奉勅第一主義の徹底
杉山陸相らは将来の保証を如何にするか
一、
天皇陛下が内外人の注視の中において、
公式に降し賜わる内閣組織の大命は---
特に直接大権の発動にもとづく---最も神聖なる詔勅 ( みことのり ) である。
( この点各権威者の意見が一致している )
それ故にこそ大命と申上げるのであるから、既にこの尊き詔勅が降つた以上は、
苟いやしくも日本国民たる者は孰いずれも 「 詔を承けては必ず謹む 」 の精神をもつて
これを畏かしこみ、
挙こぞつてその御趣旨の徹底するように祈らねばならぬのはもちろんであつて、
もし日本臣民中にその御趣旨の徹底を妨ぐる者、または之を軽んじ奉るがごとき者があれば、
その者は直ちに違勅の大罪を犯すことになると信ずる。
二、
ことに天皇陛下の軍隊に職を奉ずる軍人たる者は、
如何なる場合にも常に詔勅の御趣旨の徹底を第一に措くの点において、
一般国民の模範とならなければならぬのはいうまでもないことであつて、
万一にもこの軍人の奉勅第一主義が、
ある特殊の場合には例外が許されるなどと考えることが、絶対にあつてはならぬと思う。
もし左様な場合の例外が許されて、
ある場合には奉勅第一主義でなくともよいようなことがあるしすれば、その例外が先例となり、
またその例外がさらに他の例外を産んで わが国がいよいよ非常時に臨むほど、
奉勅の筋道さえも不明となり、それが軈やがて世の乱れの始めとなつて、
「 再 中世以降の如き失態 」 を繰返すことの慮おそれなきを保し難いのである。
ここにおいてか、過般の宇垣内閣流産当時の陸軍当局の行動が、
終始一貫この奉勅第一主義を貫いたものであるかどうかが非常の重大問題となる。
三、
杉山陸相の議会における答弁によれば、
当時の陸軍当局は決して宇垣内閣の出現を妨害したのではなく、
ただ 陸軍の三長官会議において銓衡せんこうしたる数名の候補者が、
孰れも陸相たることを肯んぜなかつたのであるという。
しかしその何が故に数名の銓衡されたる候補者が、
孰れも陸相たることを肯んぜなかつたのであるかということについては、
他に特殊の事情があるが、
「 それはいわぬ方がよいと思う 」 ということであるが、
しかし、左様な答弁は---
第一、日本の軍隊はいうまでもなく、天皇陛下の軍隊であること。
第二、したがつてさの各軍人は常に必ず奉勅第一主義に行動すべきものであること
---等を確信している国民の前には到底弁解にならぬと考えるのである。
四、
特に陸軍の三長官なる者は、
最もよくその当時の陸軍内部の事情に精通している者であるはずであるから、
その三長官会議の結果、数名の陸相候補者を銓衡したということは、
すなわちその孰れの候補者も、もし新首相たる人よりの指名があれば、
直ちに陸相に就任し得る条件の備わつた人でなければならぬのであつて
---またそれでなければ、真に陸相候補者を銓衡したとはいえぬのであるから
---万一その数名が数名共全部陸相就任を肯んぜなかつたことが事実であるとしたならば、
それこそ---故意か偶然か---
左様な人物はかりを陸相候補者に銓衡した三長官らの重大失態であらねばならぬ。
五、
もちろん組閣の大命を拝した者すら熟慮の結果、
自分は到底その任に堪えずと考えて大命を拝辞することも稀にはあることであるから、
当時の三長官の眼識に協かなうて陸相候補者に推おされた者のなかにも、
万々一、三長官の予想に反し、自分は到底その任に非ずと考えて辞退する者があつても、
必ずしも不思議ではないが、しかしその銓衡をしたところの数名の候補者が、
全部揃って辞退するに至り、
なおその上に他の候補者を銓衡するも皆同様に辞退するであろうと考えて、
それで自分達の責任が済んだと思うような軍当局は、全くその職責を辱かしめた者であつて、
天皇陛下の軍隊の長官たるには足らぬ者であることを、自ら証明せるものではあるまいか。
六、
就中なかんずく最も問題とすべきは、 当時三人の陸相候補者のなかに数えらていたと伝えられる
杉山教育総監---現陸相の態度である。
このひとが先きの宇垣内閣には陸相たることを肯んぜりしにかかわらず、
後の林内閣には陸相たることを承諾したのは如何なる理由によるのであるか。
もしその理由が宇垣内閣の場合においては、
杉山陸相自身のいわゆる 「 ある特殊の事情 」 があつたがためであるというならば、
それこそ杉山大将は明かに、ある特殊の事情のために、奉勅第一主義を捨てた訳であるから
---たとえ左様な意思が全然なかつたにもせよ
---その結果においては畏くも大命を軽んじ奉つたということにならざるを得ないであろう。
もしまたそうではなくして先きにも後にも、常に奉勅第一主義で行動をしたというのであれば、
さきには陸相たることを承諾せず、
後に陸相たることを承諾したる態度の相違を何んと説明するのであるか。
特に他に方法の尽きたる時は、
当時の三長官中ただ一人後任陸相に就任しうる事情のもとにあつたはずの杉山大将自身が、
陸軍の奉勅第一主義を貫くがために、進んで陸相就任を承諾すべきであつたと思うが、
その態度にも出でなかつた杉山大将は、果して奉勅第一主義に終始し、
かつ当時の長官としての責任をも禅した人といえるであろうか。
七、
打明けていえば、われらは当時の陸軍当局が、
宇垣内閣の成立を喜ばなかつた いわゆる特殊の事情については相当に諒察し得るものである。
さりながら、たとえそこに如何なる表面または裏面の特殊の事情ありとも、
すでに組閣の大命が降つた以上は、
当然軍人は奉勅第一主義に行動しなければならぬのはもちろんのことであつて、
苟も軍人の生命ともいうべきこの奉勅第一主義を捨てなければ、
その 「 特殊の事情 」 に対処し得ないような軍人は、
自ら陛下の軍人たる資格と光栄とを放棄せる者であるといわねばならぬ。
ことにそのいわゆる特殊の事情が、もし粛軍に関係のある事柄ならば、
それこそなおさらに奉勅第一主義をまず貫かずして粛軍のしようがあるまい。
八、
したがつてあの当時において陸軍当局の採るべき態度の正しき順序は、
第一には 初めから宇垣氏に大命の降らざるよう、元老その他へ軍の特殊の事情を伝えることであつた。
第二には すでに第一の処置を採るべき時機を失し、宇垣氏に大命の降下があつた以上は---
しかして宇垣氏自身に大命拝辞の意思なきことが明白となつた以上は---
陸軍当局は速やかに後任陸相を推薦して、
陸軍軍人が常に奉勅第一主義に行動しつつあることを最も明確に、
事実の上にしめさなければならぬのであつた。
かくて第三には 宇垣内閣成立の跡において、
もし断然宇垣内閣を存続せしむべからずとなす陸軍当局の 「 特殊の事情 」 観に変りがなくば、
新陸相は宇賀は首相と飽くまでその特殊の事情について争い、
首相陸相の意見不一致の理由により、内閣を総辞職せしめるか、
或いは陸相の単独辞職かを見るべきはずであつたと思う。
その場合においてもし陸軍の宇垣内閣を存続せしむべからずとなす見解が正しければ、
その特殊の事情を委曲上奏のうえ陸相が辞職せば、宇垣内閣の瓦解はもちろんのはずであつて、
もし当時の陸軍当局が初めから明白に、奉勅第一主義に徹底していたならば、
当然以上のごとき筋道を踏まねばならなかつたのである。
九、
しかるに当時の陸軍当局の態度がそこに出でなかつたために、
今や全国民は非常の不安に襲われている。
これを率直にいえば
「 今度のごとき悪例を造つた陸軍当局すら、結局何の咎とがめも受けずして済むようでは、
今後の政変の際なども一体どうなるのであろうか。
若し今後とも、陸軍当局の気に入らぬ者に組閣の大命が降下すれば、
また特殊の事情の名において後任陸相を出さず、その内閣を流産せしめるというがごときことが、
将来幾度も起るのではあるまいか。
しかして左様なことが、
決して世の乱れの本とはならぬということを一体何人が保証をしてくれるのであろすか 」
と 憂えているのである。
十、
要するに あの際 宇垣内閣が陸相後任難に苦しみ抜いた結果、
遂に流産をしたということが事実である以上、当時の陸軍当局が他の特殊の事情を重しとして、
奉勅第一主義に行動しなかつたということもまた到底否定すべからざる事実である。
されば その軍人の生命であるところの奉勅第一主義を
他の特殊の事情のために曲げたことの責任を明らかにするとともに、
さらに将来絶対にかかる悪例を繰返さぬための厳然たる善後処置を探つておくことが、
是非共必要であると信ずるが、
当時および現在の陸軍当局は別段左様な必要はないと考えているのであろうか。
十一、
もちろん過去よりも将来に悪例を絶対に残さぬということが主題であるから、
その保証がつきさえすれば如何なる方法でも結構であるが、
しかしその当時の陸軍当局としての責任者らが、
ただ一人も引責の実を示さざる現状のままで果してその保証がつくかどうか。
ことに宇垣氏の場合は例外中の例外であり、
特別の事情中の特別であるからというような弁解を千万遍繰返えされても、
それで将来に悪例を残さぬという保証には絶対にならぬのである。
何となれば ある事が特別の事情に属するか否かは、その時とその人によりて判断が違うのみならず、
たとえ如何なる事情ありとも奉勅第一主義は絶対に曲げぬということでなくして、
皇軍精神の確立があるはずがないからである。
〔 註 〕
この文章の終りには、当時の海軍当局の態度が、右の陸軍の態度と異る次第を、
海軍次官のナニいて紫雲荘に寄せたる書面を附記してあるが、長くなるからここには略する。
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