3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

母を看取る時 4: She is dying.

2013-06-30 18:54:18 | 日記
今日の母の様子。
お昼は、完食だった。これは驚きである。
まだまだ、大丈夫なのだろうか。

おかゆ、流動食のおかず3品、ヨーグルト、ゼリー、デザートのメロンジュース、これらすべて食べたので少しうれしい。
午前中に見舞い、午後は帰宅する。
もう帰るのかというが、少しの滞在でも頻繁に、が、よいのではないかと思う。

帰宅後たまった仕事をと思うが、なかなか切り替えることができず、効率頗る悪し。

母の容態は確かに悪いのだが、先が見えないので、仕事はどんどん滞る。で、こちらの心臓には悪い。
仕事と親の看護、介護の板挟みで、つらいというそういう年齢になったのだなあ、と思う。
仕事と子育てが終わると、ほぼ同時に仕事と親の介護がやってくるのだ。その時は、子は、それなりの社会的地位だから、責任が重く、親の介護に専念することはできず。

もっとも、子育ての時期は、仕事でもキャリアを積む時期だから、それは、それで辛いものである。
子育てをあきらめ非婚やディンクスを決めた人々は、仕事に専念できるから、子育てに時間を割くことはない。

子育ては選択できても、だれにも親はいるから、親の介護は必ずやってくる。親が長生きしてくれるのは祝福すべきことであるはずなのである。

子育て、親の介護、そいういう人生サイクルのなかで必ずやってくるイベントに対して、はやり、きちんとした強固な生活基盤としての社会サービスが必要だよね。
これに予想外の病気やけがなどが加わることもあるから、ますます社会保障制度として盤石なものを作る必要があるだろう。
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なぜ若い女性たちは性別役割分担に賛成するのか。

2013-06-30 15:31:51 | 女性の地位
2013.6.29のNHKデイベート番組を最後のほうだけなのだがちらちらみた。
女性が“すべて”を手に入れるために 、というのがテーマだった。
男だってすべてを手に入れる人は少ないのだから女だってそう簡単ではないと思うが、上昇志向がなければなにもできないし、社会も変える必要があるのだから、社会変革の視点も必要だろうに。

で、なぜ、若い女は性別役割分担にこんなに賛成するのかわからになあというデータ。

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内閣府が昨年12月15日に発表した「男女共同参画社会に関する世論調査」結果で、「夫は外で働き,妻は家庭を守るべきだ」という考え方に対する賛成は51.6%で,97年(平成9年)の調査以来,15年振りに逆転したとのこと。※調査は10月11〜28日、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施した。有効回収率は60.7%(3,033人)

この質問を始めた1992年(平成4年)から前回調査の2009年(平成21年)まで一貫して「夫は外で働き,妻は家庭を守るべき」が減り、反対は増える傾向が続いていた。今回初めて反転した。

世代別の「賛成派」以下の通り。(  )内は前回(2009年)調査
  20代 50.0%(30.7) +19.3
  30代 46.7 (40.4) +6.3
  40代 45.6 (37.1) +8.5
  50代 43.4 (36.3) +7.1
  60代 54.0 (42.2) +11.8
  70代 63.5 (55.7) +7.8

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こういう若い女性の意識傾向が専業主婦傾向を加速化させているのであろう。

別の調査結果では、女性の貧困化が明らかになっている。
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 勤労世代(20~64歳)の単身で暮らす女性の3人に1人が「貧困」であることが、国立社会保障・人口問題研究所の分析でわかった。2030年には生涯未婚で過ごす女性が5人に1人になると見込まれ、貧困女性の増加に対応した安全網の整備が急がれる。

 07年の国民生活基礎調査を基に、同研究所社会保障応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した。一人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代で32%、65歳以上では52%と過半数に及んだ。また、19歳以下の子どもがいる母子世帯では57%で、女性が家計を支える世帯に貧困が集中している。

 貧困者全体の57%が女性で、95年の集計より男女格差が広がっていた。非正規雇用などの不安定な働き方が増え、高齢化が進むなか、貧困が女性に偏る現象が確認された形だ。

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専業主婦を志向しても非婚だったり、離婚したりして、結局女性は貧困となる。
だから、女性は働いて経済的に自立したほうがよいのである。
真面目に生活設計、人生設計を考えれば、専業主婦などあぶない生き方であると思うだろう。
また、必死に勉強して難関大学に入った女性たちは、そう簡単に専業主婦にはなりたくないし、ならない。もったいなくて男に食わせてもらう人生なんて選ばない。


結局、女は家庭などと言っているうちは、まだまだ幻想の世界で遊んでいるにすぎないのである。そういう意識で結婚しても不幸になるだけであることを若い女性たちは知るべきである。

この若い女性たちの保守傾向は、なぜおきるのかといえば、この20年、保守層からのフェミニズムへの批判、ジェンダーフリーへのバッシングが功を奏したというべきなのではないかと思う。20年まえの男女平等の流れは、とくにこの10年鈍化し、逆行している。男女平等より性別役割分担にシフトした保守的な教育がこのところ展開されてきたと思う。女性の性は軽んぜられ、メディアにおける女性の取り扱いは、若い、かわいい、スタイルがいい、3サイズ・・という男性に都合のよい女性像を持ち上げ、女性たちもおろかにもそういった偶像に自らをあてはめようと必死になってきたように思う。

ほぼ同じ時期に、グロ-バリゼーションの波が押し寄せ、雇用の多様化、年功序列や終身雇用が崩れ、非正規雇用が拡大し、そこに、サービス産業を中心として多くの女性が労働力が雇用され吸収されていくが、それは、所詮、景気の変動に左右される安全弁としての労働力という位置づけであり、キャリアを積み重ねる専門職などではなかったわけである。いつでも家庭に戻れる範囲で働くことを期待さる女性労働力。

女性の労働力を生かせない、これが、世界から取り残され、世界で戦えない日本を作っている。日本の現実の姿である。




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ジェーン・オースティン「高慢と偏見」出版200年:いつの時代も男女は同じだね

2013-06-27 15:02:27 | 日記
英女性小説家ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」が出版されて200年、作品は今なお人気を集めているのだそうだ。
200年前、1813年1月13日に最初に出版されたそうである。

一般教養の英語で、読んだような記憶がある。
原語で読んだそのときは、フェミニズム真っ盛りの時代だったので、男女の婚活の話がなんだか滑稽だった。が、200年たっても男女の結婚をめぐるかけひき、母親の活躍、父親の無関心、財産家の独身男のお相手探し・・・、結局、同じようなことが繰り返されているように思う。女性の学歴が上がり、エリザベス的キャラクターの女性は増え、ジェーンみたいなのは、少なくなったようだが、ミセス、ベネットは依然として健在!

DVDもいくつもある。
ローレンズオリビエ版
BCC版
ハリウッド版

ハリウッド版は見たことがあり、実は、Mr. Darcy のファンである。
声のよさと物腰の優雅さがたまらず、物憂げな瞳、だれにも言えないのであるが、ファン、相当なファンである。
Matthew MacFadyen!




その後、このダーシー様は容色衰え、主役はないらしいが、ソフトなよい声、英語の発音は、ダーシー様の雰囲気ぴったりと思う。
エリザベスは、きれいだが、笑った顔が下品で、しゃべり方もよくなくて、嫌いである。

BBCのダーシー様のほうが大人気のようだが、筋骨たくましすぎてちょっと引いてしまう。
BBCのエリザベスは、決して美しいとは言えない俳優であり、興ざめである。

ハリウッド版は、話が短くて、登場人物の心の動きが描き切れていないのでかなり物足りない。
とはいえ、ダーシー様がでているのだから、それだけでOKです。

ご興味があるかたは、DVD「高慢と偏見」をご覧になるか、ダーシー様のファンのためのサイトをご高覧ください。
http://www.fanpop.com/clubs/matthew-macfadyen-as-mr-darcy/images/34345588/title/mr-darcy-fan-art-fanart




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政治家の醜聞:やはり恥ずかしい日本人はぶちこむべきである

2013-06-27 12:46:09 | 女性の地位
6月27日発売の「週刊新潮」(新潮社/7月4日号)と「週刊文春」(文藝春秋/同)、それぞれ、安倍内閣を揺るがしかねない首相側近の“下半身スキャンダル”を報じているという。
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新潮~

 衆議院で議長、副議長に次ぐ地位の議院運営委員長を務める佐田玄一郎衆議院議員の買春疑惑
佐田氏は東証一部上場企業の佐田建設社長を父に持ち、2006年には第1次安倍内閣で行政改革担当相に就任したが、自身の政治団体が10年間にわたって、実際には存在しない事務所費約7800万円を政治資金収支報告書に記載し閣僚を辞任した。

 記事によると、佐田氏は6月21日の夕方、東京・湯島のラブホテルにひとりで消えたという。90分後に裏口から若い女性が出ると、20秒後には佐田氏も裏口からホテルをあとにしたという。ホテルの従業員が「うちは男性や女性、一人での入店をお断りしています」ということから、2人はホテルの待合室で合流したのではないかと推測している。というのも、新潮ではホテルから出てきたこの若い女性に直撃し、事の顛末を聞き出しているのだ。この女性は東京六大学に通う20歳の現役女子大生で、上野のキャバクラでアルバイトをしていた際に佐田氏と出会ったという。この女性に対し佐田氏は、国会議員であることを隠し、バツイチの建設会社社長で、実際は60歳にもかかわらず、50歳や51歳と言っていたという。

文春~

  自民党の安倍政権で内閣副大臣を務める西村康稔衆議院議員が昨年ベトナムを訪れた際に複数の女性を相手に買春したと、相手をした女性が告白している。西村氏はその日の夜、ベトナム・ホーチミン近くにある、日本人の間では有名なカラオケクラブへ行き、個室のカラオケルームでその店に在籍する約200人以上の女性のうち7人とカラオケを楽しんだという。ここまでなら日本のキャバクラなどと変わらないが、この店では別料金でチップを払うと女の子をお持ち帰りできるシステムがあるという。西村氏は彼女ら7人を自らが宿泊していたハノイの5つ星ホテルのスイートルームに連れ帰り、その7人の中でもお店で人気のある3人を選び、残りの女性は帰したという。選ばれた3人の女性と西村氏は一緒にシャワーを浴び、マッサージをしてもらい、性的行為に及んだ。3人に対し西村氏は、総額600ドルに満たないくらいのチップを渡したともいう。もちろんベトナムでも買春は刑法で禁止されている。

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こういう話題を書くのも汚らわしいが、政治家のスキャンダルなので、取り上げざるを得ない。
保守的なおじさんたちは、買春について、なんの罪悪感もなく、だからこうなるのである。しかし、あまりにバカというか、脇が甘い。
政治家としての自分の立場をまともに考えればこういう行動は絶対にしないだろう。

バカとしか言いようがない。
こういうのを正真正銘のバカというのだろうね。

あまりに恥ずかしい。
恋人だとか愛人だとかそういうのならまだ許せるが、金で若い女性を買う、外国へ行って、羽目を外して女を買う、など女性の人権をどう考えているのだろうか!

買った男性を禁固刑にしよう。そのくらいすれば日本の男どもの横暴を抑え込むことができる。
従軍慰安婦発言にしても、結局、女性の性を軽んじる、金で買う、男の性はコントロール不能という発想が根底にあるということであり、そういう文化をこの際一掃すべきなのだ。そういう時期にきている。遅きに失するが。理性はないのか?こういう人たちに。

1999年スウエーデンでは、買春禁止法が施行され、男性が買春すると処罰されることになった。
同年、児童ポルノ禁止法も施行され、全面禁止となっている。1965年に児童買春児童ポルノ禁止法の最初の法ができている。

女性の性を大切にすることは人権を大切にすることである。

買春をした国会議員は、すぐに首にして ぶち込む べきである。 



イタリアのベルルスコーニ元首相が24日、未成年女性の買春や職権乱用などの罪で禁固7年の判決を受けている。
日本は甘いことではいけない。
男は買うものなどと言って、甘やかしてはいけない。それは先進国のなかでは恥ずべきことである。


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母を看取る時 3: She is dying.

2013-06-26 20:07:57 | 日記
いよいよ母は衰弱し、自分でご飯を食べることもできなくなってきた。
おかゆを3さじ、ゼリーとヨーグルトとミキサーにかけた桃、が今日のお昼。
昨日は「明日、死ぬかもしれない」といい、今日は、「あと2~3日だね」などという。
6.13に入院した時は、そらんじている万葉集を一首詠んでみたりしていたが、このところは、そういう気力もわかないらしい。

意識ははっきりしているが、日に日に声も細くなり、聞き取れないほどである。

左足の股関節にできた腫瘍がうずくらしく、痛がるので、今日はしばらくマッサージをする。

雨が降っている様子やお見舞いに来た親戚の人たちの話などをし、他愛のない会話のなかで、それでも少し笑ったりして、一日過ごしている。
静かな時間がながれ、その日を待つ。

その日はいつ来るのか、子どもの私は、仕事の段取り、親戚への知らせの手順など、頭の中で少し考える。
人ひとり、長い人生を終えるのは、大変なエネルギーを必要とするのだなあ。
足しげく病院に通い、思い出話をする、それくらいしかできないが、そうやって人生をたどりふりかえりることも大切な別れの儀式なのだと思う。何の変哲もない時間、ひとつひとつが大切な別れの儀式。





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