本庄日記
帝都大不祥事件
第二 三月一日以後 事件善後ニ關スル諸件
其七、 事件関係将兵を出セシ聯隊の存廢問題
今回、叛乱ノ名ヲ附セラルル將兵ヲ出セガ如キ、我國軍ノ歴史ニ、容易ナラザル汚點ヲ印シタル、
近歩三、歩一、歩三竝ニ野重七ノ四ケ聯隊ハ、軍ノ名譽ノ爲メ、之ヲ廢止スベシトノ意見、
特ニ、參謀本部ニ於テ熾烈しれつナルモノアリ。
或ル機會ニ、此空氣ヲ上聽ニ達シ置キシ処、
六日午後二時御召アリ。
陛下ハ、
叛乱將兵ヲ出セシ聯隊ヲ、解隊スベシトノ話ハ、如何ニナリシヤ、
トノ 御下問アリ。
乃チ、
不名譽ノ聯隊ヲ廢スルコトハ、
國軍全體ニ對スル、大ナル戒飭チョクトナルノ利アルノ反面ニ於テ、
此事件ニ關係セルモノハ、一部ノモノニ過ギザルニ、
解隊ノ悲運ニ遇ヘリトセバ、大部ノ將兵ハ、未曾有ノ痛恨事ナリトシ、
中ニハ悲憤自決スルモノサヘ出來スルノ虞おそレナシトセズ、
又、此等聯隊出身ノ在郷將兵ハ、過去ノ名譽アル戰歴等ヲ追想シテ、
多大ノ失望ヲ感ズルニ至ラン。
何レニセヨ、目下尚ホ、主任者ニ於テ 考究中ナリ
ト奉答ス。
但シ、參謀本部ノ廢止意見ニ對シ陸軍省ハ大ニ愼重、考慮を要スルモノニアリトし、
之ヲ存置スルノ意見多カリキ。
斯クテ、省部會議ノ結果、結局、之ヲ廢止セザル可トスルニ意見一致ス。
陸軍省ハ當初、之ヲ上聽ニ達スルノ意嚮ニ在リシガ、武官府ニ於テハ、聯隊ノ存續ハ、
軍旗親授ノ關係モアルコトユエ、単ナル上聽ニテハ事足ラズ、
少ナクモ、御内意ヲ伺フヲ適當トスル、ノ意見ヲ主任者ニ傳ヘタリ。
陸軍省、參謀本部、竝ニ敎育總監部、更ニ研究シ、上聽、御内意伺、及ビ、
聖斷ヲ仰グ ( 聖斷ヲ仰グト云フコトハ穏當ナラズト主張多カリシ ) 等、區々ノ意見アリ。
結局、
御内意ヲ伺フコトニナレリ。
三月十四日、村上軍事課長、此問題ニ附、武官長ノ許ニ往復シ、
只萬一廢止ノ、聖慮ヲ拝スル如キコトアランカ、當局ノ立場、困難トナルヲ以テ、
侍從武官長ニ於テ、右ニ關スル、御内々意伺ヲセラレ度旨、要望シ來リ、
武官長ヨリ予メ之ヲ奏上シ、御内々意ヲヒタル後、
同十六日午前、
今井軍務局長ノ來俯ヲ求メ、叛乱將兵ヲ出セシ聯隊存置御許ルシノ、
御内意ヲ傳フ、
斯クテ、同十七日、
陸軍大臣、參謀總長、參内拝謁シ、左ノ如ク聯署上奏ス。
近衛歩兵第三聯隊、歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊及野戰重砲兵第七聯隊ニ属スル將兵ガ、
統率ノ系統ヲ紊リテ蠢動しゅんどうシ、未曾有ノ不祥事ヲ惹起シタルハ、
光輝アル、帝國陸軍史、特ニ當該聯隊ノ歴史ニ、拭ヒ難キ汚點ヲ印シタルモノニシテ、
聯隊竝ニ將校團ノ本義ニ鑑ミ、右四聯隊ハ、之ヲ廢止セラルルモ已ムヲ得ザルモノアリ、
ト思料セラルルモ、事實叛亂タルコトヲ意識シテ、之ニ參加シタルモノハ、
此等諸部隊ノ一小部分ニ過ギズ、而シテ、其蠹毒ヲ徹底的ニ芟除シ、併セテ、
當該部隊ニ對シ、嚴正ナル前後措置ヲ講ジテ、其更生ヲ圖リ、尚ホ、全軍ニ對シテハ、
中央部率先シテ、粛正ノ實ヲ擧ゲ、上下一體、愈々統率ヲ嚴飭ちょくシ、
團結ヲ鞏固ニシ、克ク國軍ノ重責遂行ニ邁進スル決意ニシテ、
關係各隊、亦恐懼、謹愼、更始一新ノ實ヲ擧グルニ努メツツアルヲ以テ、
右四聯隊ハ依然之ヲ在置シ、死力ヲ竭つくシテ、其榮譽ヲ恢復セシメ度、
陛下ハ、右上奏後、大臣、總長ニ對シ
「 ソレデ宜シイ。尚ホ、將來ヲ戒シメル様ニセヨ 」
トノ畏キ御言葉ヲ賜ハリタリ。
各師團長ハ之ニ基キ、各聯隊ニ對シ、嚴粛ナル訓示戒論ヲ与ヘタル後、
三月二十日午後、近衛師團長、第一師団團長、相伴フテ武官長ヲ訪ヒ、
聯隊存置ノ御礼ヲ申述ベ、之ガ傳奏ヲ乞ヒ、
武官長ハ同二十三日朝、此旨ヲ陛下ニ傳奏セリ。