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上砂理佳のうぐいす日記

阪神百貨店の女流版画家5人展無事終了。多くの方にご高覧いただきました。ありがとうございました★

nine doors 展①★

2021-04-17 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
少しですが「nine doors 展」の写真も撮ってきたのでご紹介。
180名も作家が出ていたら、やはりお客さんも多いです。初日からずっと多いです。
このご時世ですが、コロナ対策はバッチリで「9つのドア」も開放しております。
署名頂くエンピツも消毒、検温、手指の消毒をご協力いただいています。
この先、緊急事態宣言になったらどうなるか、ですが25日まで乗り切って頂きたいです。

地下鉄心斎橋駅からだと一番東寄り、長堀橋に近い方の出口から出てもらうと近いです。
地上での目印はこの「幸せのパンケーキ」の看板かも。このパンケーキを目指せばスグです。
右手奥に見えている青いビルです。




心斎橋ギャラリービルは5階建てで、屋上まで作品がありました(笑)。
1階のギャラリーは正式名「ai2 gallery」というのだそうです。
私がおととし個展を開催した「ai gallery」の姉妹版という感じ?
通りに面してガラス張りになっています。
入ってすぐ左のコーナーは織物(タペストリー)とか絣の着物など大物がドンと。



入って右側のコーナーです。多彩な表現で見飽きない。
そして、ライトの数が多いので、作品数が多くてもちゃんと光が当たっています。



中央の木彫りの作品が迫力です。
右の巨大な絵は猫ちゃんが横を向いているのですよ。畳1枚分ぐらいあります。





私は一階の左手の壁で、奥から二番目です。
左隣のお月さまがスゴイ。銅版画って家で見てると大きいけど、ギャラリーではちっさく感じるので、何やら肩身が狭いです(笑)。





続きます。2階以降も、私が目に留まった作品を何点かUPします★
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前田珈琲のしみじみ★

2021-02-23 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


同時代ギャラリーのあるビルから西にテクテク歩きます。
イノダコーヒー三条店もここですね。ちゃんと営業してました。
歴史的建造物が多く、このビルなんかも素晴らしい。



京都文化博物館久しぶりに来ました。
別館で友達が版画展に出品しているのです。でもなんとなく閑散としています。コロナ禍で大ホールが電気を落としていて、人もまばら。
でも美術館は、「閑散」ぐらいがいいです。



本館と別館をつなぐ中庭テラス。
本館のメイン展示は、今は木梨憲武展でした。



イノダコーヒーもいいですが、美術館内にある「前田珈琲」を私はオススメします。
高い天井に昭和初期みたいなレトロ店内。流れる音楽はシャンソン。
ホットサンドセットを頼みましたが、これが美味しい。
「なんてことないメニューなのに、ひとつひとつが全て確実に美味しい」という感動。
パンはカリッと香ばしく焼け、はさんであるきゅうりはパリパリみずみずしい。
ハムは味わい深く、トマトは新鮮。付け合わせのサラダに自由にドレッシングをかけるのですが、野菜ドレッシングが美味しい。
コーヒーはオリジナルで、やや酸味が。分厚い豪華なカップに並々と入っています。
食べる時以外はマスクをしてるし、複数のお客さんはなるべく小さな声で喋っているので、シャンソンのメロディがしみじみ耳に心地好い。
いつまでも居たくなるインテリアに囲まれて、優しい店員さんの説明付きの珈琲豆を買って帰りました。

本館の方はお土産モノコーナーも充実しています。若冲のグッズとかは京都の美術館だけでしょう、多分。
本館に併設された「和紙専門店」も素晴らしく、さすが京都。あらゆる和紙モノがあります。
「鳩居堂」も近くにありますがこっちは敷居が高い(笑)。
やはり京都文化博物館は最高や!★

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映画「Away」が素晴らしすぎた件★

2021-02-09 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
画像は公式パンフレットより。

ラトビアの青年監督がたった一人で、三年かかって作り上げた長編アニメです。
私はまず↑の絵のチラシで「絶対行く!」と決めて、この公式サイトでPR動画を見てさらに期待は高鳴りました。
そしたら!
期待を裏切らない素晴らしさでした
アニメの技術的には平易な表現で、人物の細かい陰影とか無いんですが、そのシンプルさがかえって作品の良さを引き出しているんです。
アメリカの現代アニメのケバケバしさが苦手な私は、こういうアニメの方が好き。
明日はレディースデーですよ!大阪はまだなんばパークスシネマと堺でやってますよ。見て!笑

ラストの解釈がちょっとナゾで、私はバッドエンドだと思ってるのだけど、感想を読んでたらハッピーエンド解釈もあって。見る人の自由な解釈でいいのかな~。
黄色い小鳥が出てくるんですね。
主人公の青年(少年?)が旅に出ますが、この小鳥ちゃんが可愛い相棒となって活躍します。
いやー。
もう1回見たい!
でも、仕事でお疲れで寝不足の時は避けてくださいね笑★

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びっくり★

2021-02-08 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
平山郁夫氏や東山魁夷氏ら有名画家の版画の偽物が、百貨店などで販売・流通されていた!
というニュースにびっくりです。
総額5000万円相当ということですが、東山魁夷さんクラスならB5ぐらいの小さい版画でも15万くらいしてましたから、大サイズなら1点50 ~100 万ぐらいしてもおかしくない。
私が着目したのは!
「大阪の画商」「奈良の工房」です。
誰やねん!!
知ってるところだったりして…版画を扱う画商って、数は限られてきますから。ふ~ん。う~ん。ちょっとだけ脳裏をよぎる(笑)。

顔をボカしてあったけど、奈良の工房の方はあのー。インタビューに答えてる場合ではないのでは。
偽物と承知して作ってお金を得てたら、詐欺罪で捕まると思うんすが。
通常、平山郁夫さんクラスになると、版画を刷る工房はご本人かご遺族指定のところに限定されていて、刷った版画を買い取る画商も指定のところでしょう。
指定画商が百貨店などに販売するか、又は委託として貸すか。
百貨店側が見抜けなかったのも無理ないと思います。画商を信じて買ってますもんね。
でも、もし百貨店側が、指定画商からでなく別ルートから入手してお客さんに販売してたとしたら。。。?
百貨店に並んでる絵画って、色んな経路であそこに並んでたりするので、今回はどうして発覚したのか、どういう経路だったのか知りたいわ。
なんか山村美紗ミステリーみたいじゃないですか。

私の版画は、百貨店でもギャラリーで買われたものでも、全部ホンモノですよ(笑)。
原画=上砂
彫り=上砂
刷り=上砂
彩色=上砂
販売=上砂
営業=上砂
納品=上砂
って。自信を持ってお届けいたします★
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エランドール賞★

2021-02-05 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
窪田くんは第45回エランドール新人賞を受賞されました。パチパチ!
毎年のようにノミネートされてたけど逃してきたので、受賞の基準って何やねん?思てましたわ。
それにもう中堅どころなのに「新人」賞。
同じく受賞した賀来賢人くんもとっくに新人ではないので、毎年謎です。
まあいいのです。
梅ちゃんを演じた森七菜ちゃんも受賞でめでたし。
そしてそして「エール」のプロデューサーも、ドラマ部門のプロデューサー賞を受賞され、めでたし×三倍です。とても嬉しい。

「エール」が終わっちゃって、今はBSで「澪つくし」と「おちょやん」二本立てを淡々と(笑)見る日々。
そうそう、「エールメモリアルブック」まで買ってしまいました。
朝ドラ主演は人生で二度と無いので、なんでもかんでも記念です。
思えばめちゃくちゃたくさんのキャラクターが出てきて、今の「おちょやん」の5倍ぐらい慌ただしいドラマだった(笑)。
おちょやんが「定番の安定感」なんで、尚更そう思います。
窪田君はオリンピックの聖火リレー走者として、福島を走る予定でしたが、どうなるのでしょう。
これも一生一度ぐらいのチャンスなのに、無くなったら悲しいわあ。

ところで私は窪田君のヨメとなった水川あさみさんの演技が好きなんですが、彼女は昨年、映画当たり年でした。
窪田君と同時に、キネ旬主演女優賞に輝かれましたが、対象作品の「喜劇 愛妻物語」「滑走路」、両方とも観ました。
前者はコメディ、後者はシリアス(ちょっとミステリー)。
役どころは全然違うけど、やっぱり上手い。
特に愛妻物語の悪妻は、濱田岳のダメダメ旦那を徹底的に毒づくので、すごい迫力です。ある意味胸がスカッとします(笑)。
濱田岳ダンナ、本当に駄目な男なの。史上最低な男なの。
でも別れないんですよね~。夫婦って不思議。
この悪妻演技が真に迫ってるので、「窪田君、大丈夫か?」ってファンは不安になるよ(笑)。まあそれだけ上手いんすよ。
「滑走路」では、切り絵作家の女性役で、旦那さんとの微妙な感情の行き違い表現が見事です。映画自体も美しく良作でした。
先週から始まった土曜9時のBSテレ東ドラマ「ナイルパーチの女子会」も、一筋縄ではいかない役のようです。
今からまだ間に合うので、ぜひ見てください(笑)。「女子あるある」で面白いから。

あ。窪田君の話からヨメの話になってしまいました。
でも、ご夫婦とも演技が繊細で私好みなんで、同時に応援出来るって嬉しいですねえ★
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ゆく年くる年!★

2020-12-31 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
今年最後の映画として「えんとつ町のプペル」を見てきました。
素晴らしかった!
(上の画像は絵本バージョンです。吉本公式からお借りしました)

キングコング西野亮廣さんが絵本を出した時から、すごい絵だな~と気になってましたが、アニメになることは知っていたのでそれを見てから絵本版を買おうと思っていました。
だってそうでないと、ストーリーがわかってしまうからね?

絵本の繊細なパノラマ世界がそのまんま生かされて、「ブレードランナー」を明るくしたというか、摩訶不思議ワールドが見事でした。
ブレードランナーは真っ暗でしたけど(笑)、あの、独特のアジア下町雑踏感覚ね。
これだけ「贅を尽くした」アニメも(CGとはいえ)なかなか無いのではないでしょうか。
私はアニメの技術的なことはわからないのですが、緻密なテンペラ画に生命が吹き込まれたようで、でも重たくなく子供も馴染めるように可愛らしいんです。
絵本作家でいえば、レイン・スミスの絵から毒を抜いた感じです(すみません。レイン・スミスも素晴らしい画家なんでググってください)。

プペルの声の窪田くん、ルビッチの芦田愛菜ちゃん、その他本職の声優さんではない方々が声を担当してましたが、どなたも適役で「いわゆるアニメ声」でない所がいい。
西野さんの本も私は持っていて、そのビジネス感覚が色々言われていますが、キングコング出始めの頃から見てるから、基本、彼のやりたい事って変わってないと思う。
難しいこと考えずに、単純に楽しめます。私はもう一回観に行きそう。次はストーリーの感想書きます。

今年はコロナ一色になってしまいましたが、少しずつ「コロナとのお付き合いの仕方」を、習得してるところでしょうか。
この年末年始も多くの方が働いておられますが、どうか休息もとりながら良いお正月を迎えられますよう。
さよなら2020年!★
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昭和レトロ★

2020-12-14 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


ここはどこでしょう~。
レトロな喫茶店です。いやジャズ喫茶でしょうか。落ち着いた空間ですね



今度は和室です。これも昭和レトロな感じ。
コタツにミカンという「茶の間の定番」が嬉しい。
白黒テレビで、何やら番組を放映中!

久々に梅田のギャラリー4匹の猫におうかがいして、「元井やよいさん」という方の個展を見てきました。
なんと全てミニミニアート!
ミカンは豆粒より小さいです。テレビも当然てのひらに乗ります。
ミニミニの器物はすべて手作りで、豆粒アイロンとか豆粒本とか豆粒カップとか豆粒ケーキとか。
もう老眼まっしぐらの私は、メガネをいったん外さないと見ることが出来ませんでした(笑)。

全てが精巧に出来ていて、ひとつの部屋を完成させるまでに何日かかるのかしら。。。
でもこういうミニミニ世界、大好きなんで見入ってしまいます。
展覧会はもう先日終了したけれど、撮影とSNS拡散OK、ということで、紹介させてもらいました★
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長い旅路の終わり★

2020-11-28 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


私は「エール」のオープニング映像が大好きで、窪田君の「Happy birthday!」カードをNHKに送った際、ドラマ感想と併せこんなことを綴ってしまいました。
「オープニングの二人で海辺を走っていく映像が素晴らし過ぎて、毎日見てるのに毎日泣いてます(笑)
 きっと私が死ぬ時に、あの映像が脳裏に浮かぶのだと思います」。
映像を撮影された方の苦労話などもブログで読んでいたので、熱く語ってしまいましたが、あの至福感と疾走感が好きなんです。

若くて力がみなぎっている時に、大好きな人と手をつないで、晴れ渡った青空のもと、輝く海辺を走っていく。
これ以上の幸せがあるだろうか(いやない)。
。。。と常々思っていたら、まさかのそのシーンに最終回でクルリと戻るという(!)
裕一さんに支えられて(ベッドから出る時、裕一さんが音ちゃんの足を大事そうに支えて床に降ろすのも好き)、一歩また一歩、海を見に行くのかと思ったら、足元が白くなって。。。あれ?粉?
と思ったら、暗い木の床は美しい砂浜に変わり、年老いた足元は軽やかに駆け出す。
ここで二人が海へ駆け出し、耳馴染んだGreeeenの主題歌イントロが。
。。。って!
いやもう!
アカンて
号泣するわたくし。

これはきっと音ちゃんの「死への旅立ち」なのでしょうけど、間髪入れず流れる「♪泣いて 笑って ひびく命♪」の歌声で、「新しい命がどこかでまた産まれる。終わりは始まり」という「輪廻」すら感じるのです。
音ちゃんが産んだ命は、また新しい命につないでくれる。
裕一さんが産んだ曲たちも同じ。あの若い音大生たちに、音楽は受け継がれる。
人は老いて病んで必ず死んでいくけれど、精一杯生きて楽しんで、次にバトンを渡せば大丈夫。
だから悲しまないでいいんだよ。そんな「エール」が、鳴り響いているかのようでした。

出会った頃の若い姿に戻って、無邪気に駆け回る二人に、涙が止まりません。
(「まんぷく」のタラッタッタ♪ごっこが秀逸)
監督の演出はノープランで、二人の自然な演技にまかせた、とのことですが、同じ「若い二人」の姿をしていても、豊橋初デートの頃の二人とは違うのですよね。
長い年月を伴走し老いた二人が到達した、「本当の旅の終わり」。
二人が互いの存在に感謝し、出会いに感謝し、ともに過ごした年月の幸せを噛みしめる気持ちが、もうなんとも言えませんでした。バックが海のキラキラなのもいい。
役柄上だけでなく、コロナ禍での撮影の苦労をわかちあった「同志」感が伝わってきました。
これは天国の二人なのか、音ちゃんが亡くなる直前に見た夢なのか。
「見る人がいろんな感情を乗せて共鳴出来るように」無駄な説明は省いた演出だそうですが、「抽象画」ということね。
悲しい最期でなく、無邪気で破天荒に結ばれた二人らしい絵でした。

最後は二人が去った浜辺にオルガンだけが残り、
「人はいつか死ぬけど、音楽は残る」ということを、示唆しているかのようでした。
予想していたドラマとはぜーんぜん違ってたけど、最後のこの表現の素晴らしさで、マイナスポイントの全てが帳消しになった(笑)。
「終わり良ければ全て良し」ですね。フィニッシュは大事なんだねー。
音ちゃんと裕一さんは、天国でもずっと一緒でずっと幸せ。仲間たちも一緒にいる。お父さんもお母さんもいる(安隆父さんは?地獄?)。それがわかって良かったです。
ということは、私が毎朝感動していたオープニングは、「彼岸」だったのか(!?)
だから涙が出たのね(きっと)★
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エール最終週は「エール」★

2020-11-28 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ


朝ドラ「エール」第24週で遂に大団円。初めて朝ドラを飽きずに完走した!?
金曜はキャストの皆さんが古関裕而さんの名曲を歌い継ぐミニ・コンサート。
木曜が本編の物語ラストでした。
私の中ではやっぱり木曜の第119回が「完」だったので、金曜は「ボーナストラック」って感じでした(?)

「高原列車は行く」の間奏で長→短→長と転調するのが驚きでしたが、これは流行りそう。楽しい!
「イヨマンテ~」を歌う「岩城さん」の歌声は貫禄。
でも私は「細川たかしバージョン」の方が好き(うたコンでやってたの)。細川さんは民謡調だからかな。凄い迫力だった!
「イヨマンテの夜」が当時の素人のど自慢で盛んに歌われたってのもわかるわ。歌自慢の課題曲ね。
モスラ~も面白いし、「昌子さん」の「フランチェスカの鐘」は妖艶。
大トリが「音ちゃん」の「長崎の鐘」でした。裕一さんの指揮です!
二階堂ふみさんは、エールのオーディションの時にこの曲を歌われたそうで、もう感無量だったのではないでしょうか。
この最終回コンサートは、ドラマを作るプロデューサー側からの、キャスト陣への「エール」だと思いました。
コロナ禍で「歌う」場所を奪われた歌い手さんたちへの、敬意と感謝と励まし。
子役達も登場して良かったなあ。みんな1~2年たったらグーンと大きくなるだろうね。

本編の方は、月曜でまだ家族会議(!)裕一さんが豊橋へ押しかけたあの頃とカブります。
胃潰瘍あがりの裕一さんはさすがに老け込んでいる(笑)。天然っぽいアキラはどこか若い頃の裕一さんと同じ匂いがする?
火曜はあの小さな教会で手作り結婚式。またまたスピーチの裕一さんですが、檀上から降りる際によろけて、年齢を感じさせます。
結婚式が終わり、ガランとした古山家の夕日さしこむ玄関で、「俺たちも終わりに近づいたのかな」と音ちゃんに話しかけるところが切なかった。あの時代だと、子供を結婚させたら「お役御免」という感じかな。
と思っていたら、あっという間に孫が産まれ、華ちゃんは看護の仕事を続けています。そこへ「東京五輪マーチ」の作曲依頼が。

水曜では昔からの仲間たちが古山家に集結。肩組んでヒット曲を歌いまくり飲みまくり。
木枯さんが久々に古山家で「鉄男のおでん」を食べてて泣けます(ちゃんとはんぺんも入っている)。
若い時からの友達と、今も変わらずワイワイ出来るのっていいね。もう戦争も無い。幸福で泣けてくるよ。そして東京五輪へ。。。
で初回の開会式直前シーンにつながりますが、SNSで多くの人がつぶやいていたように、今の裕一さんは年はとれども経験も積んで自信に溢れてて、緊張でトイレに駆け込む人には、とても見えませんよね。。。
音ちゃんは「(あの人が逃げ込む場所は…)トイレだ!」とピンときて探しに行ってたはずだけど、あれを見て「カカア天下の音さんが弱気の裕一さんのお尻を叩いて進む物語なのかな?」と思ったものです。
古関さんの息子さんがブログで「父はあんな人ではなかった。もっと堂々としていた」と少々憤慨気味に書いてらしたので、制作側はちゃんと人物像を作り込まずにスタートしたのかもね。
そして、ドラマが進むにつれ予想外に「役」が成長してしまい、最初の脚本イメージとズレが生じたのかなあ。
なんてことも妄想してしまいました。漫画の連載のはじめの方と、最後の方で全然人物像が違うって、ままあること。あれかな。

ともあれ五輪も終わり更に年月は過ぎ、最大の仕事のパートナー池田氏が倒れ、音ちゃんも病の床に着きます。
金子さんが乳がんで60代後半で亡くなられたのは史実通りですが、小山田氏(山田耕筰氏)との確執は、実際はそれほどなかったような。もちろん尊敬して折々に仕事上の交流はあったようですが、「一定の距離を持った間柄だった」と自伝にあります。
でもこのドラマでは重要人物として位置づけられていたので、志村さんの死で裕一との直接のやりとりも無くなってしまったのが残念です。でも、最後の最後で「小山田氏は敵なの?味方なの?」の謎が解けたので、スッキリしました。
なんだか今も信じられない。
志村さんが亡くなったことで、「コロナで死んでしまう」ということが「現実」になった瞬間。
それが「エール」スタートの日だったというやりきれなさ。

様々なアクシデントに見舞われ、私の中で「不憫なドラマ」になりかけていたのですが、この暗いコロナ期に明るい「エール」が毎日あって良かった。春頃って、新作ドラマは「エール」と「麒麟が来る」だけだったのよね。
「鐘の鳴る丘」「君の名は」にワクワクしていた戦後の人々の気持ちが、痛いほど解ってしまいました(つづく)★
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若いキラキラ★

2020-11-23 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ

大事な大事な「お嬢さんをください」の席で、あーんな丸いツルツルのお菓子を出すなんて。
音ちゃん、けっこう「いけず」?(黒光?黒音?)

今朝の朝ドラ116回目で出てきた「茶色い丸いお菓子」って、「うば玉」かと思いましたよね。
関西人ならおわかりいただけるはず (画像は亀屋良長さんからお借りしました)
最近はチョコうば玉とかあるらしい。でも、ドラマに出てきたのは福島のお菓子なんですね。
丸くてゴムで覆われている羊羹は、関西でもあるよ。昔食べたよ。
デパートとかにあった「ぐるぐる回って好きなだけつかみ取り」のお菓子定番だったよ。

さて朝ドラ「エール」も大詰めです!第23週は「恋のメロディ」。
華ちゃんの恋と、「君の名は」や「恋すれど恋すれど」というミュージカルにひっかけたのか。
「君の名は」がラジオで始まる木曜八時半になると、銭湯の女湯はガラガラになったという伝説は、母の証言によればあながち誇張でもないらしく、「真知子巻き」は大流行だったそうな。
私は自分の版画に「スカーフを頭に巻いた女性」を入れるとき、必ず「真知子巻き」をイメージしている、と版画教室で話したら、「あんた何年生まれなの」と笑われました。リアルタイムでは「君の名は」見てなくても、なぜか知ってるんだよね~。

脚本を書くのがギリギリの池田さんに合わせて、ぶっつけ本番ハモンドオルガンの伴奏、裕一さんはそら胃潰瘍にもなりますわな。毎度生放送って、すごいプレッシャーだけど、楽しそう。朝ドラおじさんのバナナマン日村氏が、いかにもいそうな「効果音担当」で可笑しかった。
窪田君はインタビューで「年齢を重ねた裕一は、どんどん少年に戻るというか自由になっていってると思う」と言ってましたが、本当に目が輝いている。
もう軍の圧力もなく、レコードが売れるか売れないかの心配もなく、ただただ「芸術に身をゆだね」たらいいのだから、そらイキイキしますよね。池田さんという強いパートナーに引っ張られて運気も上がってる。
「持ってる人」ってみんな、「人との出会い運」が強い。
「あの時あの人と出会わなければ今の自分はなかった」という重要ポイントを外さない。
ラジオドラマの仕事も、戦前の「ニュース歌謡」で「戦況に合わせて短時間で音楽を作り即生放送」という過酷な仕事をやってきたからこそ、すぐに対応出来る。そして、良い曲を作っていたから池田さんみたいな人から声がかかる。
あのハモンドオルガンも、古関さんは未経験だったそうですが、操作方法を教えてもらいすぐ出来るようになったそうです。

今まで頑張ってやってきたことが、戦争から解放されて自由に花開く文化の時流に乗り、裕一さんは「今が青春」であるかのようです。
この頃っていったら45歳ぐらい?だから、どんどん老いぼれていくのかなーと予想していたら、窪田くんはそういう造形をしませんでした。
類型的な「老い」でなく、「芸術家は全盛期が最高に若々しい」という造形です。
だから「少年に戻っていってる」と言ったのね。

対して「今まさに青春している」一人娘の華ちゃんが、看護の仕事に就いて恋をしていく過程、キラキラでまぶしい。
ドラマも少子高齢化現象で(笑)、登場人物で子だくさんの人がいないから(コロナ禍の撮影上難しいのだと思う)、なおさら華ちゃんの若さが嬉しいわ。
ロカビリー歌手(駆け出し)の彼氏は、だれかモデルがいるのでしょうか。古関氏もとい裕一さんが作ってきた音楽からかけ離れた領域なんで、この二人(裕一&アキラ)が果たして上手くやっていけるかな。。。というところでこの週は終了。
音ちゃんはお菓子ばっか食べてるんですが(笑)、あの「カボチャなんて久しぶりに食べた」戦時中の苦しい台所から、よくぞこんな時代が来たもんだ~と感慨深い。
戦後10年で世の中ってこんなに変わるのかな。ロカビリー歌手に女性がキャーキャー騒ぐ日が来るなんて。
竹槍作って「鬼畜米英」と言ってた日々から、人はこうも変わるものなのか。
戦時中につらい思いもした華ちゃんを思いやり、愛情に包まれた幸せな結婚をしてほしいと願う、音ちゃんの「母の愛」もいい。すべて「平和な時がありがたい」に満ち満ちています。これから日本はグーンと高度経済成長期なんだよね。
しかし、華ちゃんの結婚より、「本当にオリンピックマーチまでたどりつけるのか?」が、心配な視聴者。だって木曜で本編終わりなんだよ。すーごい「巻き」だ!

公式ツィッターの「古山家の360℃ビューイング」ってのがあるんですが、洗濯機と冷蔵庫が無いのです。
冷蔵庫が無ければスイカや納豆の保存はどうしてたんだろ?
母に聞いたら、「1回で食べきってたかな。スイカは井戸の水につけて冷やしてた」。
洗濯機は昭和30年ともなれば二槽式だと思うけど、「サザエさん」でもたらいで洗ってたから、まだ登場しないのかな。
ともあれ、「みんな、美智子さん(現上皇妃)の結婚式か、東京五輪を見たくて月賦でテレビ買った」という。
古山家は早々にテレビ買ったようで、やっぱ経済的余裕やな~。
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裕一さんのスピーチに感極まる★

2020-11-16 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
しかし「ことりカフェ」では皆さんほとんど寝てましたね(笑)。
自分の止まるポジションは決まっているらしく、きちんとソーシャルディスタンスを保って整然と並んでいる。
毎日寝食を共にしていたら、違う鳥種同士でラブラブになったりしないのか聞いてみましたら、「それは絶対に無いです!」ということでした。

さて朝ドラ「エール」第22週「ふるさとに響くうた」は、裕一さんの故郷である福島が舞台でした。
やっぱり福島編は「ほっこり」するねー!
東京のワチャワチャも好きだけど、福島の輝く緑や田舎の空気感がホッとさせてくれます。
母校の校歌を作ることになり、裕一&鉄男の「二羽烏」は裕一実家に長期滞在。
作中に出てくるNHKのラジオドラマ「さくらんぼ大将」は、「鐘の鳴る丘」終了後の子供むけ作品だったようですが、古関裕而さんが菊田一夫さんに「今度は田舎の、僻地にまつわる少年の物語をやりたい。どこか知らない?」と請われて、戦時中疎開していた福島市郊外の飯坂温泉からさらに山奥の「茂庭」を紹介し、「よしそれでいこう」ということでプロデューサーとともに現地取材に行き始まった、とのことです(古関裕而さん自伝より)。
放送スタートから半年後にご招待を受け、皆で飯坂温泉で1泊し、大変な歓待っぷりに喜んだとあるので、当時は大ヒットドラマだったのでしょう。
しかし、大将は2~3泊ですぐに東京帰ってるけど、裕一は結構長逗留してるので、毎日東京で生放送していた「さくらんぼ大将」の音楽はどうしてたのでしょうか?
のんきに実家で宴会してる場合じゃないよ。ドッペルゲンガーがオルガン弾いてたのかい
。。。というツッコミがこの週最大の目玉でした(違う)。

行方知れずになってしまった弟と、奇跡の再会を果たし、幼い頃の悲しい記憶と折り合いがつけられたのかな。幸せそうに小学校児童の前でスピーチする鉄男さんが、とっても男前でした。
少年時の鉄男役の男の子も好演でしたが、大人鉄男も「あのまんま大きくなった」感が滲み出ていて、硬派の魅力。
コロンブスレコードのあの女性ディレクターと、この先鉄男は結ばれるのでしょうか。。。

兵隊にとられた。。。といえば、裕一の弟浩二が気にしている「まき子さん」は、思い人(恋人?)を戦争で亡くし、傷が癒えないままでした。
戦時中も戦後も、そんな人ばっかだったろうなあ。
裕一&鉄男が戦死した藤堂先生のお墓参りをしてましたが、予告編では藤堂家のお仏壇にお線香をあげている場面があったので、昌子さんと息子さんにも会ったのでしょう。未亡人となった昌子さんはもしかして信用組合の仕事に就いて、川俣銀行の仲間たちと一緒に働いてる?なんて想像(だったらいいな)。
母の話では「戦争未亡人になった人は、旦那さんの弟と再婚することが多かった」ということです。義理の弟と再婚!なんか複雑な心境。
グズグズと結婚せぬまま40歳近くまできてしまった浩二。家を守り母を守ってきたら、仕方ないわよね。
でも畠山氏(マキタスポーツ)の寄り合いで「この辺はもう、いい男なんて一人も残ってないから!」なんて大声で言われてしまって、可哀そうすぎる浩二(いますね。こういうデリカシー皆無のおじさん)

東京から音ちゃんがやってきて、要領の悪い古山兄弟にハッパをかける。なんか戦前の明るい行動派の音ちゃんが戻ってきた!やっぱこうじゃなきゃ。音ちゃんはドスドスと歩くゴジラでなきゃ(笑)。
迷ったあげく遂にプロポーズを果たす浩二でしたが、朝ドラ15分では交際期間もなく即、挙式なのでした。思えば裕一夫妻が結婚式挙げてないので、美しく華やかなお式が嬉しい。昭和26年に(あれ、料亭よね?)これだけ豪勢に三々九度を敢行出来るということは、たぶん、古山家は呉服屋時代の財産もまだお持ちだったのでしょうか(すみません下世話で)。あ、お母さんの実家の権藤家が財閥よね。
原節子似の浩二のお見合い相手の方も、立派なお家のお嬢様ぽかった。浩二の年齢考えると難しくないか?とも思うけど、公務員だから条件いいのかなやっぱ(すみません下世話で)。
ウチの父と母は昭和30年挙式でしたが、少数の親戚で会食して写真館で記念撮影してそれで終わり。それで背一般だったうです。比べたら、古山家はやはり相当の名家なのだと思います。

終盤戦になって、毎週金曜日にはスピーチしてる裕一(笑)。今週は娘の結婚式でスピーチでしょうか。年とるとスピーチ多いよね。
三郎父さんの代わりに、親族代表で新郎の弟を褒めたたえる裕一さん。
でもおおげさでなく、ほんとに浩二が頑張ったから古山家は存続したんだよなー。
それまでの兄弟のいざこざと和解の歴史があるから、スピーチ途中で言葉を間違えたり言い直したり、そんなところも裕一さんの「感極まれり」が滲み出ていて、本当に泣いているようだった。そうそう、リアル結婚式スピーチです、これが。
最近、結婚式しない人も増えてますが(コロナでなおさら)、やっぱりいいね。
みんな、戦争が終わって、幸せを実感出来る。
そんな場面を積み重ねて豊かな人生になっていくんだな~。

「高原列車は行く」の♪ラララララ♪に乗って、幸せな幸せな福島編でした(私はこの歌もサビが歌えるな)★
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長く苦しい時を経て★

2020-10-31 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
ハッピーハロウィン!
…ってエキスポシティでは何もハロウィンディスプレイしてませんでした。
ですが仮装してる人は一人だけ見かけました。どこかのパーティに参加するのでしょうか。
これは大阪市内のある商店街のディスプレイ。ここは各商店がカボチャを飾り頑張ってます。
やっぱりね。コロナ禍でもやれるだけのことはやる!気合ですね。

朝ドラ「エール」のも第20週に入りました。
遂に先日10月29日にクランクアップされたそうで、実に1年1ヶ月の撮影期間。コロナで中断して志村けん氏も亡くなり、絶対に誰も感染者を出してはならない状況で、撮影頑張られたと思います。でもメイキング動画とか見てたら、みんな以前と変わらない楽しい撮影現場で、メイキングの方が見ごたえあるぐらい(笑)。
先日のあさイチプレミアムトーク、久志を演じている山崎育三郎さんのワンマンショーと化していましたが、素晴らしい「エンタメびと」っぷりでした
声がね!いいのよね。「艶のある声」「華のある声」ってこういう人をいうのかな。
でも、小さい時に小椋佳さんのミュージカルで主役を演じてたなんてビックリ。小椋佳さんのミュージカルは当時話題になってました。輝ける「いっくん」に拍手です

ドラマ中では、あの王子様久志が戦後ご実家も没落して身寄りも無く、ボロボロ状態で闇市の一角で酒と賭博におぼれている、という設定でした。
久志のモデルの伊藤久男氏も、戦後の一時期「戦犯としてとらえられるかも」と恐れ、酒におぼれていた時期があるそうなので、史実も取り入れてるとはいえショッキングでした。あの美しい後妻さんのお義母さんも、紳士のお父さんも亡くなってしまったなんて。ちょっと意地悪だったお手伝いさんはどうしたのかなあ。桁外れにゴージャスなお屋敷だったので、今、お仏壇がある佐藤家がひっそり侘しい(実際の伊藤久男さんのご実家は戦後も繁栄されてたそうですが)。

久志に赤紙が来て壮行会やってる時、藤丸さんはいなくて「あれ?」と思ったけどその時はお別れしてたんかな。かなり長い間会ってなかったのかも。でも藤丸さんはずっと久志が好きだったのね。
華やかだった久志の変わりようを見ていると、戦争が人の運命を変えて、ゼロどころかマイナスから復活する過程って、なんて長い時間なのだろうと思う。
ただ一生懸命に生きてきただけなのに、戦争で日本が負けたことで「戦争に加担した歌手=罪人」扱いされるのが悔しい。
大衆って勝手なもんだ。流行りの時はもてはやすのに、流行が去ると冷たくなる。
焚き火で焼かれる「暁に祈る」のポスターを、呆然と眺める久志の目が虚ろで悲しい。

「栄冠は君に輝く」は誰もが知る甲子園(全国高等学校野球選手権大会)の応援歌。
学制改革で従来の「中等学校」が「高等学校」になり、中等学校野球歌は既に山田耕筰氏の曲があったそうで、インパール慰問先で会った新聞記者から古関氏に作曲の依頼が来た、という流れは史実に即しているようです。
誰もいない甲子園に立ち、熱闘と歓声を想像しながら作曲したであろう場面は、あの「紺碧の空」を作った時とかぶりますね。
思えば「紺碧の空」では久志が裕一を助けてくれた。最初の出世作で名曲となりました。
あのときの反対で、苦しむ久志をなんとか説得して歌の世界に立ち戻らせるため、あれやこれやと奔走する裕一さん。池田さんまで使って久志の新曲レコーディングまでこぎつけました(池田さんと久志のバクチ。あれは池田さんのイカサマだと思う)。
コロンブスレコードの録音室だけど、久志は歌手として契約してたのに今はどういう身分なんだろう。フリーなのかな。
そして最近の裕一さんは、廿日市さんを通さず直に仕事の依頼を受けてるから、どういう仕事の仕組みになってるのかなー。鉄男はおでん屋→新聞記者ときてまた作詞家一本で食べていけてるのかな。鉄男に赤紙が来なかったのは記者だからかな。
と、いろいろ妄想しだしたらキリが無いのですが、朝ドラって「ナゾの部分」が滅茶苦茶多いのが、「はね駒」「澪つくし」見ててよ~くわかったので、もう考えないようにしよう(笑)。

戦後、ドンと老けた感が出てきた裕一さんですが、風体だけでなく言ってることにも厚みが感じられるようになってきました。昔はあんなにアワアワしてたのにね~。
歌い手として久志の多彩な実力を推すことを、朝一新聞の記者さんに猛然と訴えるところ、ただのゴリ押しではありませんでした。音楽に対する真摯さが感じられる絶妙なセリフ回しでした。
でもこの話も、そもそもビルマに行かなかれば記者さんとも会ってなかったわけだし、「人との不思議な縁」で運命を切り開いていく裕一らしい展開です。

甲子園に再び、今度は久志と二人で立って、裕一が投げたボール=エールを、久志が歌で返すところは、ある意味このドラマのハイライトでした(毎週のように「週末はハイライト」だ)。
ゆっくりとアカペラで歌う「栄冠は君に輝く」の、なんと美しいことか。
長く苦しい時を経て、再び友が輝けるように願った裕一さんの、思いが天に届くかのようでした★
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希望の鐘の音が鳴り響く★

2020-10-29 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
もう先週の話ですが、エール第19週「鐘よ響け」の感想です!
小峰書房という出版社の方のツィッターで知った「鐘を鳴らす子供たち 作:古内一絵」。ネットで買ってしまいました。
表紙の絵が可愛い!ドラマに出てきた「鐘の鳴る丘」という戦後ラジオドラマに一般から参加した子供たちの奮闘を描きます。
まだ最初の方しか読んでないのですが、結構、NHKでは流せないような描写もある。。。作者がまだ若い人なので、現実を元に創作されたフィクションということですが、ここでは池田さん=「劇作家の菊田一夫氏」は「菊井先生」として、裕一さんこと古関裕而氏は「古坂さん」として登場します。
「古坂さんの『予科練の歌』が大好きでよく歌っていた」と少年が語る場面があり、「予科練性の七つボタンの制服は憧れだった」とも。「戦争は悪」なのに、「戦争に行く人」は憧れの対象となる。この矛盾。
当時の庶民の心情も歴史のうねりも細かに描かれ、エールと並行して読むとより深く時代背景を知ることが出来ます。

裕一さんがなかなか戦争の深い傷から立ち直れずに、1年半ほど仕事もせず時計作りにいそしんでいた。って生活は成り立っていたのかな~。確かお金持の人でも銀行預金は凍結されておろせなかったはず。しっかり者の音ちゃんが戦前にタンス預金にしておいたのだろうか。
前回のドラマ感想でも書きましたが、戦後の昭和24、5年ぐらいまでは物が無く、食糧もまだ配給でみんな闇市(やみいち)で手に入れてた、とウチの母は証言しておりました。智彦さんが弟子入りしたラーメン屋台は相当儲かってたみたいだけど、麺やチャーシューは手に入ったんかいな。
古山家は華ちゃんにお弁当持たせてたので(中は麦御飯かもしれんけど)、お金はあるとはいえど、どうしてたんでしょうね。そこんとこ気になりましたが、「時計作り」というのがミソで、「いったん古い時計(過去)をぶっ壊して新たに人生を組み立てる」裕一さんの姿を、時計作りになぞらえているのかなと思いました。
古関さんも手先が器用で、少年時代にラジオを組み立てて「日本のラジオ第一声!」を聞こうと奮闘してたそうです。実際は、自家製ラジオはウンともスンとも音を発さなかったそうですが。

自伝本「鐘よ鳴り響け」では、玉音放送は故郷の福島から一人東京に戻り新橋駅で聞き、その後10月には「山から来た男」というラジオドラマが始まり音楽を担当した、とあります。菊田さんとは戦前から一緒に仕事をしていて、戦後本格的にタッグを組んだ。「運命の人」なんですね。
菊田一夫氏はドラマの池田さんのように、破天荒で豪快な男だったようですが、毎回毎回ドラマの脚本はギリギリになるまで完成せず、なんと生放送の時間になってもお話が出来てなくて、しばらく古関さんのオルガン演奏を流していた、とか。どんだけいい加減なの。
「みっどりの丘の~あっかい屋根~♪」は私でも知ってます!あの可愛い曲が古関さんだったなんて!
「なんという愛らしく、優しく詩情に満ちた美しい詩であろう。幼い日に不遇であり寂しさを味わった菊田さんならではの詩である」と古関さんは絶賛しています。だからすぐに「曲をつけよう!」と思ったのでしょうね。歌う子供たちが可愛い。誰でも元気になれる楽しい曲です。
丸メガネにちょびヒゲの池田さんのおかげで裕一さんは立ち直るきっかけを掴み、オルガンを弾く姿にも笑顔が戻りました。
音ちゃんのストレートな喜びようが素晴らしい!でも解ります。
長く暗いトンネルから脱出して、やっと古山家にも光が差す時が来ました。明るい音ちゃんの本来の笑顔がはじけ、こちらまで嬉しくなります。そして悲しみを乗り越えた華ちゃんも、あっという間に高校生になった!

その後ほどなくして、長崎医大の永井隆博士の著書「長崎の鐘」からの映画主題歌として作曲をするエピソードが描かれますが、実際は古関さんは博士に会っておらず、「贖罪ですか」のやりとりも無い。曲が出来てから永井博士から手紙を頂いたとか。
裕一さんは長崎を訪れ永井さんに直接会い、掘り起こされた大きな鐘や荒れた地、復興に頑張る人びとをこの目で見て、感じ入るものがありました。
ことがことだけに、大きな使命を背負って作曲に挑んだのではないでしょうか。でも、葛藤の中から生まれたこの曲で、裕一さんの「戦争」がやっと終わったのだと思いました。病床の博士との禅問答のようなやりとりの中で、「頑張る人のためにエールを送る」ことが自分の使命だと悟る。
つまり、戦前も戦後もやることは同じなのです。
結果的に人々の戦意高揚に加担したことになったけれど、「エールを送るために創作する」こと自体は変わらない。
ならば、「戦前、お前は重大な罪を犯した」呪詛からは解放されるのではないでしょうか。
永井博士から与えられた重要なヒントで、「罪深い自分が再び音楽など作っていいものか」という「迷い」の最後の部分が、「希望」へと変換された。
「長崎の鐘」の曲の途中で転調する部分、「なぐさめ、はげまし」でパアーッと暗い空から光が差してくる。
あの見事さは、創作家の心境と戦争で傷ついた人々の心とが完全に合致する「希望」の瞬間で、自然と涙があふれてきます。
「ああ芸術って素晴らしい。音楽ってありがたい」と感嘆せざるを得ません。

冒頭に書いた「鐘を鳴らす子供たち」本の中で「戦後、軍歌を歌うことは禁じられた」とありました。歌を作った人はどんなにか、胸のつぶれそうな想いだったことでしょう。
でも現実を受け止め、苦しみを希望に変換出来た。人はそうやって、自力で苦難を乗り越えるしかない。
これまでも「他人がきっかけをもたらした」ことが多かった裕一さんですが、きっかけから運命を切り開くには才能と努力は不可欠なので、戦前に精力的かつ一心に仕事をしてきた蓄積も、無駄ではなかったということでしょう★
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もし戦争に勝っていたら「無駄な死」ではないのか★

2020-10-18 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
私の母は昭和5年生まれで終戦時は15歳。「エール」の華ちゃんと弘哉君の間ぐらいでしょうか。
あの昭和20年8月15日の玉音放送を聞いて、どう思ったのでしょう。戦時中は何を考えていたのでしょうか。

裕一さんの「最大の恩師」である藤堂先生が亡くなってしまいました。
慰問先のビルマで奇襲に合い、目の前で銃弾に倒れ、自分の腕の中で息を引き取ってしまう。これほどのショックがあろうか。。。私なら帰国の途の船中から海に飛び込んでしまうかも。
悲惨な戦場で「先生」を前にした裕一さんは、まるで子供の頃の姿でした。訓練されていない一般人が、修羅場に放り込まれたらこうなる。何も出来ず、ただただ惨めで生き残った兵士にすがりつくしかない。この「弱さの表現」が秀逸でした。
戦場のドラマって大抵かっこいいアクションで、死ぬ時もやたらかっこいい。でもここでは「かっこいい」ことは何も無かった。
戦場で死ぬことは、意味も何もない。ただただ「死」だけ。
あの画家さんの言う通りでした。
あの画家さんは「この目で見たものを人々に伝える」自分なりの使命でビルマへ来たし、同行の文筆家もそうでした。
つまり「戦争の現実を取材する」強い意志を持ってやってきた人と、裕一は違っていた。
だからあれほどまでに、「何も知りませんでした。ごめんなさい」と、詫び続けたのでしょうか。
「目を背けたくなる人間の本性」を表現するのが窪田流で私は好きなのですが、朝ドラでも容赦しませんね。。。
森山直太朗氏がもう「藤堂先生」以外何者でもなくて、でも歌番組ではカケラも無くて。いやこれ書いてても泣ける。裕一を運動会でしっかり抱きとめてくれた先生を、戦場で看取るなんて。思い出すだけで号泣してしまう。

呆然自失の状態で福島に帰り、無事に家族と再会しても全てが虚ろ。
東京で終戦を迎え、今度は可愛がっていた教え子で予科練に入った弘哉君の訃報が。お母さんが持参した弘哉君の遺品は、かつて自分がプレゼントしたハーモニカ。真っ黒に焼け焦げたそれは、まるで遺骨の如くでした。
戦争で「先生」と「生徒」を同時に亡くし、お国のために奮闘してきたつもりの自分は、一体なんだったのか。
音楽で兵士を勇気づけるなんて、しょせん絵空事だったのか。
私も芸術をやる人間として、裕一の心情を思い、釘付けになってしまう2週でした。
「兵士を勇気づける音楽を沢山作ってきた自分自身が、兵士になって戦場へ行くなんて(考えられない)」。
この「赤紙が来た時の葛藤のリアル」も凄いけど、予科練でまっすぐな瞳の少年達を見て、高揚して帰ってくる単純さも、まぎれもなく裕一のリアル。
兵士になっていない自分の負い目でますます軍歌作りに力を入れてしまい、自分の技術もまた軍歌にマッチして大ヒットしてしまう。大ヒットするからまた類似のオファーが来る。。。という負のサイクルにハマっていることに、うすうす気付いていながらも道を戻ることが出来ない。
ビルマに行く際に妻の音ちゃんに当てた手紙だけが、彼の真意で、誠実の限りであることに泣けました。
また音ちゃんがずっと耐えて彼を精神的に支えていて。。。史実ならば終戦直前に奥さんの金子さんが腸チフスに倒れ、生死の境をさまようのですが、さすがにそこまで描く尺は無かったか。裕一さんが帰国後、病み過ぎてますもんね。
福島で空襲に合い、入院している金子さんを古関さんが背負って、真っ暗な中を階段を降り地下の防空壕に逃げ込む、という描写が自伝の中であるので、私は「これはテレビ的にどうしても再現して欲しい!」と願っていたのですが、叶うことなく終戦になりました。って、どんだけ裕一さんを酷使するのか私(笑)。

日本は戦争に負けて結果的に良かった。
勝っていたらますます軍国主義になって大変なことになっていたでしょう。
北朝鮮みたいな。。。
だから、多くの犠牲を出して「人が人らしく生きることがもっとも尊い」ことを勉強したのでしょうか。
もしも。
もしも、だけど。
「日本が戦争に勝っていた」ならば、先生の死も弘哉君の死も、「名誉」として悲しまなくてもいいものなのか。
負けたから虚しさが募るのであって、勝っていたら。。。
裕一さんの功績は大変なものになり、それこそ勲章までもらえたのでしょうか。
そして良心の呵責も何も感じなかったのでしょうか。
そこをずーっと考えていて、母に訪ねてみると。
「あの時代にはみんな、“日本は負ける”という思いは無かった。少なくとも男の人はみんな“勝つ”と思ってたはず」
「女の人は“負け”も考えていたかもしれない。でもとにかく天皇陛下は神様で、お上からの命令は絶対だったから、戦争に疑問なんて誰も持たなかった。予科練に行った人は超エリートだし、特攻隊で死んだ人も尊敬された」
「敗戦でみんな“アメリカ兵に占領される”と思ってた。女子供は乱暴されるから外に出るなと言われていた。でも、実際はそんなこともなかった。価値観があの1日で180度変わってしまい、善だの悪だの考えているヒマが無い。とにかく物がなかったから。毎日、食べるので精一杯。戦争はそれだけ。昭和25年ごろまでとにかく物が無かった。そこからは豊かになったかな」。
としっかり証言。
今のことはかなりボケてるのに、戦争時のことはくっきりはっきり答える昭和ヒト桁でした。

今の我々は「日本の負け」を知っているから、「沢山の人の死は無駄だった」と過去を振り返って言えますが、あの当時の人が皆「これは聖戦」「これは正しい」と思うのは、ごくごく自然な流れだったのかなと思います。
五郎ちゃんがキリスト教に傾倒し、裕一に「戦争で多くの人が無駄に死んでいる」と訴えますが、そちらの概念の方が「当時としては」異端でしょう(もっとも欧米の人たちはほとんどキリスト教徒なわけで、でも戦争で人を殺している。ここは疑問)。
藤堂先生は、裕一の作る「戦時歌謡」を、本音ではどう思っていたのでしょうか。
もともとが軍人さんだから、戦争反対派ではないわけだし。
でもあの温厚な先生が、敵を殺せるのかしら?
いろんな「人間の矛盾」をはらみながら、「それもまた戦争」と唸ってしまう展開でした★
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同調圧力★

2020-10-04 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
今、「同調圧力」という本を読んでいます。ベストセラー。鴻上尚史×佐藤直樹両氏の対談形式の新書です。
この中に書かれているに鴻上さんの意見、
「戦争は、軍部が暴走した結果ではない。結局、メディアや国民がその“空気”を作り出したことが最大の原因と思っています」
に、少なからず驚いてしまいます。私は、日清・日露で勝ってしまって日本全体が「アジア制覇、いけるかも」と気が大きくなってしまったことが、いけないのだと思ってましたが。
このあいだガダルカナルの戦いの特集番組で、生き残った元兵士の方が「戦争は、いつのまにか始まっていて、そうなれば誰も止めることが出来ない。だからそうなる前に、戦争を起こさないことが大事」と仰ってました。
「露営の歌」を作ってる頃の裕一さんも、どこか他人事のようでした。でも「いつのまにか始まって」暴走してしまうのです。

朝ドラ「エール」も昭和15年から18年に入り、そんな「空気」=「同調圧力」が、ジワジワジワジワと「古山家と仲間たち」を追い詰めていく様子が描かれます。
怖いですね。。。国のために尽くすのは、誰だって賛成だと思うけど、それが度を越して「強制」となってくると。
私なら音ちゃんの入った国防婦人会で竹槍作るのは嫌ですね。。。でも、隣近所でみんなやってて自分だけ「やりません」って言ったら非国民呼ばわりされるんだろうなあ。配給も差別されるとか。
華ちゃんと同世代の母の言によれば、「竹槍訓練なんかやってもアメリカに勝てるわけないとみんな思ってた。でも“やらねばならなかった”」。まさに同調圧力。
華やかだった食卓がどんどん貧しくなって、ご飯炊けずにカボチャだけって。
敵の言語=英語は使えず喫茶「バンブー」は「竹」に。音ちゃんが開いて順調だった音楽教室も、どんどん生徒がやめていきました。オルガンが来て楽しそうに歌ってた音ちゃんの笑顔が、曇って切ない日々が続きます。

裕一さんは国威発揚の曲ばかり求められ。。。「紺碧の空」が威勢良い応援歌であり、「露営の歌」が大ヒットしたので、「応援歌といえば古山」になってしまったのも皮肉です。木枯さんみたいな曲で大ヒットしてたら、軍歌のオファーは来なかったのかも。
古関裕而さんは自伝で「露営の歌」や「暁に祈る」「若鷲の歌」などを「戦時歌謡」と呼んでいます。「軍歌」ではない。
心情として「軍から命令されて作ったのではなく、あくまで民衆の心に寄り添ったものだ」と言いたいのだと思います。
なぜなら、芸術家は決して「上からの強制」では作品を作らないから。自らが望むもの、自分の奥底から湧き出るものでなくては、産み出せない。少なくとも古関さんはそういうタイプだったのでは。
オファーは断れない。生活はどうする!妻と娘を路頭に迷わせるわけにはいかず。
今が戦後だからこそ、「戦意を煽る音楽を作った」かのように言われてしまうこともありますが、あの当時の「作らざるを得ない」状況を受け入れ、同時に純粋に、兵士とその家族のために曲を書いたのでしょう。
また体力的に一番パワフルに創作出来る年代だし、「作れば喜ばれる」なら、次から次へ軍歌もとい戦時歌謡を作るのは、必然の流れであったと思います。

音ちゃんが「心で何を思うかは、自由だ」と.自分に正直であり続けることを選び、裕一さんは「でもこういう流れになった以上、自分に出来ることをするしかない」と、割り切る。
軍人さんの妻となりお国のためにすべてを捧げる長女の吟ちゃん、自分を曲げず小説を書いて出版社から拒否される梅ちゃん、新聞社で戦局の現実を知っているのに、それを正しく国民に伝えることが出来ず憤る鉄男、物資が無く遂に店を閉じる喫茶バンブー。
それぞれの思いが食い違い、美しい音の重なりにならない。だから「不協和音」というタイトルなのね。

バンブーのマスター・保さんが、「戦争って、人の本音をあぶり出すよね」とポツリと言ったこと。今のコロナ禍の世界でもあてはまる。
同調圧力で「県外に出るなんてけしからん。コロナをばらまくな!」という空気が醸し出されてるけど、「しっかり対策してるからいいじゃん」と思ってる人もいるし、「来るな!コロナめ!」と貼り紙する人もいる。
鴻上さんは本の中で、「日本は、だれかをおおっぴらに叩いていい、となったら、徹底的にSNS民が叩く風潮が出来上がっている」と書いています。
息が詰まりそうな時代は今も戦時中も似ている。。。そんな中、遂に裕一さんに召集令状が来てしまいました!

自伝でも本当に古関さんに召集令状は来るのですが、本名が「古関勇治」なので、軍局がまさかこれが「あの古関裕而」とは気づかず、本籍地の福島へ送っってしまった、となってます。
一度出した召集令状というのは取り消せないらしく、古関さんは出征することに。でも彼が東南アジアへ赴いていたのはこの召集の前で、ビルマ、ベトナム、シンガポールとまだ戦況が明るかった頃のようです。あの時代に慰問団が海外旅行できたものかと驚きますが、コロンビアやNHKは財力があったのでしょう。
この東南アジア見聞録の記述は、古関さんの自伝中でもっともダイナミックなパートで、芸術家らしい観察力と描写力が光ります★

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