るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

合唱の高齢化と衰退

2016-03-09 08:13:00 | 声楽(レッスン)
児童合唱団の指導をしていた父は、行く先々でNコンで受賞していた。そんな父を見て「私もテレビに映りたい」という超不純な動機で中学時代、合唱部に入っていた。
顧問の先生が半ば強制的に声の良い男子を連れてきたりして、何とか人数を維持してこられたのだが、その先生が転勤になったら、男子はいなくなり人数が激減。Nコンどころじゃなくなった。
けれども、新しい顧問の先生はミュージカル「森は生きている」を文化祭でやりましょう、ということで私は女王役をゲット!今思えば部員が少ない状態でよくアイディアを出してくれたと思う。
私が卒業した後は、部は衰退してしまったようだったが、また顧問の先生が変わるとNコンで賞が取れるようになったらしい。


今でも知人に誘われて時々合唱を聞きに行くが、どこも平均年齢が高い。
企業の中の合唱部とか、学校のPTAのママさんコーラスとかは、還暦過ぎた人はいないとしても、パソコンを使いこなせるような世代の人が心から合唱を楽しむ意味ってナニ?と思う。
「大声出してストレス解消」とかいうのなら、合唱よりは人間関係のいざこざもなく好きな曲を選べるカラオケの方が良いじゃないの?
学校の音楽の授業で、合唱をやる意味は「集団行動の大切さを経験するため」という名目があった。一昔前は、日本の産業は製造業が主体だったから、集団行動に必要なことは若いうちから学ぶ必要があった。それに、労働組合とか左翼運動などが盛んな時代だったから、団結心を高めるためにも合唱を歌う習慣があった。
でも、今は一個人が、インターネットにつないだパソコン一台で、仕事ができる時代だよ。企業勤めしても、自分のキャリアが上手くいかなくても、それは企業の環境のせいではなくて自己責任とか言われるような時代に、合唱が人気のあるスタイルだとは思えない。
仕事のためなら理不尽なことも我慢すると思うが、そうではないのだから、好きでもなく楽しくもないことをする必要性もない。

今でも意識が高いハイレベルな合唱団はあるだろうけど、それはそれで出る杭打たれそうなので、ご遠慮したい。
比較的、ヒマだったら参加しても良いかな、と思うのは、「第九」「復活」「メサイヤ」「カルミナ」みたいな日付・会場・曲目が明確で、本番が終わったら解散する所。先輩がいない、というような所が良いかも。でもそうしたら団員が思うように集まらなくて困るのか。


現役世代は仕事が忙しくて趣味をやっている時間がないから、という人もいるが、それならなぜ私の自主企画コンサートで、楽器メンバーが毎回増えていたり、アイディアで地域の音楽祭にチャレンジしようとするアマチュア管弦楽団がいるのだろう?
出身学歴でキャリアが全部決められていて、その枠組みを出ることが許されない一昔前の製造業のような合唱のスタイルが合わないからではないのか?

自主企画コンサートでは、当初メンバーがどんどん増えていくことに困惑していたのだが、演奏する側にとって面白みがある運用をしているということは自負しても良いのだ、と思うことにした。