るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

出身地の市民オペラ

2014-07-30 10:26:00 | オペラ(鑑賞)
高校時代、音大進学を希望したが、当時の声楽の先生や親は「女の子が東京に進学しなくても」なんて言いながら、近隣の都市の短大や地元の国立大教育学部などを挙げていた。

確かにこのような学校を挙げられても、私は気持ちが乗らなかったことは否定できない。私の頭の中では、K音大とか、M音大とかせめてS音大とかに行きたかったのだけど、それは親が猛反対した。
大体、中学高校時代、バブルにも関わらず、地元ではオペラの公演自体が殆どなかった。別の声楽教室の発表会で、「魔笛」の重唱をやっているのを見た程度である。

そして、現在、その学校のうち、地元の国立大教育学部と短大の1つは音楽科はなくなり、もう1つの短大は四年制大学になってしまっている。
ところが、私が地元を離れた後、市民オペラがさかんになりはじめたというのである。ウェブサイトを見ると、年に1~2回程度の公演だが、毎年イタリアオペラを中心に演目は変わっていて、しかもセットや衣装にもそれなりのお金をかけているっぽい。
あんな貧しい衰退していく一方の地方都市で、チケット代2000円で、どこからお金が出ているのか、不思議になってしまうくらい。
そして、ここで女性の主要な役を貰うのは、その高校時代勧められていた今は廃止されている短大の出身者が多い。

更に、気付いたのは、私の出身地で、K音大とかM音大とかに進学しても、女性の場合は、地元に戻ってきてしまう人が多いことである。
とても最初から「音楽を通して出身地の地域活性化に貢献したい」、という熱い思いを持った人ばかりのようには見えないのだが。

もっとも、小さい都市なら、音大卒というだけで、「すごいね~」になってしまうのだろう。そして、そういう人は地元では天才という目で見られる。親が「アンタがM音大とかK音大なんかに入れるワケないじゃない」なんて言ったのに、上京して趣味としてレッスンを受けたら、「M音大くらいなら」とか言われて、とてもいたたまれないものを感じたことがあった。

音大合格レベルとプロの演奏家として自立して生活できるようになるレベルというのは大きな違いがあるとは思うが、「悔しい」という気持ちと「酸っぱい葡萄」に近い気持ちが交錯しているのである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿