注水停止実は継続のニュースにはみんな驚いた。でも、私は想像できる。
東電本店と福島との間にある緊迫感の温度差。
現場を取り仕切る吉田所長としては、現場の状況から注水を中断することなどありえなかったのだろう。
官邸の顔色をうかがう本店、東電という会社を守ることに勢力を注ぐ本店、しかし、現場は体面やこれまでの安全神話などを守ることなどまるで意味がないこと、ナンセンスであることを痛感していたに違いない。これは世紀の過酷な事故なのだ。現場はいかに事故を最小限に抑え放射能汚染の拡大を防ぐかをかんがえることが使命なのだ。現場の状況からみて注水を停止することなどありえなかっただけだ。注水を停止したらさらなる爆発がおきてしまう。
本店と現場の意見の対立、それはこれまでの東電体質をかんがえれば当然かもしれない。
保身のために嘘をつく。優等生の行動スタイル。東電はこれまで100点満点であることを演出してきた。いつまでも100点を取り続けることなどありえないにもかかわらず、そうしなければ許されないとおもいこんでいたのかもしれない。30点とっちゃって、お母さんに合わせる顔がなくて、しばらくかくしておいて忘れたころに出してくるねじまがった優等生みたいな東電。
現場はとうの昔に優等生なんかやめていた。おなかにズシンとくる仕事がメインのガツン系でないとやっていけないのだから。現場の荒っぽい労働者と一緒に働ける人じゃないとやっていけないのが、原発研究者技術者なのさ。
政治の茶番、内閣不信任案、世界から笑いもんになるだけなのに、なぜわからないんだろう。
無能な政治家を選んだ私たちが悪いのか、それとも生まれたときが悪いのか。何もいわずにだまってやり過ごすのは簡単だが、なんとかしなければならない。日々の生活の忙しさに紛れ、私たちはあまりに政治から遠ざかってきた。政治の季節は1960年代で終わり、その後経済の時代になり、次に文化の時代といわれたが、果たして我々は豊かな文化を築いてきたか疑問である。電源三法、経済に支えられた乱開発、その上にたってきた狂乱の文化。そんななかで、知識人たちは、政治に関心を持つことに脱力感をおぼえ政治的虚無に陥っていた。もう一度、あのころに立ちかえり政治を語ることが必要なのだろうか。そのエネルギーが残されているかどうか・・・わからない。
東電本店と福島との間にある緊迫感の温度差。
現場を取り仕切る吉田所長としては、現場の状況から注水を中断することなどありえなかったのだろう。
官邸の顔色をうかがう本店、東電という会社を守ることに勢力を注ぐ本店、しかし、現場は体面やこれまでの安全神話などを守ることなどまるで意味がないこと、ナンセンスであることを痛感していたに違いない。これは世紀の過酷な事故なのだ。現場はいかに事故を最小限に抑え放射能汚染の拡大を防ぐかをかんがえることが使命なのだ。現場の状況からみて注水を停止することなどありえなかっただけだ。注水を停止したらさらなる爆発がおきてしまう。
本店と現場の意見の対立、それはこれまでの東電体質をかんがえれば当然かもしれない。
保身のために嘘をつく。優等生の行動スタイル。東電はこれまで100点満点であることを演出してきた。いつまでも100点を取り続けることなどありえないにもかかわらず、そうしなければ許されないとおもいこんでいたのかもしれない。30点とっちゃって、お母さんに合わせる顔がなくて、しばらくかくしておいて忘れたころに出してくるねじまがった優等生みたいな東電。
現場はとうの昔に優等生なんかやめていた。おなかにズシンとくる仕事がメインのガツン系でないとやっていけないのだから。現場の荒っぽい労働者と一緒に働ける人じゃないとやっていけないのが、原発研究者技術者なのさ。
政治の茶番、内閣不信任案、世界から笑いもんになるだけなのに、なぜわからないんだろう。
無能な政治家を選んだ私たちが悪いのか、それとも生まれたときが悪いのか。何もいわずにだまってやり過ごすのは簡単だが、なんとかしなければならない。日々の生活の忙しさに紛れ、私たちはあまりに政治から遠ざかってきた。政治の季節は1960年代で終わり、その後経済の時代になり、次に文化の時代といわれたが、果たして我々は豊かな文化を築いてきたか疑問である。電源三法、経済に支えられた乱開発、その上にたってきた狂乱の文化。そんななかで、知識人たちは、政治に関心を持つことに脱力感をおぼえ政治的虚無に陥っていた。もう一度、あのころに立ちかえり政治を語ることが必要なのだろうか。そのエネルギーが残されているかどうか・・・わからない。