福井利佐blog

切り絵アーティストの日々

福島県二本松市「養泉院」

2017年09月23日 | お知らせ(個展・ワークショップ他)


今回、福島県に到着して
福島大学で翌日のワークショップの準備をした後、

渡邊さん(福島大学教授 重陽の芸術祭総合ディレクター)の車で向かったのは



二本松市に唯一あるという
正月にオカザリを作ってお配りしているという寺院


「養泉院」


に向かいました。



前の週に展示設営で訪れた際に
スタッフの方に聞いてみましたが、
だ〜れも知らなくて、
一人の男性スタッフが住所を見て、奥さまの実家の方だというので電話をして聞いてくれました。

そしたら、「ああ、切り紙のね」と知っていました。

こちらの男性も何回か奥様の実家付近には行っているものの
まったく知らないということでした。




かなり山の中にあり
(おそらく修験道寺院なので山岳信仰ということで山の中)


途中除染した土などを保管している青いビニールシートがかけられたものを何度か目にしました。

二本松の中心部ではほとんどみないのですが、

人通りの少ない山の方は、ところどころ置かれています。



この時期は米どころの福島は稲穂がたわわに実り出していたのですが
畑になっているところは除染しているところで
荒地になっているところは、除染の手をつけていないところだと教わりました。

山の奥の方は、そういったところがまだある可能性があるそうです。



住所を入力してナビを頼りに山をどんどん奥深く入っていくと、
どうやらここらしいというところに着きました。


一見して見た所、それらしい寺院はないのですが

よくみると看板を発見しました。





わー!

本当にあったーーー!!!

と思うものの、民家の敷地内に家とつながっている小さいお堂があり
開いてはいないし、あきらかに家の敷地内。


そこは素通りして

道路に沿っていくと





こちらの石碑。

私が資料で見た切り透かしです。



その後ろには巨岩石の石碑が多数ありますが



お堂は見当たらず・・・。

こちらの石碑たちは修験道山岳宗教の碑だということで4基あります。



その横に、人が登っていないような崩れかけているような小さい階段があり、その上に何かある様子。


通りかかった郵便局員さんに聞いたところ
「登る」というので、

車を降りて登ってみました。






地震のせいなのか、石段がガタガタでした。






一応、小さいお堂はあったのですが

中にオカザリらしいものはなく、戸が外れて中が吹き晒しの状態でした。

よくみると天井の絵は草花が描かれとても美しかったのですが、

誰も手入れをしていない様子・・・。


赤い布で作る赤子人形も取れていたりして
ちょっと怖かったので


残念な気持ちで下山し、

石碑の裏にある民家に聞きに行くことに。



外でここのおうちの子供達が遊んでいるので、
声をかけました。



しかし、なんと!

この民家こそ

二本松市安達在住の行者、
約680年前から続く35代目菅野家

つまり養泉院のお家だったのです。




開いている玄関から、
すでに家に飾ってあるオカザリが見えているのです!



突然訪問したにもかかわらず、お家の中にお招きくださり
家の中に飾られたオカザリを見せてくださり
いろいろとお話をしてくださいました。



その中の一部をご紹介します。















思った以上にすごかった!!!!






実はご紹介された
現在35代目にあたる家主の方が
車椅子でした。

2年前に事故に遭われ、「養泉院」の看板を下ろしてしまったそうなのです。


どうりで外にはそれらしい寺院の看板がありませんでした。




隣の部屋にいたご高齢の男性が
大正13年生まれの34代目の方で、
つい数年前まで養泉院といったらこの方。

現在、福島県立博物館に収められているのもこの方の切り紙。



現在の35代目に引き継がれた所で
事故にあってしまったようで、

現在はわずかに作ってお配りしている状態らしいのです。


おじいさま(34代目)の時代には、そのお父様(33代目)と2人で
2〜3万件くらいのうちにお配りしていたそうです。


オカザリはほとんど「御幣」の形で
作るアイテムは、そのお配りする家の神様にあわせるので
60種類くらいあったとか。


かつては大きな神棚のある古いお家がたくさんあったのですが
現在は、オカザリをかざる神棚のあるお家も無くなってきたのが
衰退の一因です。




お写真でしたが、こういった大きな部屋みたいな神棚のあるお家もあったとか。



2年前に多摩美術大学の美術館で東北のオカザリの特集展示がありましたが
その頃はまだ35代の方もお元気だったかと思われます。


私はその展示には行けなかったのですが、

ちょうど静岡県立美術館で富士山の展示があり
ワークショップで富士山信仰を取り上げ
山岳信仰からの結びつきで
オカザリと切り透かしのワークショップを行わせていただきました。


偶然にもそのワークショップのおかげで
武家屋敷でもそのオカザリの展示にしようと思ったのですが、
ついに福島県の現地で実際の修験者の末裔の方に会い
オカザリを見ることになるとは思わず、

たまたま宝生流の演目が「黒塚」だったことも相まって
ここまで福島県二本松とつながったことに
少し怖くなったりもしました。





そして、閉まっていたお家の横にあるお堂も開けてくださりました。

そこには千羽鶴どころか




万羽鶴というものがあり、

すごく細かい折り鶴で作られていたのですが、

こちらも先代の34代が作られたとのことで





34代の方が相当器用な方だったようです。



以前はこちらのお堂で護摩木も炊かれていたそうですが、
現在はやっていないそうです。









以前は行われていたお神楽のお面もありました。






なんとも幻想的な時間でした。


35代目はオカザリは
「アートというよりはお守りなので」
とアート関係の私が訪れることに恐縮されていました。

1年が終わるとどんと焼きで燃やされてしまうので
残らないものだったのです。







明治期の廃仏毀釈政策で、山伏や行者の多くは神社に移ったり
廃業したりしてして、こういった文化は
政府の中心部であった関東ではほとんど残っていないのですが
関東から少し離れた東北では、ひっそりと受け継がれていたのです。


寺院として残り
伝承切り紙を作り続けた数少ない例の一つがこちらの「養泉院」らしいのです。



岩手県南部、宮城県北部では盛んな伝承切り紙ですが

なぜ福島県の二本松にポツンと一軒残っていたんでしょうね。



外の看板には

今から約680年前、北畠顕家に従い奥州に下向し、
後顕家は義良親王を奉じて京都に向かい、
延元3年和泉の国石津で戦死した。
基氏は守護神不動明王を背負い霊山にもどり勤皇の兵を
挙げようとしたが霊山はすでに敵の手中にあることを聞き、
戦うことを止めて阿武隈川の畔に詫び住まいを設け、そこを不動明王を本尊とする
修験道場としたのが現在の養泉院である。

とのこと。

なるほど。



さらに読みますと


二本松神社、熊野神社のご神体であったと伝えられる
十二面観音菩薩とか
虚空蔵尊、牛頭天王なども祀られているとか。

修験道の石碑は高さ4mのものは県内最大級の碑だそうです。


ほー。


この日のちょうど翌日は、修験道の方々のお祭り?があるようで、
この日宿泊させていただいた岳温泉の社長さんも招かれていました。(山岳宗教のお祭りだから)

高尾山でも画像ですが修験道の場で見たことのある
火種の中を歩くのとか行われるそうです。


私は翌日はワークショップで、そのお祭りは見れなかったのですが
岳温泉の「湯日(ゆい)の郷あずま館」の社長さんのお話では
福島にこんなにもいるのか?というほど
修験者が集まるそうです。


見たかったなあ〜。




しかし、とても貴重な体験をさせていただき
またこの文化が消え入りそうな現実を見て、
心して翌日のオカザリのワークショップをさせていただいたのです。



実際、今回ワークショップで使った上川崎和紙を
養泉院ではオカザリに使われていたそうなのですが
現在は生産量減から高額になり、上川崎和紙を使っていないとのこと。


どうにかしたいものだ〜と
福島大学の渡辺さんと来年の重陽に芸術祭に向けて
考えてみる題材になりました。



先代の34代からといい、
あまり取材や面前にでることはほとんどお受けされていないようなので、

この文化が無くなりかけているのを目の当たりにして悩むところです。







お写真は載せませんでしたが、
こちらの養泉院の35代の奥様がお堂を含めいろいろとご案内してくださり

突然の訪問にも関わらず、親切にご対応いただき
本当にありがとうございました!!!




あー、東北は深い!

そして伝承〜と言われる不思議な言い伝えが多く、
神秘的な土地だということを感じました。

































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