本庄日記
昭和九年
二月七日
午前、現林陸相ノ對露方針ニ附キ奏上ス
( 當日朝 林陸相ニ確メタル結果ニ附キ )
即チ 林ガ前陸相ヨリ、露國ニ對シ強硬ナル態度、方策ニ出ヅルト云フガ如キハ斷ジテナシトノ意味ナリ。
尚、此機會ニ繰リ返シテ將校等ガ、部下ノ敎育統率上政治ニ無關心ナル能ハズトスル事情ヲ述ベ、
同時ニ政治上ノ意見等アリトスレバ、其筋ヲ經テ改善ノ方法ヲ申言スベク、
斷ジテ直接行動スベカラズトノ方針ナル旨言上シタリ。
然ル処、
二月八日
午前十時 之ニ對シ、更ニ御下問アリ
將校等、殊ニ下士卒ニ尤モ近似スルモノガ
農村ノ悲境ニ同情シ、關心ヲ持スルハ止ムヲ得ズトスルモ、
之ニ趣味ヲ持チ過グル時ハ、却テ害アリ
トノ仰セアリ。
之ニ就キ、
餘儀ナク關心ヲ持スルニ止マリ、
決シテ趣味ヲ持チ、積極的ニ働キカクル意味ニアラザル次第
ヲ 反復奉答セリ。
陛下ハ此時
農民ノ窮狀ニ同情スルハ固ヨリ、必要事ナルモ、
而モ 農民亦自ラ樂天地アリ、
貴族ノ地位ニアルモノ必ズシモ常ニ幸福ナリト云フヲ得ズ、
自分ノ如キ欧州ヲ巡リテ、自由ノ氣分ニ移リタルナランモ心境の愉快ハ、
又 其自由ノ氣分ニ成リ得ル間ニアリ。
先帝ノ事ヲ申スハ如何カナレドモ、其皇太子時代ハ、極メテ快活ニ元氣ニアラセラレ、
伯母様ノ処ヘモ極メテ身輕ルニ行啓アラセラレシニ、
天皇即位後ハ、萬事御窮屈ニアラセラレ、元來御弱キ御體質ナリシ爲メ、
遂ニ御病氣ト爲ラセラレタル、誠ニ、畏レ多キコトナリ。
左様ナ次第故、農民モ其ノ自然ヲ樂シム方面ヲモ考ヘ、
不快ナ方面ノミヲ云々スベキニアラズ、
要スルニ農民指導ニハ、法理一片ニ拠ラス、道義的ニ努ムベキナリ
ト 仰セラレタリ。
陛下ノ此言葉ニハ、感激恐懼禁ズル能ハズ、
即チ 荒木前陸相モ常ニ、道義観念ヲ養成スルノ急務ヲ説キ、
齋藤首相ノ自力更生ヲ要望セラルルモ、亦 同意義ニ出ヅル所以ヲ奏上ス、
只極端ナル貧困者ニ對シテハ、
餘儀ナク道義的指導ノ中ニ、物質的考慮ノ止ムヲ得ザルモノアル所以テ附加ス。
尚亦、政治干与云々ノ御勅諭ノ解釋ガ議會ノ問題トナレル処、
御勅諭ノ精神ハ其時ノ狀勢ニモ拠ルモノナルガ故、
漢學者ノ解釋ノ如ク字義ニ深ク抱泥スルコトナク、其御精神ニ随フベキナリト信ズ。
若シ漢學者流ニ字義を論究シ來ラン乎、誠ニ恐レ多キ事ナリ。
陛下ノ御大礼ノ御勅諭ニハ 「 文ヲ緯トシ武ヲ經トシ 」 トノ句アリ、
互ニ織リ込ミ、協力一致、御補佐ノ重任ヲ全フスベキ意ナリト拝ス、
然ルニ聯盟脱退ノ時ノ御勅諭ニハ 「 文武互ニ其職域ヲ恪遵シ 」 ト宣ハラレ、
互ニ別個ニ其職掌以外ニ出ヅベカラズトノ御文意ニモ解セラレ、
兩御勅諭の字義、等シカラザルヤニモ解セレル、
而モ其御精神ニ至リテハ、別段抵触セズト拝察セラル
ト申シ上ゲシ処、
陛下ハ、
聯盟脱退當時ハ在郷軍人團等ガ、或ハ直接聯盟ニ打電シ、
亦 侍從長、武官長等ニ意見ヲ強調シ來ル等、
何トナク其分域ヲ超越セルヤニ見ヘ憂慮スベキモノアリト認メラレタルヨリ、
特ニ自分ガ注意シテ互ニ其職域を恪遵セヨトセル次第なり、
専門者の説ク処ニヨレバ、恪遵トハ法則に随フテ事ヲ処ストノ意ナリト、
要スルニ此等ハ、其時ノ情勢に拠ル外ナキモノナリ
ト 仰セラレタリ。
眞ニ御尤ノ次第ナリト拝セリ。