城夏子さん、『また杏色の靴をはこう』

 実際の17歳は、蝶を追いながら花を摘むようなわけにはいかない。私の場合、手探りをしながら日々をやり過ごすので精一杯だった。それはそれで勿体ないことをしたのかも知れないけれど、現実なんてそんなもの…。
 でも! 城さんの素敵な言葉たちを読んでいたら、まだまだ取り戻せるような気がしましたわっ(図々しい)。これはまさに、その為の本だから。

 『また杏色の靴をはこう』、城夏子を読みました。
 

 67歳で老人ホームの生活を選んだ城さんの、70歳を過ぎてから綴られた、“17歳のエキスがたっぷり詰まったときめきの小筐”、ですよ…!

 最初の章で、老人ホームでの暮らしの素晴らしさや楽しさをとても朗らかに伝えようとする内容なので、実は少々吃驚した。はっきり言って時代が違い過ぎて、その辺の話が自分の後学になるとも思えず、「え、もしやこのままずっと老人ホーム絡みの話…?」と、少しばかり腰が引けそうになっていたら、ちゃんと次の章からころころと話が転がり始めたので、最後まですっかり愉快痛快だった。
 それにしても本っ当に、なんて朗らかな文章だろう。お茶目な文章たちが白いページの上で、うきうきわくわく今にも踊りだしそうだ。これは大袈裟じゃなく、それほどまでに明るいお人柄が、文章の隙間から溢れてこぼれてくるようなのだもの。ああ楽しい。

 なーんて言いつつ私は、「茶目っ気と毒気にぞっこん」のこんな冒頭を読んで、うしし…とほくそ笑んだわ。

〔 よく人が言う。あの人は決して他人の悪口を言わない。感心ですと。私はそうは思わない。他人の悪口も言わないような人を私は信用しない。多分心の中では人の言う悪口の十倍位もその人を罵り嘲っているのだろうから。第一そんな人間面白くない。よくよくユーモアのない人であろう。私は悪口大好きである。と言えばあの悪口の達人清少納言の名が浮かぶ。 〕 30頁

 (と、途中から清少納言の話になるのでそちらも面白い)
 ああ、わかるわかる。自分の保身のために誰のことも悪く言わない人って、傍から見ると裏表ありまくりなのが分かりやすいものだ。本人は隠しているつもりでも。
 ぴりっと鋭い人間観察に基づきつつ陰湿にならない人物評なんて、女のおしゃべりには欠かせないスパイスなのにね(それをまた世の男たちは、何でも一からげに“女は悪口が好き”というのだ)。
 美しいものとお洒落が大好きで、常に憧憬で胸を膨らませていた城さん。少女趣味でキュートな方だったのかしらん?と思っていると、こんな風に威勢の良い気っ風が飛び出すので、やっぱり可愛いじゃなくて格好良いと評すべきかしら…?と印象を改めさせられたり。ああ、きっとどちらも兼ねていたに違いない。可愛くて格好良い、中身は17歳の80歳…! ぶらぼ。  

 美しく愉しく年を重ねる秘訣は、“いまが一番好き”という心意気にあるようだ。そしてそこには、城さんが実践し続けたパレアニズム(少女パレアナの、何でも喜びに転ずる遊び)のお蔭もあるそうな。 
 この、“ときめきの小筐”に詰め込まれているのは、今を愛してよりよく生きることへの、尽きることない伸びやかな希求。きっと、誰にでもそれを語りかけてくれる。楽しく明るく、ときに悪戯っぽく。

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