左:加藤伍。右:その裏の路地。中央区日本橋人形町3-4。1982(昭和57)年8月8日
左写真の家は芳町通りの一誠の角を北へ入ったところ。看板は「かつみ・身ごろも・○○発売元/加藤伍株式会社/東京店」だろうか。商品がなんだか分からないが呉服関係だろうか。現在は3階建ての住居に建て直されている。その家の玄関脇に、写真の建物にある2階窓の上の飾りと柱の上の飾りが1個ずつ残されて置かれている。
右写真は加藤伍の裏手の路地。
末広亭(ラーメン)。日本橋人形町3-7。1985(昭和60)年1月
人形町通りの人形町交差点から少し北のところ。現在、この一角はビルの建設が始まって写真の3軒とも取壊されている。ラーメン店の建物は、解体前はいろは寿司になっていた。写真左の建物は撮影時では日本橋信用金庫本店、解体前は東京シティ信用金庫。右は吉仲理髪店。
末広亭は以前は井上花店。煙草も売る花屋で、商売替えしたもの。向かいにあった寄席の名前を拝借している。明治33年の『東京営業便覧』に「伊勢屋(煙草商)」で載っている。
その左、日本橋信用金庫のところは、大正15年の『人形町気分』に「井筒屋香油店」、昭和8年の火保図では「井筒ヤ油店」、昭和30年頃の火保図では「井筒屋商店」。井筒ポマードは聞いたような気がする。『琺瑯看板>石鹸・化粧品』の「井筒明花香油」の琺瑯看板の解説に井筒屋商店の沿革が記されている。マッチラベルは昭和初年のものと思われる。
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こちらのブログは私も好きで時々拝見させていただいておりました。
何かの縁で、近隣に勤めた事もあり、現在は住んでおります。
古き良き建物が無くなっていくのは寂しいですが、こちらのブログで懐かしんでおります。
これからも末永く運営いただける事を祈っております。
コメントに「かつみの京都本社である加藤伍」とありますが、「かつみ」が店名なのでしょうか? ネットでは「和装卸の老舗、加藤伍(本社京都市、社長加藤肇氏、資本金六千万円)」というのが見つかりました。その東京支店だったのでしょうか? 金閣寺の北山文庫と関連しますか?
なお、加藤伍の名前は、加藤家では家督を継いだ際に加藤伍兵衛の名も継ぐのですがその名前が会社名となっていたかと。(昭和になり家督後の名前を名乗る機会も少なくなりましたが、加藤肇氏も確か15代目加藤伍兵衛だったかと思います。)