あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中村義明 ロマンス実る

2016年11月04日 04時19分35秒 | 大蔵榮一

そういうある日、
私は中村義明の呼び出しを受けて、彼の家をたずねた。
「 蔵さん待っていたぞ、さっそく 『 皇魂 』 に 原稿をかいてくれよ 」
と、中村がいった。
大岸の原稿が演習がいそがしくて間に合わんらしい、
そこで私にその穴埋めをしろというのであった。
このころになると中村は、私を 「 大蔵 」 と呼ばずに 「 蔵さん 」 と呼ぶように打ちとけていた。
「 オレは分筆の徒ではないんだ。首から下だけでご奉公するのがオレの身上だ。
原稿だなんて無茶をいうな 」
「 なんでもいいから書いてくれよ 」
「 書くことと考えることはまっぴらだよ 」
と いった問答を繰り返しているとき、速達郵便がとどいた。
相当部厚い 大岸からの原稿であった。
おかげで私は、にが手の作業から解放されることになった。
「 いじめてやろうと思ったのに、あんたは運のいい人だ。
ときにきょうはひまだろう、今夜は僕に付き合ってくれ、いやとはいわさんからな 」
私はうなずいた。
二人でゆっくり晩飯を終わったのが八時ごろであった。
「 蔵さん、これから外に出よう 」
私は中村に従って外に出た。
彼は麹町通りに出て車を止めた。
「 どこに行くんだ?」
「 黙ってついてきなさい 」
車がどこをどう走ったか見当のつかないうちに、とある薄暗い露地に止った。
「 どこに行くんだ?」
私は、再び質問した。
「 あの家だよ 」
中村が指した方向を見ると、板べいに囲まれた家の二階の部屋であった。
障子に電灯の光が明るかった。
「 あんたはここで待っていてくれ 」
と いいのこして、中村は いそいで板べいを上りはじめた。
「 おいやめろよ、泥棒みたいなまねはよせよ 」
私は小さな声でたしなめた。
中村は私の声に耳をかそうとしないで、
苦心の結果板べいを上りきって部屋の窓までたどりついた。
私は中村の挙動をヒヤヒヤしながら見守るばかりであった。
露地は人っ子ひとり通らない静かな夜だった。
「 だれだッ!!」
下の部屋から大声がどなった。
びっくりした中村は板べいから露地に向かって飛び下りた。
たまたま露地の片隅に積んであった砂の上に飛び下りたので、
中村は砂の中に顔をつっ込んでしまった。
口の中にもだいぶ砂がはいったらしい。
「 ぺッ、ぺッ 」
砂を吐き出す中村のかっこうは見られたものではなかった。
 中村義明
目ざす部屋の中の住人は、中村の意中の人であった。
中村義明が東京に進出してから二、三人の学生と共同炊事をしていたことは、
先に書いた通りであるが、
その中のある学生に一人の姉がいた。
津田英学塾出の才媛さいえんである。
学生時代から少々赤味がかっていた関係で、
いつか中村と話し合う仲になっていた。
というよりも
中村の方がその女性にぞっこん参ってしまったという方が正しいらしい。
その女性に私を引き合わす目的で、
今晩の度はずれた中村の行為となったようだ。
厳寒から堂々と名乗りを上げてアプローチせず、
夜這いじみたかっこうで近づこうとする態度に、
むしろ中村らしい ほほえましさを感じて、
私には好感のもてる閑日月の一コマであった。

この女性はとうとう中村に射止められて、菊
薫る (昭和十年 ) 十月に中村と結婚して、
中村よし と名乗るのであるが、
この夜私は、
みめうるわしき彼女の顔かたちに接するせっかくのチャンスを失したのである。
九月の末、私は中村の訪問を受けた。
「 蔵さん、頼みがあるんだ、
いよいよ結婚しようと思うんだが、
まとまった金はなし、
何とか安く上る方法を考えてくれよ 」
「 九段の軍人会館を使おうじゃないか、
オレが交渉してやろう。
結婚は形式なんてどうでもいい。
問題はあとをうまくやればいいんだ。
で、挙式の予定は何日だ 」
「 十月のはじめがいい 」
「 ヨーシきた、それでいこう 」
結婚式は予定通り十月一日 軍人会館で挙げた。
参列者は新郎側として増田次郎 ( 日本発送電総裁 )、
中村三郎 ( 海南島で銃殺 )、それに私、
新婦側として海野晋吉 ( 弁護士 ) など数名という寂しい挙式であった。
だが、
内容はすこぶる充実したものであった。

大蔵栄一 
二・二六事件への挽歌 から


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