3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

100歳以上の人々センテナリアンCentenarian

2016-10-31 14:18:55 | 日記
先日、NHKで100歳、健康寿命の話をやっていた。
世の中には長生きで、100歳以上の人もたくさんいるんだ。
厚労省の資料でも、
老人福祉法が制定された 昭和38年には全国で153人でしたが、昭和56年には1千人、平成10年には1万 人を超え、 平成24年には5万人を突破し、平成26年は54,397人。   また、百歳以上の高齢者54,397人のうち、女性が47,606人で、全体の 約87.5%を占めているとのこと。

最新データだと6万人越え。

昭和38年に153人いた100歳、今や6万人を超える!?
そりゃすごい。

地中海料理がいいとか、日本料理もいいとか。

オリーブオイルと納豆豆腐味噌汁を毎日欠かさずに食べている私は長生きできるのだろうか。
慢性炎症がいけないとか。肥満もいけないので痩せなければ長生きできない。
ダイエットに励もう。

日野原先生御用達、大豆レシチンもいいとのこと。さっそくアマゾンでお願いするか。
本当に効果があるかどうかわからないが、とりあえず。

いろいろ考えてみると皆100歳を目指してひそかに努力しているのかと思う。

たとえ100歳まで健康で生きたとして、何を見ることができるかというとどうだろう。
長生きしても大地震とか戦争とかそういうのを見る、遭遇するのはつらいよね。
明治の人は長生きをして、戦争もあったけど、高度成長を経験してよかったといって死んでいったが、私たちは、長生きをして何を見ることができるのかと問うと少々戸惑う。複雑な気持ち。

R,シュトラウスの
夕映えの中で、という歌があり、その歌詞。
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/S/Strauss/S386.htm

Im Abendrot
Wir sind durch Not und Freude
gegangen Hand in Hand;
vom Wandern ruhen wir
nun überm stillen Land.

Rings sich die Täler neigen,
es dunkelt schon die Luft;
zwei Lerchen nur noch steigen
nachträumend in den Duft.

Tritt her und laß sie schwirren,
bald ist es Schlafenszeit;
daß wir uns nicht verirren
in dieser Einsamkeit.

O weiter,stiller Friede!
So tief im Abendrot,
wie sind wir wandermüde ?
ist dies etwa der Tod?


夕映えの中で (詩:アイヒェンドルフ(Josef von Eichendorff))
わたしたちは手をとりあって
苦しみや喜びの中を歩いてきた
そしていま静かな土地の上に
さすらいの足を止めて憩う

まわりの谷は沈み
空には闇が近づいている
二羽のひばりだけが夜を夢見るように
夕もやの中に昇っている

こっちに来なさい、小鳥たちはさえずらせておこう
もうすぐ眠りの時が近づくから
この二人だけの孤独の世界で
はぐれないようにしよう

おお、広々とした、静かな平和よ!
夕映えの中にこんなにも深くつつまれて
わたしたちはさすらいに疲れた
これが死というものなのだろうか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを歌うと、いつか老い、死がやってくることは避けがたいことを知る。
長生きしてもしなくても、やってくる最期をどう受け止めるか。
静かに受け止めようと思う。

これが超越するということ、悟ということなのだろうね。
年を重ねるということは、その感覚を身につけるということなんだと思う。
早死によりは長生きしたいけれど、悟りの境地にはいることができないまま長寿といっても、なんだか中身のない人生みたいでね。

そう考えること自体がストレスになりその考え方がすでに短命なのかもしれないけれど。

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パラサイトシングルの老後

2016-10-30 14:11:11 | 現代社会論
パラサイトシングルと言われる人々が今、親の介護に直面しているという。
パラサイトシングルといってもいろいろである。
まず、年齢が60歳、50歳、40代かでも事情は異なる。
そして、仕事の有無、正規か非正規か、社会保障の枠内か枠外で働いているか
親と同居しているのがパラサイトシングルの前提だが、その親の状況、
要介護か認知機能はどうか、病気があるかないか。
そして、住宅は持ち家か
きょうだいの有無。きょうだいとの関係が良好か否か。

ざっと考えるとこんな感じであろうか。

ずっとなんとなくシングルで親のすねをかじり、正規の仕事についていなかったシングルたちは親が寝たきりや認知症になるとかなりきついだろう。
一人だから気楽にそこら辺の仕事をやっていたりするが、そもそもそういう仕事は不安定だから、介護休暇制度が整備されているとはいえない。
非正規の仕事とはいえ、今の仕事を親の介護だからといってそう簡単に休むわけにもいかず、だからといって、介護保険サービスが際限なく使えるかというとそうでもなく、利用料もただではないので、苦しい。
親の年金に依存しているうちはいいが、親が亡くなってしまうと突然経済的困窮に陥ることもある。
親の年金もそこそこあればよいが、無年金や低年金だとさらに悲惨なことになる。親も子供も経済的困窮に陥る。
そもそも親に寄生しているのだから、自分ではやれない人が多い。
シングルであっても仕事をもち、自立した生活をしていればよいが、だいたいはそうではなく、コミュニケーション力が乏しいものも多い。

結婚経験もなく、なんでも親まかせだったので、家事はできない場合が多い。
さらに、メンタルな病気などがあり、親が投薬管理しているうちはよいが、できなくなるとこれほど大変なことはない。

きょうだいたちはみな自力で暮らしていたりするわけなので、今までさんざん親のすねをかじってきたパラサイトシングルの身内に対しては結構厳しかったりするのである。

で、ますます、孤立し、パラサイトたちは自らの老後も悲惨になる。
お金もなく、生活技術もなく家は親の名義なので親が亡くなったらきょうだいとわけなければならなくなるかもしれず。
売ってお金に換えて分けようという話も出てきたりすると、困ったことになる。
親のすねをかじってきたのだから、といって、そのまま家にいるわけにもいかなくなるのである。

かくして、安穏としたパラサイトシングルの暮らしは音を立てて崩れる。
シングルであっても問題ないのだが、パラサイトであることが問題を引き起こすということである。

これは大問題なのである。



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2016年秋のバルコニー便り 3 野菊を愛でるという豊かさ 

2016-10-29 09:27:07 | 日記
昨日はひどく寒い日だった。
しかもお昼ごろから大雨。
バルコニーの野菊が今、満開で美しい。
黄と赤の野菊が雨に打たれて、折れてしまった。
鳥がきて野菊についている虫を食べようとして折れたのかもしれない。
いくつか拾って花瓶に生ける。
なんてきれいな野菊。黄色い野菊はそこに小さなあかりが灯ったようである。
バルコニーの野菊をこうやって花瓶に生ける。
たったそれだけなのに豊かな気持ちになるものである。

大輪の菊より野菊が好きだ。
黄色い菊は実家の玄関に小さくさいていたものを母を見舞った帰りに根ごともらってきてバルコニーに移したものだったということを思い出した。
あるいは、もうそれは枯れてしまって、別の菊かもしれないけれど、とにかく、小さな野菊、黄や赤、白の野菊が群れて咲いている風景はあまりにも美しい。
質素で自己主張もしないけれど、根を張って懸命に小さな花を咲かせているその姿をこよなく愛している。
気が付けば、バルコニーの主の趣味にそった花々。

つくづく、私は純日本風な趣味なのだと思う。
イングリッシュガーデンなどあるけれど、結局そういうものには興味はなく、気が付けば秋の七草などが群れているわがバルコニー。

先日、朝に吹いた大風で、ダリアが倒れて折れた。
わが地味な日本風の庭に少々不似合いな皇帝ダリア、このダリアはやや異色なのだが、それが風にやられて折れた。
巨大なダリアがバルコニーに倒れ落ち、8個ぐらいついていた蕾も零れ落ちた。
どうしたものか、と思ったが、とりあえず、養生テープで補強して様子を見ているところである。
いろいろ調べるとそうやって養生してうまく復活することもあるらしい。

夏に台風でさるすべりが風にやられて折れてしまい、切ってしまった。
いろいろ調べると養生テープで復活するらしいというのを後で知ってずいぶん後悔した。
今度のダリアで試しているところである。
ゼラニウムなどもそれで復活するらしい。
植物というのはなんとか生き延びようとして皮一枚でもつながっていれば、復活しようと努力するらしい。
その生命力の強さに驚く。
まだ、4つぐらいつぼみをつけているそのダリアの生命力に期待しているのである。

わが庭の雰囲気に不似合いな自己主張型のダリアだが、それなりにかわいがっているのである。
2本あるうち、今回倒れたのは大きいほう。もう一つ小さく成長が遅い貧弱なのがある。
大きい成長の早いダリアに比べ、危なっかしい奴だが、大きいダリアが倒れたのに比べ、小さいから風の影響も受けにくく、なんとか命をつないでいる。
だんだん、この成長遅い小さなダリアに期待が集まる。

あれこれと、こうやって我が家のバルコニーは雨風に打たれながら、四季折々の花々を咲かせてくれる。

こんなふうに花々を愛でることができるのは、ある種の豊かさなのだと思う。





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日本の女がやばいことになっている 世界経済フォーラム111位の衝撃

2016-10-26 14:15:03 | 女性の地位
世界経済フォーラム2016ジェンダーギャップ報告書、日本の女性の社会進出の度合いは世界で111位!?
なんでこんなに低いのか?
女性活躍社会が笑う。

配偶者控除なんて相変わらずやっているんだから、この結果に納得せざるを得ない。
経済活動政治にも女の姿はない、というのがこの結果の示すところ。

高い教育、健康状態もいいのに、社会に出ていない日本の女。

発展途上国にはるかに追い越され、フィリピンにも水をあけられている有様。

何が悪いのか日本の女。
なぜ日本の女はこれほどまでに社会にでて経済活動や政治活動に従事していないのか?

日本の人々は、この現実をどううけとめるのか。

オリンピックでは、金メダルをと血道をあげるのに、ジェンダーギャップには目もくれないのか?

いきなりトップを目指すのは無理としても来年は、ぜひ、50番ぐらいにしたいものである。
それには、専業主婦の優遇などは一切やめて、どんどん社会で働いて、高い賃金を女性に払う、という社会のしくみに変えなければならぬ。
まずこれから始めよう。
そして、大臣、議員、知事、企業のトップ、小中高大学のトップなど、とにかく女性を登用することである。
無能でも大丈夫。地位が人をつくるから。大丈夫。

111位の汚名を返上するためにこそ我々は血道をあげるべきなのである。
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NHK 戦争と平和 とりあえず、見ていますけど 2

2016-10-24 15:35:39 | TVノート
日本語のセリフ、品がない。
ロシア貴族の雰囲気がまるでない。

イギリス人俳優もなんだかなあ。

どうしても、ロシア人によるロシア語の「戦争と平和」じゃなけりゃ嫌だと思ってしまう。

ピエール、うだつの上がらない感じはよいけれど、これはトルストイの分身ともいうべきキャラなのだからもう少し何とかならないのかと思ってしまう。
ナターシャ、品がない。イギリスの女優。少女から駆け落ち事件を経て、思慮深い女性に変わっていく過程が今一つである。つまり深みがないのである。かわいいお姉ちゃんというだけ。
アンドレイはもっと大人じゃなけりゃ。
というわけで、とりあえず見ているが、不満がたまる。ソ連の映画をyou tube で見てみたりして、あれこれ比較してみる。まあ、どれをとっても一長一短、不満は残るのだが。

ということで、結局、岩波の翻訳本を読んで、これまでの自分の抱く、ピエール、ナターシャ、アンドレイのイメージを取り戻す。
映画化というのは、わかりやすいけれど、俳優と監督と音楽などが一体となるわけで、こういう名著の映画化となるとそうとうな実力が必要とされ、BBCといえども至難の業だということなのだ。
衣装とロケにお金をかけていることは理解できる。
高い衣装をつけても中身が薄い女優なので、ぜんぜんよくない。馬子にも衣裳って感じである。

高慢と偏見、コリンファースのものを観たいと思う。
トルストイではなく、BBCはやはり、ジェーンオースティンだろう。または、シェークスピア。

NHKにおねがいしたい。

次はシェークスピアかジェーンオースティンを!

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