自治体と個別に支援する体制を構築する。つまり、文京区は浪江町、世田谷区は双葉町・・・、こうやって東京の大規模で豊かな自治体が複数の東北の自治体を支援するという割り当て制を1年ぐらいとって、被災した子ども達や家族を受け入れるとか、当分、東京での就職さきなどをあっせんするとか、自治体職員を派遣するとか、いろいろきめ細かな生活支援、再建への手助けができるのではないかと思う。すくなくとも23区をはじめとする東京に在住在勤のものは大量の電気を福島から供給されていたのだから、それくらいの恩返しは当然である。都庁職員や都職にある人たちは、各県の支援に回る。こういうシステムなら、担当の町でなにが不足しているか、明らかにし、それを自区に要請し、調達することも可能だし迅速だろう。区民はボランティアや物資の調達に奔走し、なければ、ほかの区に応援を求める。そうやって、効率よく自治体を経由した人とモノの流れができあがる。それぞれの避難所で何が不足しているか、避難所から退去しなければならなければならないのなら、一時的に自分の区の公営住宅に引き取るとか・・・さまざまな良い案をそれぞれ編み出せばよい。

東北の人々は土に親しむ人々である。農業や林業、漁業という自然を相手に暮らしを立ててきた人たち。東京のように寄せ集め、根無し草のような市民ではない。東京は地域共同体の枠を嫌って出奔した者たちの集まりともいえ、かなり生活感覚が違うだろう。そこに軋轢が生じる可能性もある。しかし、都民も故郷を聞けば、東北だったりする。2代さかのぼれば、岩手や宮城、福島が故郷である人も多い。東北の復興、再建に東京は何ができるか。よく考えよう。義捐金の行方を心配するより話が早い。


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