るりこんの気が付いたらの日記

あるアマチュア声楽家の忘備録とつぶやき

顔を見られない良さ

2015-11-26 17:49:00 | 声楽(レッスン)
今日は、L先生のレッスンだった。
コンクールは、まだ要項は出ていないが、例年の予選は音源審査で、来月下旬までにCDを送るだけ。
こんなタイミングで、アリアも持ってきてと言われて、ちょっと嫌な気分だった。
ご高齢であと何年って方なら、とにかく「今のうちにこれ歌いたい!」という思いも理解できるし、それを見に来たお客様の友人も同世代だろうから「励まされた」という方もいるだろう。しかしながら、現状私の知人では、現役バリバリの人ばかり。定年もないしね。
仕事を調整しながら時間を割いて来たのに、一般的なクラシックのイメージである心地よいウトウトする音楽が聴けないという怒りを向けられているのだしねぇ。「これがあなたらしいから」なんて勧められるフォルテの多いアリアを歌っても、せいぜいジャイアン並みの知能の低さを曝け出すだけである。
さらに、宗教曲をレパートリーとする友人数人からは、わざとらしく「大きい声が出せなくても、相手の心に響くように」とか「神様が喜ぶ小さくも美しい声を目指して」とか当てつけがましいコメントをFacebookで見ざるを得ないことが出たりして、カトリック信者であるにも関わらず、宗教曲が苦手になった。

今日の実施のレッスンでは、日本歌曲のコンクール用課題曲1曲のみ。
日本語の発音の仕方について、普段の会話とは同じようにしてはいけないということを、言われ、細かく直すように言われた。


録音環境によって、点数が変わることとかってあるのだろうか?
でも、音源審査って、その懸念点以外は、ある意味フェアではないか?

コンクールは、歌そのものよりも「どんな人がその曲を選んで、どんな様子で歌っているのか?」ということを重視しているような気がする。
前回優秀賞を取ったコンクールでも、「ドレスの色が素敵です」とか「きちんと挨拶しましょう(これは直前にスタッフが「コンクールですので挨拶しないで下さい」と舞台袖で言ったのに・・・)」とか、歌そのもの以外の講評があった。それに、例年高齢者ばかりが「審査員特別賞」を貰っているのである。

音源審査では、性別はわかるかもしれないが、容姿・外見・年齢は関係ない。
可愛いとか、美人とか、高齢なのにとか、外見でわかるハンディがあるのに頑張っているから、なんていう色眼鏡がない、というのがとても素敵なことのように思えた。

他のものを一切否定するつもりはないのだが、どんな人でも歌そのもので評価されるような場があると良いと思う。