あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 今 首相官邸が襲われている。軍隊が襲っている!」

2019年09月10日 20時41分06秒 | 栗原部隊

昭和十一年二月二十六日早朝、
東京日日新聞 ( 現・毎日新聞 ) の宿直部屋の電話が、けたたましい音を発して、ベルを鳴らした。
「 今 首相官邸が襲われている。軍隊が襲っている!」
すごく早口の、カスレて興奮した声。
やっと聞き取れるくらいで、問い返す暇もなく電話は切れてしまった。
腕時計の針は四時半を過ぎていた。
身支度をして一番早く社を飛び出したのは、写真部の白井と社会部の鈴木だった。
両人の乗った車は雪がやんで一面銀世界の日比谷交叉点を過ぎ、堀端に沿って社旗をはためかせて走って行った。
すると警視庁の前あたりだったろうか。
十人ばかりの兵隊が銃剣のついた銃を小脇にかまえて人垣をなしていた。
何くわぬ恰好で 「 新聞社だ!」 と 怒鳴って通り抜けようとしたがダメだった。
「 止まれ!」
ピストルをかざした軍曹らしい兵隊が車のそばへ来て、
「 新聞社もクソもない!帰れ 」
その目を見るとすごく真剣だった。
ここで初めて 「 大事件 」 の恐怖の一端を感じた。
鈴木、白井 ともども、異様な雰囲気から、
「 これは大変だ。革命だ 」
と すぐに車をUターンさせて帰社。
軍の蜂起による大官殺害の悲報は相次いで入り、社内は騒然としていた 。

白井写真部員に次いで、中村写真部員が単独で社を飛び出した。
その時は警視庁前には兵隊がいなかったので、霞ヶ関を回って永田町の首相官邸に近づいて車を降りた。
≪ 首相官邸 ≫
目の前にいた歩哨に 「 えらい人に会わせてくれ 」 という。
すると その歩哨は中村のうしろから、銃剣を突き付けながら案内してくれた。
官邸の中にいたのは後でわかったことだが、栗原中尉、安藤大尉、野中大尉だった。
中村は気さくな性質から、
緊張した雰囲気の中で 「 タバコを切らしたので、一本いただけませんか 」

と、野中大尉に申し出た。
すると野中がゴールデンバットを出したので、
中村は 「 チェリーを吸いつけているので、チェリーがありましたら 」

というと、野中は 「 栗原!」 と 彼を呼んだ。
すると栗原中尉が来て、ポケットからチェリーを出してくれた。
そのタバコを吸いながら、官邸の前庭で将兵と一緒に焚火にあたっていると、
「 これから陸相官邸に行くから自動車を貸せ。お前案内しろ 」 という。
同乗して走行中に栗原はポケットから新聞の切り抜きを出し、
岡田首相の新聞写真を見せて、

「 今、これを殺してきた 」
と いった。

陸相官邸へ行くと、
ちょうど撃たれた将校 ( 片倉少佐?) が運び出されるところだった。

陸相官邸から警視庁を回って首相官邸へ帰ると、栗原が 「 記事を書け 」 という。
中村は 「 それより君たちが各新聞社を回ったらどうだ 」 と
いって、官邸の外に待たせてあった社の車に乗って、逃げる様にして社へ帰った。


 
銃剣下で撮影
この日が夕刊勤務だったので社へは十時出勤。
九時二十分頃 渋谷から東京駅行きのバスに乗った。
虎ノ門からバスは左折して霞ヶ関へ来ると、
外務省と内務省の間の道路に沿って、剣つきの銃を小脇にかまえた兵隊が二メートル間隔に並んで、交通を遮断している。
バスは仕方なく右折して桜田門通りに出て、堀端を右折して有楽町へ出た。
陸軍の演習にしてはおかしいと思いながら、社の編集局へ入ると大変な騒ぎだ。
「 青年将校が叛乱を起した 」 「 首相が殺された 」 という。
「 新聞はいつ出るかわからない 」 と編集局の空気は異様だ。
しかし遅かれ早かれ新聞が出るとき、叛乱軍の実態を撮っておこうと写真部を出ようとすると、
「 弾丸たまの入った鉄砲を持っているんだぞ。無茶をするなよ!」
と、デスクの声が響いた。

警視庁が占拠されているというので行ってみた。
正面入口にはだれもいない。
勝手知った階段を上がって最上階の廊下から、こっそりと中庭をのぞいてみた。
約四百人、叉銃さじゅうした一団の兵士もいれば、重機関銃に弾薬箱も見える。
そっと窓ガラスを上げてカメラのレンズを出し、それらの状況を四枚、五枚と場所を変えて撮った。
不思議なことに警察官の姿は見えなかった。

二十九日の夕方だった。
溜池から六本木へ、そして原隊へ帰る叛乱軍の一隊が、福吉町あたりを行進していた。
銃を肩に歩いて行く姿を見ると、軍靴が重く引きずられるようだ。
敗残兵のような寂しげな姿が印象的だった。

毎日新聞写真部員  佐藤振寿
『 戒厳令下の四日間 』
決定版  昭和史 二・二六事件前後 昭和9--11年  7  から


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