木古内町サラキ岬は、勝海舟や福沢諭吉などを乗せて初めて太平洋を横断し、激動の幕末から明治維新に活躍した咸臨丸(オランダで製造)の終焉の地である。
咸臨丸は、明治時代には開拓使の輸送船として活躍したが、仙台藩(伊達氏)の家老片倉小十郎の家臣達401名を移住させるため、北海道小樽へ向け出航し、その途中北海道木古内町和泉沢沖で暴風雨により遭難し、サラキ岬で沈没した。
津軽海峡を望む風光明美な場所に、郷土の歴史遺産である咸臨丸をテーマにして、約80種5万球のチューリップ花園を初めとし終焉記念碑や咸臨丸モニュメント、オランダ風車型休憩所などが整備されている。
サラキ岬のチューリップ花園は、咸臨丸が木古内のサラキ岬に眠っていることを知った、当時のオランダ北海道人会会長の松本善之氏から「咸臨丸終焉の地に誕生の地であるオランダの国花を植えてほしい」と咸臨丸の偉業と功績を讃えるためにチューリップの球根が贈られたことが始まりとのこと。
○木古内・薬師山の芝桜
薬師山は標高80mほどの小山で、国土地理院の地形図に記載されている道南の最低山である。新緑の5月、その側面には一面ピンク色に輝く芝桜が群生する。国道228号沿いに市街に入ると目にすることができる。芝桜に囲まれた展望台からは、木古内市街や津軽海峡、周辺の山並みの絶景が広がる。隣接する萩山との山中には、整備された遊歩道もあり、そこも歩いてきた。
○花より団子
帰路途中の農道で今年初ゲットのタラの芽・・・早速夕食のてんぷらに
日本一おいしいと思う濃厚な当別トラピスト修道院売店のソフトクリーム
チューリップおばさん、面目躍如ですね。このブログへのコメントのハンドルネームもうどんおばさんから改めませんか?
今までなら気に留めなかったと思うのですが、このブログで見たばかりだったので、はっきりした意志を持って見られました。
道外の方に限らず、この広い北海道の片隅に住んでいる道民にとっても、このブログは大事な情報提供源です。
私のチューリップは1割弱の40種類ほど開花しました。
先日の「ふるさと講座」で、その時の道新ニュースの中でも、私を特に注目していただいたのですが、さらに特集記事を企画していただき、取材を受けました。金曜日のオホーツク版で紹介される予定です。
たかがチューリップですが、されどチューリップ。心の糧としてのチューリップを語ります。
掲載後、またお知らせしますね。
http://www.kaiyou-maru.com/kaiyoumaru/kaiyou01.html
今後とも北海道や道南のことを発信していきますので、どうぞ!
他北海道の現在を教えてください。
今年は、こちらも花が大幅に遅れていて、○○祭りが2週間ほど延期というところがたくさんあります。
それにしても205種類とは凄いですね。
今日は、カメラ、携帯、ビデオカメラの三種の神器で、公園のいろいろな催しを撮影しました。周囲の畑では、ようやく今日からビートやジャガイモの植え付けがスタート。その中を、なんだか罪悪感を感じつつ、初めて公園でゆっくりしました。
木古内のチューリップと風車は、歴史的な意味があるとのことで納得です。上湧別チューリップ公園にもなぜか風車が建ち、オランダの職人さんが作った木靴が置いてあり、オランダの民族衣装のレンタルがあり…
私は一週間前の講座で、思わず 「実は、私はオランダの真似をしているのは嫌です」と言ってしまいました。
旧・上湧別町では、昭和30~40年代に私の夫の祖父が中心となり、北米にチューリップ球根を輸出していました。ところが、オランダのダンピングによって価格競争に負け、農業としてのチューリップは衰退してしまったのです。オランダは敵国。そんなオランダを形だけ真似するのではなく、上湧別チューリップ公園は上湧別らしさでいってほしい、と、生意気に発言してしまいました。昔の生産者になりかわって。
でも、難しい理屈は抜きにして、チューリップはいいです! 思わず笑顔になり、元気が出ます。
芝桜もなかなか開花せず、花関係の観光地は本当に大変な年となりました。これから一斉に咲いてくることでしょう。
上湧別チューリップ公園は今年、205種類です。