ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




長濱薬局。墨田区京島3-62。2009(平成21)年1月19日

前の通りは十間橋通り。バス停は「文花三丁目」で、向かい側が文花3丁目。すぐ西に曳舟たから通りとの「たから十間橋」交差点で、この辺りにそういう橋があるのかと思ってしまうが、十間橋は北十間川に架かる橋で、最近は東京スカイツリーの撮影ポイントとして脚光を浴びている。歩いて15分くらいかかるだろうか。
長濱薬局は出桁造りの家の全面を看板建築にしたものだろう。あるいは二軒長屋なのだろうか。本体の家と歩道との間に細い三角形の余地ができていて、そこに増築したようにも見える。家の右側は車庫に改装している。
下の写真は長濱薬局の隣に並ぶ2棟の二軒長屋。



2棟の二軒長屋。京島3-62。2009(平成21)年1月19日

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二軒長屋+貸家。墨田区京橋3-62。2013(平成25)年5月5日(3枚とも)

当ブログ前回で取り上げた横丁。十間橋通りに近いほうから北の方向を見ている。つまりこの横丁は写真奥で鍵形に曲がって通りへ出る。ブログ前回の「二軒長屋」は写真の一番奥の右側にある。
古い平屋の家作が3棟並んでいるように見えるが、正面は下の写真のように、一見、平屋の三軒長屋に見える。その左の1戸は右の2戸とは屋根が別に見えて、たぶん一戸建ての貸家らしい。この組み合わせで3列に並んでいるわけだ。
昔の航空写真を見ると、この横丁の両側に6組ずつ、12組の「二軒長屋+貸家」が立ち並んでいたと判る。今もそのうちの4組が残っているのである。横丁から奥にある一戸建ての貸家は改装されて使われているのもあるかもしれない。



1枚目写真手前の二軒長屋と一戸建貸家の正面



1枚目写真真ん中の二軒長屋の横と裏側

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四軒長屋。墨田区京島3-61。2013(平成25)年5月5日

橘銀座商店街の西をほぼ平行に通っている通りに二階建て木造長屋が並んでいる。その長屋の北の端の長屋の脇から入る路地をのぞいたのが左の写真。右に平屋の民家(たぶん二軒長屋)、左に個々に改装されているが、二階建ての四軒長屋である。奥には古い平屋の瓦屋根の家が見えているが見通せないのでちょっと入りづらい感じがする。しかしそうも言っていられないので奥へ行ってみると、路地は鍵形に曲がったあとはまっすぐに十間橋通りに抜けている。区立第四吾嬬小学校のすぐ西の横丁の、もう一つ西側の横丁ということだ。
右の写真は四軒長屋を奥から見たもの。


二軒長屋。京島3-61
2013(平成25)年5月5日

1枚目写真の奥の家を表側(南側)から見た写真。手前は二軒長屋だろう。奥の赤い瓦屋根の家は一戸建ての貸家かと思う。この2棟はくっついて建っていて、合わせて三軒長屋とも見えるが、航空写真をよく見ると2棟の間に隙間があるようだ。写真左端の車の止まっている路地の向かいには、この二軒長屋+貸家の形の古い家が3組残っている。

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民家。千代田区富士見2-5。1986(昭和61)年9月23日

富士見2丁目の高台から飯田橋3・4丁目の低地へ下りる坂道の降り口辺りにあった家。わりと最近も見ているから今もあるかと思っていたが、ストリートビューを見たら建て替わっていた。
写真の家はモルタル塗の壁のせいでアパートのようにも見える。玄関の両開きのドアもアパートだか、あるいは医院にあるようなものに思える。この建物で面白いのは、通りに面した1階の半円窓と大谷石の門だ。門柱には「麹町區富士見町二丁目十番地一」の表札がかかっている。
1枚目の写真で工事用フェンスのところは、1986年の地図では「桜丘学園第一校舎」で、それを取り壊したところだろうか。つい最近まで駐車場になっていたのではないかと思うが、今は高層のオフィスビルが建ったようだ。


2009(平成21)年5月23日

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左:すし信。千代田区富士見2-3。1985(昭和60)年8月4日
右:学友書房。富士見2-3。2004(平成16)年1月3日

すし信は早稲田通りの青森県会館の隣にあった。現在はビルに建て替わって、その1階はドトールコーヒーだ。現在の青森県会館は撮影時の地図では「青森県職員東京宿泊所」で、今のビルの上階にはその宿泊所があるのかもしれない。
写真の建物はタイル張りの壁面にした看板建築になるのだろうか。かなり高級な店のように見える構えである。3階の窓の周りと軒の銅板によるものと思われる装飾で洋風の感じに受け取れるが、1階の造りや2階の引き戸の窓と庇などは和風である。

右写真の学友書房のビルはすし信と同番地だがそことはちょうど反対側にある。写真右奥のビルは日本歯科医大付属病院。学友書房をネット検索すると「東京朝鮮学園学友書房」という出版社があり、壁面の字を「学校法人朝鮮学園教科書出版所」と読めば符合する。建物は昭和38年の空撮写真に写っている。この辺りがビルに替わっていく、その最初期のものと思う。
写真では空き家のような感じもする。その後取り壊されて駐車場になっていたが、ストリートビューではビルの建設工事中のようだ。



富士印刷所。富士見2-3。1988(昭和63)年1月15日

1・2枚目写真と同番地の東南の角で、写真左へ行くと早稲田通り。角の富士印刷所から左へ、八百武、国際のクリーニング、区立富士見福祉会館。現在は看板建築の3棟はそれぞれがビルに建て替わった。八百武と国際のクリーニングはそのビルで今も営業している。

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洋館。千代田区富士見2-12。1988(昭和63)年1月15日

早稲田通りから東京警察病院(現在は移転)の方へ入った病院の向かいにあった家。周囲は病院や学校が立ち並んでいる地区だが、写真の家があったところは一戸建て住宅が100軒余りも集合していた住宅地だった。昭和22年の空撮写真では、そこが焼け野原になっている。ただ警察病院の南に焼失を免れたらしい家並みがあり、写真の家もその1軒になる。
外観は一応は洋館であるが本格的なものではないようで、中身は日本家屋で前面を看板建築的に洋風に造ったようにも見える。それだけにいたって親しみやすい感じがする。玄関の引き戸・外灯・欄間にあたるところのステンドグラスは和風な意匠と言っていいだろう。


1986(昭和61)年9月23日

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八百峰商店。千代田区富士見2-11。1985(昭和60)年8月4日

JR飯田橋駅の西口を出ると早稲田通りで、その通りを南に向かうと駅に近い辺りは商店街である。八百峰は東京警察病院の先にあった。『昭和の東京3千代田区』(写真:加藤嶺夫、発行:デコ、2013年、1800円)の写真を見るとかなりの間口である。出桁造りの日本家屋だが二階の高さがやたら低い。二階の床は一階の屋根の付け根より半間くらい下にあるはずだ。出桁造り商家のなかでも明治期など早期に建てられたものに見られる構造らしい。現在はビル(峰ビル―八百峰の「峰」?―、1階は東京厨房、1994年9月竣工)に替わった。


小池薬局。富士見2-11
1988(昭和63)年1月15日

写真右は木村ビルで八百峰の左にも写っているビル。その1階は飲食店のようだが、その店構えは現在の「YamiTuki」というカレー店でも使われている。
小池薬局はモルタル仕上げの洋風看板建築で、代表的なデザインの一軒。現在はビル(馬場ビル)に建て替わって、その1階で店は続いている。

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