間宮緑さん、『塔の中の女』

 クノップフの絵画がこんなに似合う…。『塔の中の女』の感想を少しばかり。

 “もともとは、詩情という名の虫を胸に秘めたまま、朽ち腐ってゆくことを望んでいた。そうでなければ機械か、あるいは道具になってしまいたかった。僕の心はすでにエレクトラに捧げられていた。” 64頁

 とても好みな作品だった。おぞましくも、蒼褪めた幻想美。詩の言葉を食む存在があって、《おはなし》を探す者がいる。澱んだ時間の中に切り離された、秘密と謎に満ちた箱庭の世界。ただ差し出されるがまま、めくるめき悪夢めくイメージからイメージへと、渡り移っていくような感覚に包まれていた。そうして目の前に現れる新たな扉を一枚、また一枚と開いていくうちに、やがて城壁の外から内側へ、城の奥深くへ、そして灰色の塔の頂へ…と、いざなわれていた。後にしてきた枝道の先には何があったのだろう…?と思うけれど、奇妙なほどにそれらを振り返らない物語だった。

 「あっ」と声を上げたくなる冒頭、全身がガラクタで出来た公爵の姿が描かれる。堆積した洗濯物、襤褸、紙の束、金属の部品…ガラクタの、公爵。この物語の舞台は、その公爵が支配している、いつの時代とも知れない何処かの領地だ。そこで、主人公オレステス少年を始め人々は、《役割》を選び、規格化された個性を身につけ、形骸化した規則にがんじがらめな生活を強いられている。
 親友ピュラデスの家をとび出したオレステスは、墓守の家に居着き、そこを追われると姉の元へと転がり込み、やがて彼女の計画を知る。だが、城の内部へと繋がる道のりは、迂回しているみたいにもどかしい…。
 貪婪な食欲で領民に畏怖されるガラクタ公爵は、城ではひたすら詩人を重用し、彼らの詩の言葉を丸呑みにして動力源としている。そのガラクタ公爵の凄まじさに匹敵するのが、本の山を崩してはむしゃむしゃと食べてしまう紙魚…だった。一体彼ら(彼ら?)は、どういう存在だったのだろう。まるで、詩を、本を、心底憎んでいるようにしか見えなかった。それでいて、ガラクタ公爵と紙魚とオレステスとの間には、何かしらの切り離せない繋がりがある。
 本や文字に関しても、印字された文字が膨張してこぼれ出したり、文字溜まりに血の気を失った本が沈んだりと、不可解な現象を起こす場面などもあり、とても魅入られた。また、城壁の内側で見聞きする風物も面白かった。

 オレステスと、荒れ地の図書館で再会した姉のエレクトラ、痩身の詩人のピュラデス…など、神話をなぞらえた名前が付けられているので、翻案として読んでみることも出来る。ただその場合も、当然気になってくる姉弟の父親のことなどは詳らかにされないので、取り留めもなくあれこれ想像するばかりなのだけれど。塔の中の女のこととか。
 《おはなし》は、見付かったということでいいのか。誰が書いたのだろう…と、考えていると切りがない。

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