来るべき時はやってくるものである。
7月27日の夜、母がとうとう亡くなった。雷鳴とどろく、豪雨の中、逝ってしまった。
27日の夕方、見舞ったとき、かなり状態が悪く、肩で息をしていたのでもしやと思った。
手がむくんでいたのでもんでやった。振り絞るような声で「気持ちいい」と言った。それが私とのやりとりの最後の言葉だった。
夕飯を少し食べたが、夜になって急変、あっという間に亡くなった。
通夜、告別式も済んだ。
私がプレゼントしたカシミヤの紫色のカーデイガン、お気に入りだった。母のかねてからの希望で、お棺に入れてあげた。
母をもう見舞うことはないのだ。先週の今頃は生きていたのに、もう今日はいない。
最後の最後の一瞬まで、懸命に生きようとしていた。
最後の最後まで、ユーモアを忘れることなく、明日があると希望を持ちながら逝った。
子として、思い残すことはない。
来年はないかもしれないが、明日は来ると希望をもち、一日一日懸命に生きた。
母を看取って、悲しいけれど、良い看取りだったと今は安堵の気持ちでいっぱいである。
母がいつも持っていたハンドバックのなかに、子どもたちや孫の写真と一緒に小さな日記帳が入っていた。
闘病の記録、季節の移り変わりに詠んだ短歌などが、書き留めてある。
入院の時ももってきた。
今度母の遺品の整理に実家に行ったとき、じっくり読んでみたいと思っている。
万感の思いを込めて、さようならを言いたい。
7月27日の夜、母がとうとう亡くなった。雷鳴とどろく、豪雨の中、逝ってしまった。
27日の夕方、見舞ったとき、かなり状態が悪く、肩で息をしていたのでもしやと思った。
手がむくんでいたのでもんでやった。振り絞るような声で「気持ちいい」と言った。それが私とのやりとりの最後の言葉だった。
夕飯を少し食べたが、夜になって急変、あっという間に亡くなった。
通夜、告別式も済んだ。
私がプレゼントしたカシミヤの紫色のカーデイガン、お気に入りだった。母のかねてからの希望で、お棺に入れてあげた。
母をもう見舞うことはないのだ。先週の今頃は生きていたのに、もう今日はいない。
最後の最後の一瞬まで、懸命に生きようとしていた。
最後の最後まで、ユーモアを忘れることなく、明日があると希望を持ちながら逝った。
子として、思い残すことはない。
来年はないかもしれないが、明日は来ると希望をもち、一日一日懸命に生きた。
母を看取って、悲しいけれど、良い看取りだったと今は安堵の気持ちでいっぱいである。
母がいつも持っていたハンドバックのなかに、子どもたちや孫の写真と一緒に小さな日記帳が入っていた。
闘病の記録、季節の移り変わりに詠んだ短歌などが、書き留めてある。
入院の時ももってきた。
今度母の遺品の整理に実家に行ったとき、じっくり読んでみたいと思っている。
万感の思いを込めて、さようならを言いたい。