あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

鈴木貫太郎 ・ 自傳で語る安藤輝三

2020年12月02日 19時18分40秒 | 後に殘りし者

< 二月 >
二十六日の朝四時頃、熟睡中に女中が私を起して、今兵隊さんが来ました。
後ろの塀を乗り越えて入って来ましたと告げたから、直覚的に愈々やったなと思って、すぐ跳ね起きて、
何か防禦になるものはないかと、床の間にあった白鞘の剣をとろうとした。
それをとって中を改めると、槍の穂先であって物の用に立とうとも思われなかったから、
それはやめて かねて納戸に長刀のあることを記憶しておったから、
一と部屋を隔てた納戸に入って捜索するけれどもいっこうに見当たらない。
そのうちに、もう廊下、或は次の部屋あたりに大勢闖入した気配が感ぜられた。
そこで納戸などで殺されるというのは恥辱であるから、次の八畳の部屋に出て電灯をつけた。
すると周囲から一時に二、三十人の兵が入って来て、みな銃剣を着けたままでわれわれのまわりを、
構えの姿勢でとりまいた。
そのうちに一人進んで出て簡単に閣下ですかと、向こうから丁寧な言葉でいう。
それで、そうだと答えた。
そこで私は双手を広げて、まあ静かになさいと先ず そういうと、皆 私の顔を注視した。
そこで、何かこういうことがあるについては、理由があろうから、どういうことかその理由を聞かせてもらいたいといった。
けれどもただ私を見ているばかりで、返事する者が一人もいない。
重ねてまた、何か理由があるだろう、それを話してもらいたいといったが、それでもだまっている。
それから三度目に理由のないはずがないからその理由を聞かしてもらいたい、というと、
そのなかの下士官らしいのが帯剣でピストルをさげ、もう時間がありませんから撃ちますと、こういうから、
そこで甚だ不審な話で、理由を聞いてもいわないで撃つというのだから、
そこにいるものは理由が明瞭でなくただ上官の旨を受けて行動するだけの者だと考えられたから、
それなら已むを得ません、
お撃ちなさいというて、一間ばかり隔たった距離に直立不動でたった。
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・・・挿入・・・
侍従長は立っていた次の間から電灯のついた八畳の間に出て来て、
「 どこの兵隊だ 」 と一言訊いただけだ・・・奥山軍曹
 
安藤大尉
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中隊長安藤輝三大尉と第六中隊
歩三・六中隊 2 「我々の仲間がまもなくここを襲撃する 」
歩三・六中隊 3 「 奸賊 覚悟しろ 」
歩三・六中隊 4 「マテマテ、話せばわかる」
歩三・六中隊 5 「世間が何といおうが みんなの行動は正しかったのだ」

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すると、そのとたん、最初の一発を放った。

ピストルを向けたのは二人の下士官であったが、向こうも多少心に動揺を来たしていたものと見えて、
その弾丸は左の方を掠めて後方の唐紙を打ち 身体にはあたらなかった。
次の弾丸がちょうど股のところを撃った。
それから三番目が胸の左乳の五分ばかり内側の心臓部に命中してそこで倒れた。
倒れるのを見て、向こうは射撃を止めた。
すると大勢のなかから、トドメ、トドメと連呼する者がある。
そこで下士官が前に坐った。
その時に妻は、私の倒れた所から一間もはなれておらん所に、
これもまた数人の兵に銃剣とピストルを突き付けられていたが、止どめの声を聞いて、
とどめはどうかやめていただきたいということをいった。
すると恰もその時に指揮官と思おぼしき大尉の人が、その部屋に入って来た。
そこで下士官が銃口を私の喉にあてて、とどめを刺しましょうかということをきいた。
するとその指揮官はとどめは残酷だからやめろと命令をした。
それはたぶん、私が倒れて出血が甚だしく惨澹たる情景が顕あらわれていたから、
もはや蘇生する気遣いがないものと思ってとどめをやめさせたのではないかと想像する。
そういって、その指揮官は引き続いて、閣下に対して敬礼という号令を下した。
そこにいた兵隊は全部、折敷き跪ひざまづいて捧げ銃つつをした。
すぐ指揮官は 「 起てい、引揚げ 」と 再び号令をかけた。
そこで兵隊は出て行ってしまった。

すると、指揮官は妻の所へ前進して行った。
そして、あなたは奥さんですかといって聞かれた。
妻は、そうです、といって答えたら、指揮官は、奥さんのことはかねてお話に聞いておりました。
( 註・・妻たか は天皇の幼児に哺育掛を務めた。後妻 )
まことにお気の毒な事をいたしましたという。
そこで妻はどうしてこんなことになったのですというと、
指揮官は、われわれは閣下に対して何も恨みはありません、
ただわれわれの考えている躍進日本の将来に対して
閣下と意見を異にするがために已むを得ずこういうことに至ったのであります、
といって国家改造の大要を手短に語り、その行動の理由を述べられた。
すると妻は、誠に残念なことをいたしました、あなたはどなたですかというと、
指揮官は形を改めて、安藤輝三とはっきり答えられた上、
ひまがありませんからこれで引揚げますといい捨ててその場を去り、兵員を集合して引揚げた。
その引揚げの時に、安藤大尉は女中部屋の前を通過しつつ、
閣下を殺した以上は自分もこれから自決すると口外していたということを、
これは引揚げた後で女中から妻に報告してくれたことである。
命拾いをしたのは、畢竟安藤大尉にとどめを刺されなかったからである。
安藤がそれをしなかったのは、 「 武士の情 」 とか たか夫人の願いに動かされたとか謂われている。
しかし、安藤は曾て侍従長官邸に来て鈴木と長時間話し合ったことがあり、知合の間柄であった。
自伝は語る。
この事件の二年前、安藤君は民間の友人と三人で来訪されたことがあった。
その時の陸軍の青年将校の一部に提唱されていた所謂革新政策について色々と述べられて
私の意見を尋ねられた。
その意見のうち私は三点を上げて非常に間違っていることを述べて反駁した。
まず第一は、軍人が政治に進出し、政権を壟断ろうだんするのは明治天皇の御勅諭に反する。
軍人が政治に精力を費つかうようになれば、武力は弱まり、外国との戦争に於て 甚だ危険な状態になる。
そういうことから、軍人は政治に関わらずと御勅諭で御示しになった。
第二に、貴君は総理大臣を政治的に純真無垢な荒木貞夫大将でなければいかんと言われるが、
一人の人間をどこまでも、それでなければいかんと主張することは、
天皇の大権を拘束することになりはしないか。
第三に、農村が疲弊し、兵に後顧の憂いがあるから、
軍人の手でこれを改革し、戦争に強い軍隊にしなければならぬというが、
日本国民は君のいうように、外国と戦さをするのに後顧の憂いがあって戦えない民族だろうか、
と 日清、日露戦争やフランス革命時の軍隊 ( ナポレオン ) を 例に話した・・・・。

この問題を強調したら、安藤君は、今日は誠に有難いお話を伺って胸がサッパリしました、
よく解りましたから 友人にも説き聞かせますといって 喜んで、又他日教えを受けることにしたいと言った。
そうして辞し去られた。
そして帰る途中、同伴の友人に、どうも鈴木閣下は見ると聞くとは大違いだ、
あの方はちょうど西郷隆盛そっくりだ、これから青山の友人の下宿に立ち寄って、皆にこの話をしてやろう
と 語られたと聞いたが、素直に、少し強過ぎる思う言葉さえ使って、三十分と申し込まれた面会の時間を三時間も、
たしか昼食まで一緒にして語った甲斐があったと思いました。
その後数日たって安藤君から、重ねて座右の銘にしたいからといって私に書を希望して来ましたので、
書いて差上げた筈です。
安藤君は確かにその時は私の意見に同意された。
然し 同志に話した上で、同志を説破するに至らず、かえって安藤は意志が動揺したといって評判された。
首領になっていたから抜き差しならん場面に追い詰められて、あの儘遂に実行するに至ったが、
その上で自決の決心もしたのであろうと思う。
まことに立派な、惜しいと言うよりも寧ろ可愛い青年将校であった。

松本清張 著  二・二六事件 第二巻  から


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