宇治野時参 歩一軍曹
(法) 二・二六事件ニ參加シタル事情ニ就テ
私ハ在郷中、建國會員深澤四郎ノ書生トシテ雇ハレ、
本人ヨリ常ニ社會情勢竝ニ重臣、財閥、特權階級 等ノ腐敗堕落ノ實情ヲ聽取シ居タル關係上、
國家革新ノ必然ヲ痛感スルニ至リ、
更ニ入營後ハ、徹底的ニ精神修養ニ志シ入營シタルニ、
全ク自己ノ豫想ト相反シ、將校竝ニ下士官等ハ單ニ恩給竝物質等ノミニ汲々シ、
軍人ノ本分ヲ顧ルモノ少ナキ折柄、栗原中尉ヲ知り國家革新運動ヲ學ビ、遂ニ事件ニ參加シタルモノナリ
(法) 幹部ノ腐敗堕落トハ如何ナル點カ
將校竝ニ下士官中ニハ、忠君愛國ノ至誠ヲ没却シ、物質ノミニ汲々シ、且ツ派閥アリテ暗闘シツツアル等ナリ
(法) 直接行動ニ參加シタル理由如何
一例ヲ擧グレバ、五 ・一五事件後ニ於テモ政党、財閥、特權階級、重臣等ハ何等反省スル処ナク、
依然私利私慾ノミニ狂奔シ居ル實情ニ鑑ミ、直接行動ヲ以テスル外手段ナシト覺悟シ參加セリ
(法) 蹶起期日ヲ知リタル年月日
二月二十五日夜、栗原中尉ヨリ 明朝午前五時決行スルト聞キ、始メテ知リタリ
(法) 蹶起後ノ行動ニ就テ
二十六日午前零時三十分、
河野大尉ト共ニ自動車ニ乗車シ、
神奈川県湯河原伊藤屋旅館ニ至リ、日本刀ヲ所持シ同館裏口ヨリ侵入、
牧野伯ヲ捜索シタルモ發見出來ズ引返シタルニ、
河野大尉竝ニ宮田ノ兩氏負傷シタルヲ發見シ、
直チニ自動車内ニ収容ノ上再ビ現場ニ引返シタルモ、既ニ水上ノ放火ニヨリ、
同館ハ其ノ大半ヲ消失シ居リテ、牧野ハ完全ニ焼死シタルモノト信ジ、
河野大尉ノ治療ノ爲熱海病院ニ至リ、入院治療ノ上、三島分隊員ニ同行セラレタリ
(法) 現在ノ心境ニ就テ
現在ニ於テモ、國家ヲ毒スルモノハ一掃シナクテハナラヌト思ツテ居リ、
吾々ノ蹶起ニヨリ、譬エ一部タリトモ社會ノ改革ガ出來得タナレバ、本望ト存ジテ居リマス。
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黒沢鶴一 歩一一等兵
(法) 検察官ノ論述セル公訴事實ニ相違ナキヤ
其通リ相違ナシ
(法) 二・二六事件に参加したる事情に就て
私ハ、非常ナル貧困ノ家庭ニ生レタル關係上、思フ様ニ勉強出來ズ、
小學校卒業後十七歳ノ頃上京、
市内目黒區上目黒ノ西郷侯爵邸ノ書生トシテ雇ハレタルガ、
其ノ生活狀況ニ雲泥ノ差ガアルノデ、其ノ時始メテ社會ノ疑惑ヲ感ジ、
更ニ同邸ニ於テハ菊花御紋章類似ノ紋章ヲ使用シ、
主人ハ女中ヲ妾同様トナシ、夫人ハ出入者ト情交關係ヲ結ブ等其ノ堕落極ニ達シ、見ルニ忍ビズ、
直チニ同邸ヲ退出シ、社會ノ重臣、財閥、政党等ハ總テ斯ノ如キ腐敗シ居ル實情ヲ知リ、
更ニ ロンドン條約ノ屈辱的締結ノ原因等ヲ知ルニ及ビ、
之等奸賊ハ私利私慾ノミニ狂奔シ居ルヲ確認憤激シ居タルニ、
幸五 ・一五事件起リ改革セラルゝモノト信ジ居タルニ、
何等反省スルコトナキヲ以テ、直接行動ニ依ル外ナシ覺悟シテ居リタルニ、入營トナリ、
栗原中尉ヲ知ルニ及ビ、其ノ信念ハ一層鞏固トナリ、今回ノ直接行動ニ參加セリ
(法) 栗原中尉ノ革新運動ハ、正當ナリト認メタルヤ
栗原中尉ハ時々吾々同志を將校室ニ集メ、堂々ト國家革新運動ノ敎育ヲ爲シ、
且ツ各幹部モ其ノ事實ヲ知リ乍ラ何等制止スルコトナク之ヲ認メ居タルヲ以テ、
私ハ國家革新ハ全ク軍人ノ使命ノ様ニ思ツテ居リマシタ。
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栗原中尉 ・ 幹部候補生教育の状態
栗原中尉 「 教育方針は革命の二字につきる 」
(法) 牧野伯ヲ殺シテ國家ハ革新セラルルモノト思フタカ
私ハ、特ニ牧野伯ガ ロンドン條約ニ依リ、
米國ヨリ三千萬圓ヲ受領シテ各重臣ニ分配シタト云フ事實ヲ聞イテ居リマシタノデ、
先ヅ牧野ヲ殺害シナクテハナラヌト思フテ居リマシタ。
(法) 蹶起後ノ行動ニ就テ
私ハ二十六年式拳銃ヲ所持シ、伊藤旅館ノ表玄關ニ至リマシタガ、
戸ガ開イテ居リマセンノデ、裏口ニ至リ室内ニ侵入致シマシタガ、牧野ガ見當ラズ、
其ノ内負傷者モ出來マシタノデ、外ニ出テ見マスト、水上ガ放火シテ居リマシタノデ、
表玄關ニ廻リ、其ノ時ハ盛ニ火ハ燃エテ居リマシタガ、
庭先ニ、白ノ着物ヲ着テ黑ノ布デ覆面シテ居ル人ガ地ニ臥シテ居ルノヲ發見致シマシタノデ、
之ガ牧野ト思ヒ拳銃二、三發亂射シマシタガ、完全ニ死ンダモノト信ジ、
隊長ノ命ニ依リ、其ノ場ヲ引揚ゲ、熱海病院ニ至リ、三島分隊ニ同行サレマシタ。
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黒田昶 豫備上等兵
(法) 公訴事実を認メルカ
認メマス
(法) 二・二六事件ニ參加シタル動機及經過ハ如何
私ハ、農村問題ニ就イテハ現實ニ體驗シ、
農村ハ何トカ對策ヲ講ジナケレバ自然滅亡ノ外ナシト、
其ノ改革運動ニ就テハ入營前カラ夙ニ研究ナシ、關心ヲ持ツテ居リマシタ。
昭和六年一月入營スルト共ニ、栗原中尉ヲ敎官トシテ迎ヘマシタ。
栗原中尉ハ當時少尉デアリマシタガ、時々維新問題ニ就テ講話ヲサレタル爲、
其ノ後私ハ一層此種問題ニ就テ關心ヲ濃厚ナラシメ、
昭和七年七月除隊スルト共ニ、専心農村問題ヲ研究シテ見マシタ。
農村ハ、何故働イテモ働イテモ生活ニ恵マレザルノミカ、
却ツテ衰微シテ行クノデアロウカ、
其原因ハ果シテ何レニアルダロウカト種々研究シテ見タ結果、
栗原中尉等ノ意見ト相酷似シタル點ガアリマシテ、
除隊後ニ於テモ栗原中尉ヨリ 「 大眼目 」、「 核心 」 等ノ送附ヲ受ケテ居タ關係カラ、
何時カハ會ツテ農村ノ實情ヲ訴ヘ、革新運動ニ參加スル覺悟デ居リマシタ。
偶二月中旬、結婚問題ニ父母トノ意見相異ヲ機會ニ、心ニモ無キ家出ヲシテ上京、
栗原中尉ト面會致シマシタ処、二十五日午後六時頃ハ同志集合スルニ附、
其ノ時再ビ來テ呉レト云ハレタノデ、一旦歸省シテ父母ニ分レヲ告ゲ、再度上京シ、參加致シマシタ。
(法) 栗原中尉ト意見相酷似スル點は如何ナル點カ
尊皇絶對、奸賊排除其ノ他細部ニ至ツテ種々アリマス。
(法) 被告ハ尊皇絶對ト云フガ、日本國民ニシテ尊皇絶對ニ反對スルモノガアルト思フカ
尊皇絶對ト口ニスル事、既ニ逆賊デハナイカ
観察ノ相異カト思ヒマス。
尊皇絶對ト云フ言葉ヲ使用セザレバ、區別スルコトガ出來ナイモノガ現實ニアルカラ、
便宜上彼等ト區別スル爲使用シテ居マス。
(法) 農村問題ト尊皇絶對及今次事變トノ關係ハ如何
重臣中ニハ私利私慾ニノミ趨ハシリ、眞ニ國家ヲ憂ヘズ、
又、斬ル聯チュウガ國家ノ政治、經濟、思想ト云ツタモノヲ左右スル者ト考ヘ、
是等ノ聯中ヲ排除セザレバ、農村モ救濟セラレザルノミカ、
國家ヲ危キニ導クモノト考ヘタカラ參加シタワケデス。
(法) 被告ハ除隊後栗原中尉ト會ヒタル時、何時決行スルヤト尋ネタル由ナルガ、如何
私ハ現實ニ農村ノ生活狀態ヲ體驗シ、
一日モ速ヤカニ維新斷行シテ農村ヲ窺うかがヒ度ク、
又、農村ノ實情ノ認識ヲ深メサセテヤリタカツタ爲ニ聞イテ見マシタ。
(法) 被告ハ其ノ時、一人ニナツテモ維新ヲ實行シテ見セルト云ツタ様ダガ、如何ナル譯カ
栗原中尉ニ私ノ眞意ヲ疑ハレテ居ル様ナ気ガシタノデ、私ノ決意ヲ見セル爲ニ言ツタノデス
(法) 被告ハ二・二六事件ノ蹶起ヲ事前ニ知得シアリタルヤ
ウスウス感附イテ居マシタガ、二十六日ニ蹶起スルコトハ全然分リマセンデシタ
(法) 被告ハ軍曹ノ服装デ居タリト云フガ、如何
栗原中尉ガ現地戰術ノ様ニ見セカケルンダト云ワレ、
軍曹ノ肩章ノ附イタモノヲ私ニ貸シテクレマシタノデ、其ノ儘武装シテ行キマシタ
(法) 現在ノ心境ハ如何
正シイ事デハナイト考ヘテ居ルガ、斯クスルヨリ他ニ國家ヲ救フ途ハナイト信ジテ居マス。
右法務官ノ訊問終ルヤ、被告黒田ハ、裁判長ニ一言申上ゲマスト次ノ事ヲ述ベタリ
前ニ法務官豫審官ニモ現在ノ農村ノ情態ニ就テ詳シク申述ベマシタガ、
尚裁判長殿ニモ一言申上ゲ度イト思ヒマス。
□時在郷軍人ガ私ニ、日露戰爭ニ從軍スル時ハ、
御下腸金ヲ從軍前ニ御下腸願ヒ度イモノデス ト云ハレタモノガアリマス。
抑モ之ハ何ヲ物語ルモノデセウカ。
此ノ一言ニ依ツテ總テヲ判斷推察シテ下サレバ、
現在ノ農村ノ情態ハ如何様ニナツテ居ルカ分ル事ト思ヒマス。
何卒裁判長殿、私ノ行爲ハ、斯クシテ農村ノ狀況ヲ見ルニ見兼ネテ、
カカル結果トナツタノデアリマス。
現在、農村ノ在郷軍人ハ出征後ノ家計ノ殊ニ就テ
非常ニ心配ヲセザルヲ得ナイ狀況ニ在リマス。
私等ノ此ノ意ヲ諒解シテ下サイマシテ、
出征後ニ於ケル後顧ノ憂ナカラシムル様ニ御取計ヒ願ヒタイノデアリマス。
(裁判長) ヨクワカツタ
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綿引正三
(法) 公訴事實ヲ認メルヤ
認メマス
(法) 維新運動ニ感心ヲ有セル動機ハ
私ノ生活狀態ヤ、又、周囲ノ環境が ( 水戸 ) 素質ヲ得サシメ、
日本大學在學中政治科ニアリタル關係カラ、自然、研究スル様ニナリマシタ。
(法) 具體的運動ニハ何時頃カラ關与セラルヤ
私ハ農村ノ狀況ヲ研究スル爲ニ、在學中一回、卒業後一回、
合セテ二回ニ亘リ山形地方ノ農村視察ニ出カケマシタガ、
實行運動ハ今回ガ始メテデアリマス。 其ノ他ハ啓蒙運動ヲヤツテ來マシタ
(法) 被告ト水上及ビ栗原中尉トノ關係ハ
水上ハ日大ノ同窓生デアリ、
水上ハ其頃日本靑年党ヲ組織シアリテ、私モソレニ加入シ、同志トシテ交際スル様ニナリマシタ。
栗原中尉ニハ、水上ガ昨年永田事件ノ頃、栗原中尉ニ紹介シテクレマシタ。
私ハ其ノ時カラ、栗原中尉ヲ實行運動者デアリ同志デアルト思ツテ來マシタ。
其ノ後モ 「 大眼目 」、「 核心 」 等ノ雑誌ヲ送附シテ呉レマスノデ、會ヒマセンガ、精神上ニ於テ交際シテ居リマシタ。
栗原中尉ト會ツタノハ、事件前夜ト水上ガ紹介シテ呉レタ時トノ二回デアリマス。
(法) 二・二六事件ニ參加セル動機ハ
前述ノ如ク、私ハ日本大學在學中カラ政治問題ニ就テハ研究ヲ爲シテ居リマシタ關係カラ、
栗原中尉ノ感化ヲ受ケタワケデモ何デモアリマセン、
過去ノ歴史ガ、即チ ロンドン條約、五 ・一五事件、永田事件、神兵隊事件 等々ガ私ヲ奮起セシメタ原因デアリマス。
ロンドン條約ニ於テハ、三千萬圓ノ金ニ依ツテ牧野其ノ他ノ重臣ガ買収サレ、
敢テ六割ノ比率條約ヲ結ビ、亦、五 ・一五事件後ノ彼等ノ情態ハ、反省セザルノミカ、
却ツテ私利私慾ノミニ腐心シ、又、五 ・一五事件後ノ齋藤内閣ニ於テハ、
農村ニ對シ自力更生等ト愚弄策ヲ以テ欺瞞シ、實ニ爲政家ハ所謂策略ヲ以テ國民ヲ欺瞞シテ居リマシタ。
現在ノ農民ニ對シテヨリ以上ノ勤勉ト節約ヲ望マントスル前ニ、ナゼ彼等ハ反省セザルヤ、
彼等ハ驕奢華美ノ生活ニ飽キ足ラズ、猶農村ノ血ト汗ト油ノ結晶ヲ吸血セントスルノカ、
是コソ眞ノ國賊デアリ、逆賊デナクシテ何ンデアロウト、彼等ノ一大反省ト覺醒ト奮起ヲ促ス爲、
非常手段ヲ以テ奸賊共ヲ排除セザルベカラズト思考シ、
確固タル信念ヲ以テ同志栗原中尉等ノ蹶起ニ參加致シマシタ。
(法) 二十五日ニナゼ栗原ヲ訪問セルヤ
水上ヲ経テ二十五日ニ來イト云ハレ、水上ト同道訪問シマシタ。
(法) 被告ハ磯部、村中等ヲ知ツテ居タルヤ
名前丈承ツテ居リマシタガ、會ツテハ居リマセン。
唯吾々ノ同志デアル事ハ聞イテ居リマシタ。
(法) 被告ノ決行ノ際ノ服装及携行兵器ハ
軍曹ノ服装デ、二十六式拳銃ヲ携行シマシタ
(法) 湯河原ニ於ケル行動ハ
二十六式拳銃ヲ携行、伊藤旅館ノ表玄關ヨリ侵入セント致シマシタガ、
玄關口ガ開カヌ爲、破壊シテ侵入セント致シマシタガ、
丁度其ノ時中カラ拳銃ノ音ガ聞ヘ、
「 アッ、ヤラレタ 」 ト同志ノ聲ガ聞ヘテ參リマシタノデ、
同志打ヲヤル様デハ具合ガ惡イト思ヒ、裏口ニ廻リ侵入致シマシタ処、
河野大尉ガ胸部ヲ射タレタカノ如ク、又、水上ハ女中部屋ニ倒レテ居タノデ、
水上ヲ抱エ一旦戸外ヘ出マシタガ、危険性ガアルノデ、自動車ノアル処マデ運ビ、
其処デ待タセ、再ビ乗込ンデ參リマシタガ、遂ニ牧野ヲ發見スルニ及ビマセンデシタ。
水上等ガ放火シタ火ハスデニ別館全部ニ擴ガラントシ、又、警鐘ノ音ガ聞ヘ、
民衆モ集ツテ來タノデ、具合ガ惡クナルト考ヘ、
持參セル彈薬ヲ室内ニ向ツテ全部發射シマシタ。
ソレデモ中カラ牧野ガ出テクル様子ハアリマセン。
火事ハ擴大シ、中カラ大キナ銃聲ガ聞コエテ參リマシタノデ、
私ハソレヲ牧野ガ自殺セルモノト考ヘテ引揚ゲマシタガ、今考ヘルト、
警官ノ殘彈ガ爆發セルモノト思慮セラレマス。
其ノ後ノ行動ハ前被告等ノ申立ト同一デアリマス。
(法) 牧野暗殺後直ニ歸京シ、東京部隊ニ合流スベク計畫シアル趣ナルガ、如何
出發前ニ牧野暗殺終了セルナラバ直チニ歸京し、首相官邸ノ栗原部隊ニ合流セヨト命ゼラレマシタノデ、
其ノ豫定デ居リマシタガ、河野大尉ガ負傷シ、衛戍病院熱海分院ニ於テ治療スベク立寄リマシタ爲、
其ノ内憲兵ガ來テ三島ニ聯行サレタル爲上京出來マセンデシタ。
(法) 現在ノ心境ハ
國賊ヲ發揚シ皇威ヲ宣揚スル爲ニ、
其ノ黒幕的奸賊ヲ排除スル目的ニ出デタルモノデアリ、
部分的行爲ノミヲ以テ判斷スル時ハ惡カモ知レマセンガ、
大乗的見地カラ惡イコトヲシタトハ思ツテ居リマセン。
萬ヤムヲ得ナイ非常手段ト信ジテ居リマス
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人見裁判長ハ、被告ニ對シ、各自申述ブルコトアラバ申述ブベシト言渡シ、
宮田
私ハ昨年八月頃新聞紙上ニテ刑務所志願者ガ非常ニ多イト云フ記事ヲ見テ、
意外ニ思ツテ居リマシタガ、此ノ度私ガ刑務所ニ収容セラレマシテ、意外ニ思ツタノハ、
刑務所ノ食事ガ吾々家庭デ食ベツツアル食事ヨリ勝ツテ居ルコトヲ知リ、
農民ガ刑務所ヲ志願スルノモ當然デアルト思ヒ、
此ノ一事ヲ見テモ、如何ニ農村ノ生活ガ最低ニアルカ窺ワレマス。
此ノ農村ヲ救フモノハ軍隊以外ニ絶對無イト確信シ、特ニ御願ヒスル次第デアリマス。
宇治野
吾々被告ハ、叛亂罪トシテ起訴セラレテ居リマスガ、聞ク処ニ依ルト、
奉勅命令ニ反抗シタル行動隊ト同一ニ叛亂トシテ審理セラレテ居ルトノ事デスガ、
我々ハ何モ刑ノ輕重ヲ論ズル分ケデハリマセンガ、
奉勅命令ニ反抗シテ居ルトハ考ヘラレズ、
其ノ點ヲ御考慮ノ上、御裁斷下サレン事ヲ御願ヒスル次第デス。
水上
軍隊ハ國民ヨリ信用無イ様ニ聞イテ居リマスガ、
國民ハ絶對ニ軍隊ヲ信用シテ居ルト確信致シマス。
一例ヲ擧グレバ、歩一、歩三ノ行動隊ガ所属隊ニ復歸スル途中、
市民ハ手ヲ擧ゲテ萬歳スルモノ、手ヲ土ニ附キ敬意ヲ表スルモノ、感涙ニ咽ブ者等、
狂喜シテ之ヲ迎ヘタト云フ事ヲ聞イテ居リマス。
如何ニ國民ガ軍隊ヲ期待シテ居ルカガ思ワレマス。
黒田
農村ノ疲弊ニ就イテハ、先日詳細ニ申上ゲマシタガ、
農村ノ疲弊ハ全ク市民ヤ一般人ノ想像附カザル狀況デアリマス。
此ノ農村ノ大部分ノ子弟ガ入營シテ居リ、
且、一朝有事ノ際ハ在郷軍人全部召集セラレマス。
其ノ後ノ農村情態ハ如何トナリマセウ。
國際情勢、殊ニ日露國交ノ切迫セル折柄、
特ニ農村救濟ノ手段方法ヲ講ゼラレンコトヲ、切ニ希望スル次第デス。