ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




新逢橋。小田原市栄町3-19、20。2010(平成22)年7月9日

国道255号線の広小路交差点から南にまっすぐ通っている道路がある。その道路を少し南にいったところで古い橋を見つけた。下の川は下水くらいにしか見えず、橋といってもごく小さいもので、長さよりも幅のほうが何倍もある。「新逢橋」「昭和三年十一月架橋」の表札がはまっていた。
調べてみると、川は渋取川という。『 国土地理院>2万5千分の1地形図』では、小田原駅の北に見える山の、裏の谷が源流のようで、市役所の少し西から川の表示が現れ、国道1号線の山王橋のすぐ北で山王川に合流している。川のほとんどは点線で表されている。つまり暗渠になっている。Googleマップなどを見ると、何箇所か水面が顔を出すところがあり、新逢橋もそんな箇所である。

渋取川は小田原城の東の備えとして土塁を築き、その外側に堀の代わりに通したものという。地面を掘って土塁を盛り上げ、掘った跡に水を引き込んだということだろう。川自体が小田原城総構(そうがまえ)の遺構なのであった。「蓮上院裏外郭土塁跡」という史跡が残っているそうだが、ぼくは知らなかったのでまだ見ていない。
小田原町詳細図(1929年)』ではまだ暗渠になっていない川筋をはっきりたどれる。この地図では渋取川の東は水田である。そこは酒匂村とか足柄村で、小田原町の外だったらしい。水田の縁に沿って流れる渋取川を見ると、江戸時代には農業用水路として整備されたのではないかとも思う。



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