あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 ようし、通ってよし ! 」

2019年04月04日 11時13分18秒 | 丹生部隊


・・・リンク→  歩哨線 「 止まれ !」 
< 二十六日 >
參謀本部ガ憲兵隊ニ移ツテカラ、其ノ方ニ行ツテ、主ニ第二部關係者竝參謀本部聯絡者ノ詰所附近ニ居リマシタ。
其ノ間、殆ンド雑談ニ耽ツテ居リマシタ。
斯クシテ、此処ニ午後ノ四時頃迄居リマシテ、
次デ橋本欣五郎大佐ガ午後六時三十分頃品川着ノ列車ニテ上京サルルコトヲ、誰カラカ忘レマシタガ聞キマシタノデ、
其ノ時間ニ驛ニ迎ヘニ參リマシタ。
其ノ迎ヘニ行ク目的ハ、橋本欣五郎大佐ノ身邊ヲ気遣ツテ警戒スル爲ト、狀況ヲ早ク同大佐ニ知ラシメタイ爲デアリマス。

驛に行ク前ニ、參謀本部カラ陸大ニ立寄リ、電報ヲ打チマシタ。
宛名ハ、
岐阜歩兵第六十八聯隊  中島大尉
広島電信第二聯隊  常岡大尉
久留米市第十二師團司令部  鈴木大尉
ニ對シテハ、
「 帝都ニ於ケル決行ヲ援ケ、昭和維新ニ邁進スル方針ナリ    タナカ 」
ト云フモノデシタ。
次ニ宛名ハ、
新京軍司令部  長勇中佐
ニ對シ、
「 直ク歸レ  田中弥 」
ト打電シ、
又、奉天管區軍政部 武田大尉ニ、
「 帝都ニ於ケル決行ヲ援ケ、昭和維新ニ邁進スル方針ナリ    新京方面ニ至急オ傳ヘヲコフ  タナカ 」
ト打電シマシタ。
・・・中略・・・
橋本大佐ヲ迎ヘニハ、私一人デ品川マデ行キマシタ処、同時刻ニ副官ヲ從ヘテ橋本大佐到着セラレマシタ。
同大佐ノ來ラレタ本當ノ目的ハ私ニモ分リマセンガ、
私ノ想像スル処デハ同大佐ハ長中佐ト同ジク此ノ方面ノ事ガ詳シイカラ、
中央部ト聯絡サレテ、時局ヲ収拾スル爲デアツタロウト思ヒマス。

同大佐ト共ニ ( 副官共ニ ) 參謀本部ニ行キマシタ。
參謀本部中ニテハ橋本大佐ト別レテ、私ハ前ノ様ニ主ニ第二部ニ於テ雑談シテ居リマシタ。

ソレカラ橋本大佐ニツイテ、陸相官邸内ニ、満井中佐ノ処ニ面會ニ參リマシタ。
時刻概ネ 午後九時前後位デス。
此ノ時、占據區域ニ入ル爲メ、満井中佐ガ暗號ヲ敎ヘテ呉レ、且 名前ヲ云フト危險ダカラ名前ヲ言ハナイデ呉レ
ト申シマシタノデ、専用暗號竝ニ満井中佐ニ面會ト云フコトニ依ツテ、各占據線ヲ通過致シマシタ。
・・・田中弥  憲兵聴取書  ( 昭和11年4月26日 )
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第一歩哨
 までくると車を止めて、助手台の田中弥が飛び降りた。
そして右手を高く上げて、「 尊皇 ! 」 と どなる。
そうするとすぐ歩哨が答えて、「 討奸 」 っていうんだ。
尊皇、討奸が山と川との合言葉ってわけさ。
それで田中が
「 野戦重砲第二聯隊長橋本欣五郎大佐! 連絡ずみ ! 」
「 ようし、通ってよし ! 」
そこで田中が車で乗り込んで次へ行くと、第二哨 というのがある。
それも 同じように通って、大臣官邸までくると 下士哨 だ。

大かがり火を焚いて着剣の銃を構えたのが十五、六名いたが、すさまじい光景だったね。
なかなか厳重なもんだよ。
ここでも 同じようなことをする と、
「 それは遠路御苦労でござる。容赦なうお通り召され ! 」
哨長は曹長だったが、芝居の台詞もどきで大時代のことを真顔でいったね。
まったく明治維新の志士気取りだ
 橋本大佐
陸相官邸の警戒線はこのように三重になっていた。
最後の内戦は下士官が見張っている。
決行部隊の司令部だけに厳重であった。
橋本は官邸の中に入る。
橋本は広間に行くと、
「 野戦重砲第二聯隊長橋本欣五郎大佐、ただいま参上した。
今回の壮挙まことに感激に堪えん!
このさい一挙に昭和維新断行の素志を貫徹するよう、
及ばずながら此の橋本欣五郎お手伝いに推参した 」
と よばった。

昭和史発掘11 松本清張 著 から 


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