3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

子どものころ、なりたかった職業は

2011-07-31 13:49:09 | 日記
子どものころなりたかった職業は、という質問に何とこたえようか。
ピアニストかオペラ歌手か、いえいえ、指揮者です。
芸大の募集定員は3人、年によっては合格者ゼロだったりして、特に女子は皆無、クローズされた世界でした。
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断捨離決行中ーHandel - Concerto Grosso in B Minor HWV330を聴きながら

2011-07-30 13:26:05 | 日記

明日までの仕事、気が重い。資料作成に専念しなければならないのにもかかわらず、なぜか今日は午前中から断捨離決行である。
書類の山をバンバン捨て片づけている。

書類の隙間に写真を発見、「若い!」
わが身の5年前の写真に驚く。

会議の資料、退屈な会議が多かったが、10のうち1ぐらいはメンバーが面白く、今でもその縁で仕事が舞い込む。
一期一会、ひととの出会いは不思議だ。我々のソーシャルネットワークは広いように見えて以外と狭い。そこで出会った人々は大切にしたいと思う。
人生は以外と短いのだから。

断捨離にふさわしいかどうかわからないが、今日は、Handel - Concerto Grosso in B Minor HWV330の気分。
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近代合理主義がいけないのか、否、ムラ社会の残滓こそ問題なのだ

2011-07-29 14:13:12 | 福島原子力発電所事故
原子力発電所の事故で、近代合理主義に対する批判が高まっているようだ。自然を破壊し、ねじ伏せようとする西欧型の開発にたいする批判とも受け取れる。
しかし、そういった言説は必ずしもあたっているとは思えないのだ。
むしろ、政策決定過程におけるムラ社会的、つまり前近代的社会システムが問題なのではないだろうか。ムラ社会的政策決定のスタイル、まるでその残滓のようなかでものが決められる現実。表面的に近代合理主義によって塗り固められたわが国の社会システムそのものがもつ病理がもたらした事故であり、開発の結果だと思う。

ムラ社会をいかに脱却するかが最大の問題だ。政治も経済システムも会社も大学も・・・。
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再びのJohannes Brahms: Nanie, op. 82

2011-07-27 13:53:29 | 日記
再びJohannes Brahms: Nänie, op. 82を聴く。

まさに正真正銘の駆け出しの頃、大変お世話になった先生がつい先日なくなった。 
精一杯の弔意を込めて、Johannes Brahms: Nänie, op. 82を捧げる。

高齢になり入退院を繰り返していたとうかがっている。寄る年波には勝てないとはいえ、尊敬する先生がひとりふたりとこの世を去るのは、実に悲しいことである。
未熟だった私。にもかかわらず、いつも大きな心ですべてを受容してくださっていたのだろう。
心からご冥福をお祈りしたい。敬虔なクリスチャンであった先生に。ケルン大聖堂の写真とともに。

 
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日本の貧困率を下げるには

2011-07-26 10:14:12 | 女性の地位
清貧の専業主婦のところの続きである。
労働者階級の専業主婦の貧困率が極めて高いという結果を受け、とどのつまり、日本の貧困率を下げるためには、この労働者階級の専業主婦の経済的自立、就労の保障、雇用対策が必要である。
これらの層の女性たちを労働者層に誘導する就労意欲が高まる施策が必要ということである。
保育サービスの充実、職業訓練のチャンス、のみならず、彼女とその夫たちの意識改革がもっとも必要なのかもしれない。
今後、大量の生活保護層を創出しないための予防的施策として必要なことではないかと思う。
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