3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

森友学園問題をどう追及するかー日本のマスコミの力がためされている

2017-02-28 11:26:49 | 現代社会論
首相が辞職に追い込まれるくらい大問題の森友学園問題。
国有地だから、国民はこの問題を注視すべきであるし、総理大臣がからむ田中角栄ロッキード事件ぐらい大きなスキャンダルである。
財務省も絡んでいるので、官僚組織にも打撃になる。

しかし、今日のワイドショー、北朝鮮問題には熱心だが、森友学園の問題は追及の手が緩い、緩すぎる。どのような圧力がかかったのか。
これでは、日本のマスコミがいかに軟弱であるかを証明するようなものである。
権力に立ち向かうのが、マスコミの役割のはずであるのに、これじゃあ、マスごみと言われても仕方ない。

森友学園は安倍の支持基盤である日本会議と深くつながっている。
当然、便宜を図ったと考えるのがふつうである。名誉校長が安部の妻であることからも明らかである。
いくら、乞われたからと言って理念に賛同し、共感していなければ名誉校長なんかになるわけがないし、思想的に近いし、支持してくれるのだから、便宜を図ったのだろう。それが常識である。もし、違うというのなら違うという根拠をしめすべきである。名誉校長にどれだけの報酬が支払われていたのかも追及すべきである。これは学園の会計を見れば一目瞭然である。

粘り強く証拠を集め固めて、一つ一つ崩していく必要があるだろう。が、それはマスコミの本来のお仕事、神髄なのだから、頑張ってほしいものである。

ワイドショーなんて、ショーだから期待できないが、それでもどれくらい骨があるか、見比べてみたいものである。全滅だったりして。
しかし、一般大衆の意識を喚起する意味において、ワイドショーはある一定の役割を果たしているわけなので、責任は重いのである。
築地市場の問題はけっこうやっていたが、今回はあれだけの情熱をかける気があるかどうか、TV、新聞、比べれば手に取るようにわかるものである。
マスごみかマスコミか、本当の力がためされていることをマスコミ関係者は肝に銘ずるべきである。

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高齢者を75歳以上とすること?無意味である その2

2017-02-26 19:24:00 | 現代社会論
75歳以上を高齢者とするという老年医学会の話。
余計な話である。

私は日ごろ、無年齢でやっている。
ときおり、自分の年齢を意識しはっと気づくことがあるが、たとえば、種々の申込書などを記入する場合、年齢、性別、住所、氏名という感じで問われることが多い。
そんなときは年齢を気にする。
しかしだ。通常、まったく気にしていない。
老年医学の見地からみると75歳以上を高齢者にするのが妥当とおもうのかもしれないが、だからといって、高齢者のイメージを明るくするためにとかいうのは、そうコメントしてるようだが、大きなお世話だと思うのである。
最近は75歳を超えても元気な人が多くなっているという事実だけを伝えればよいのに、高齢者の概念などと大上段に構えて、世の中変えましょうなどと不遜である。

健康面からみると年齢による虚弱化は75歳あたりからが強くでる、というのなら、なんとか我慢して受け入れようが、上から目線で高齢者の定義などと老年医学をやっている医師等が概念を規定し変更を迫ることの意義がどこにあるというのだろうか。なんであんたたちそんなに偉いの?そもそも無意味だろうに。

実際、定年は確固としてあり、労働市場からの撤退を余儀なくされることは変更ないのだし、年金支給年齢も企業年金、厚生年金、国民年金と少しタイムラグがあるが、それもとりあえず、変更ない。というか、75歳なんかになったら餓死する高齢者が多発するからやめたほうが良い。

また、介護保険は40歳以上が利用可能であり、多くは65歳以上が対象となる。75歳以上にするなんて、もってのほかである。介護が必要な年齢はまったくもって読めないものだから。

あとは、映画館がシニア料金などを設定しているが、60歳だったりするし。
公立小学校や中学高校の先生は60歳定年。
大学は様々だが65歳から、私学は70歳か68歳ぐらいか。

会社員は、55歳で役職定年、その後、60歳ぐらいまで働き、そこからは一年契約みたいな感じで働いているようである。業界にもよるが。

芸術の世界は年齢による制限はまったくないし、75歳という規定をもうけ、それ以前を准高齢者だって?馬鹿言ってんじゃないよ。まったくのナンセンス。

この音頭をとっているのは、東大の医学部の先生で、虎の門病院の院長の大内何某だそうだが、笑っちゃう。
団塊の世代らしい。
自分が元気なので、高齢者というくくりにはまりたくないために、75歳まで働きたい、という個人的願望からこの規定を設けたようにも思えてくる。
この先もずっと虎ノ門の院長させてほしい、だって、75歳までは元気だからさあ。
といっているようなもの。

年齢なんてぶっ飛ばせといいたい。

そんなの関係ねえ。
これだけ、個人の生き方が多様化した今日、まして、超高齢化社会で、大量の65歳以上の人々がいる時代、年齢や性で個人の生活や人生の在り方を区分すること自体、違うのではないだろうか。
年齢モデルはもう古いのである。
年齢より、年金や所得の状況、病気や障がいの状況、家族、住居などの状況で生活の在り方を考える時代になっている。
年齢なんて、本当に忘れてしまうものだから、75歳としましたといわれても、ああ、そう、で、終わりなんだが・・・・。

大内何某という東大医学部の先生、こんなくだらないことに時間を費やす暇があったら、もっと患者と付き合って、いかに年齢で区分することが無意味であることを学習すべきなのではないだろうか。

まったく、ムカつくのである。




 
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森友学園、国有地法外価格での払い下げ問題を追及せよ

2017-02-25 17:03:34 | 現代社会論
トランプ政権がCNNなど、トランプに批判的なメディアを記者会見からシャットアウトしたという。
こんなことがまかり通るアメリカってどうなのか。終わっているよね。
でも、日本だって、トランプ政権ほどあからさまではないが、メディアのコントロールはかなりされていると思う。
NHK、読売、フジ産経、日経など、とりあげる記事や報道の仕方など、朝日や毎日と比べるとかなり抑えられていると思う。その朝日毎日もコントロールされているとは思うが。

あまり深く考える習慣がない読者はこういったいわゆる大本営発表を鵜呑みにして、こうして体制維持的な雰囲気が作り出され、そして民主主義は形骸化していく。
これはやばいのである。

森友学園の話、大きなメディアはもう取り上げなくなっている。
圧力がかかっているのだろうか?それとも自主規制か、スポンサーからの圧力か?

議員の追及も甘い。質問はしても、型通りの答弁にさらに畳みかけるような質問をして食い下がるということをしない。もどかしい。
あたしだったら、いい加減な答弁に対し、証拠を示せと食い下がるだろうに。

メディアの話に戻るが、とにかく、こんな巧妙に仕組まれたメディア規制をやっていると、本当に戦前期のあの時代と同じになっていく。
その危険をメディア関係者はどれだけ感じているのだろうか。

マスコミは襟を正し、とことん、森友学園と安倍の関係を追及すべきである。でなければ日本のマスコミは死んだといわざるを得ない。
北朝鮮や中国を笑えない。
巧妙に仕組まれた言論統制に我々は気づかなければならないのではないか。

日本の知識人たちはなにをしているのか。

大学人も馬鹿な業績づくりだけの研究などやめて、PCにしがみつく生活をチェンジし、国会議事堂へ目を向けるべきではないだろうか。

これは日本の危機だけでなく、アメリカ、イギリスも含め、世界の危機であり、世界のメディアの本当の力量が問われているのであるから、もっと頑張るべきなのである。
大本営発表を疑う、常に批判的に見て問題を衝いていく、本来それがメディアの役割であろうに。
情けないったらありゃしない。

こんなにぼーっとしていると、あっという間に大変な事態になり、取り返しのつかないことになる。本当に危機的状態であることを我々はもっと知らなければならないのではないだろうか。

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2017年2月末のバルコニー便り メジロがやってきて甘い汁を吸っている

2017-02-25 16:38:52 | 日記
2月も末となり、日に日に陽ざしは暖かくなっている。風が強く寒い日もあるが、バルコニーに入る日の光の量が格段に増え、一歩ずつ春は確実に近づいているのだ。

おなじみさんの小さなメジロ、人影を察知してすぐ逃げていたが、最近は、この家の人は危害を与えないようだと少し気を許して、私がいてもかまわず、椿の蜜を吸い続けるようになった。
そして、火鉢の池の水を飲み、再び飛び立っていく。

ヒヨドリ、よく来る2羽のうち、小さいほうが勇気があるらしく、私がいてもだんだん慣れてきた。
一度、大きい奴と一緒に椿の蜜を吸いに来たが、大きい奴のほうが怖がりで、すぐ逃げていったのに、小さいほうは、大丈夫だよ、といわんばかりに、平気の平左で蜜を吸っている。

メジロは本当に小さい鳥である。手の平サイズ。
小さいのに丸々と太っていて、かわいい。

梅の花が満開になりつつある。
梅っていうのも、なかなか美しい花である。
2月の最初ごろはつぼみがびっしりあるがいかにも堅そうだったので、いつ咲くのかと思っていたのだが、この1週間あたりで次々と咲いている。水をやると花びらが水をはじいて、朝の光に照らされて、それが何とも言えず美しい。
近づいてみると花の香がほんのりとする。子規がこの梅の花を愛した句を作っていたなあと思い出す。

遠くのお寺の桃(たぶん)が満開で、そこだけ、ピンク色に浮き上がって見えるがそれも風情のあるものである。

2月は28日までしかないので、もうすぐ3月。
別れの季節がやってくる。
今年はいつもより定年退職の人が多い。
お世話になった方々を送るのは寂しいものである。

バルコニーの明るい春の日差しも別れの季節となるとなんとはなしに物悲しく思えてくる。





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アメリカにはもっと社会民主主義が必要であるー日本もそうだけど。

2017-02-12 17:00:46 | 現代社会論
アメリカはあらゆるものが市場化し、そのなかで医療、教育、福祉などの市場主義にはなじまない分野まで入り込んでしまった。そのため、一分富裕層は別として、自力でやれない人々は転落しかないような状況に陥っている。
産業の構造が変わって相当高い専門技術がないとよい働い口がえられないようになっている。これは日本も同じである。
一人前の労働者になるには、時間がかかる。それを自力でやろっっていうのは無理というもの。
そこで、公教育の充実、低額な料金でスタンダードなレベルの医療が受けられる、介護や保育などのサービスも所得に関係なくある程度のレベルのサービスが得られる、最低限度の生活ができる程度の年金額の保障、というような仕組みがないととんでもない社会になってしまう。
自己責任は大切だが、やれることとやれないことがあるのである。だから、税金や保険料というものによってお金を集め、みんなでなんとか支えるという仕組みが必要になる。だって、われわれはいつでも元気で頭もクリヤーというときばかりではないからね。
それを、資本主義という経済システムを維持し、議会制民主主義という仕組みを堅持しながらやろうとするのが、いわゆる社会民主主義というやつである。
社会主義体制を目指す前段階が社会民主主義という考えがあるようだが、池上彰がどこかの番組で解説していたが、それは大間違いである。
社会民主主義は北欧の国々、あるいは、戦後のイギリス福祉国家などがこの仕組みを基礎とする社会システムをつくっていた。
アメリカもそれなりに社会保障を手厚くやっていた時代があったが、レーガン以降、市場化をはかり、社会保障システムは民間会社などにやらせるようにして、国は最低しかやらないようになった。
で、あれから、30年余、アメリカの社会保障は崩壊し、その結果、1%の富豪と99%の不安定層ができあがってしまったといえるのかもしれない。で、多くの人が医療さえ受けられずに死んでいっている。
なんて、ひどい国なのか、それを放置していていいのか。
アメリカにはもっと社会民主主義的な社会システムが必要である。移民難民であろうが、だれもが社会保障システムのしくみのなかにはいるべきである。それが、19世紀末から先進工業国の人々が叡智を集めて考えだした仕組みである。
だれかが贅沢をつくしているうちに他のだれかが治療を受けることなく死んでいくなど、そんな社会がいいわけがないじゃないか。

知恵蔵による社会民主主義の解説は次の通りである。
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社会民主主義

階級闘争と革命を志向するマルクス主義と区別して、議会への進出によって労働者の利益を図る路線を社会民主主義と呼んだ。20世紀に入ると西欧の多くの国で労働組合を基盤とする社会民主主義政党が議会政治の有力な担い手となった。そして、第2次世界大戦後、イギリス、ドイツ、北欧などで社会民主主義政党が政権を取り、福祉国家を整備した。現在では、新自由主義を推進するアメリカモデルと社会民主主義を推進するヨーロッパモデルとが政治の対立軸を形成している。日本ではかつての社会党(現・社会民主党)がマルクス・レーニン主義に強く影響されていたが、社会民主主義の担い手となる有力な政党は存在しなかった。しかし、貧しい地方に補助金や公共事業費が投下され、競争力の弱い業界が護送船団型の規制によって保護されてきたことによって、日本ではヨーロッパと異なった方法で相対的な平等が達成された。この点を捉えて日本の経済システムを社会民主主義的と呼ぶこともある。新自由主義改革を追求した小泉政権は、自民党抵抗勢力と官僚が支えてきた日本的社会民主主義システムと戦っていたということもできる。ただし、本来の社会民主主義政策を体系的に掲げる政党が存在しないことが、日本における政治的対立を分かりにくくしていることは確かである。
(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)

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民営化というのは、一見良いように見えるし、大衆はそうだと支持しがちであるが、もうちょっと引いてみるとそれだけではないのである。
いろいろな角度からみないといけないので、単純ではない。悩ましいのである。
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