バルガス=リョサ、『密林の語り部』

 『密林の語り部』の感想を少しばかり。

 “当時、私には理由がよく理解できなかったが(彼自身もそうだっただろう)、ほかのものへの関心を一掃し、次第にサウル・スラータスの思想的立場を決定づけていったのは、密林の人々、樹木、動物、河川を傷つけている人間の無自覚、無責任、残酷性が具体的に問題になってきたからだった。” 32頁

 素晴らしい。静かに胸を打たれる物語だった。特に終盤の、ひたひたと溢れてくる驚嘆の思いが忘れがたい。これをただ尊いと、言い切ってしまっていいのだろうか…という、痺れるような畏怖だった。
 アマゾンのインディオが密林の奥地で守り続けてきた、その魂のあり方。放浪する人々の、心の内奥。彼らの神話が伝える豊かな世界観の、深みと真髄。そして離ればなれの身内に起こった出来事も、冒険も、死や誕生も。語り部に息を吹き込まれ脈動するようにうねる物語の中に、それらの全てが詰まっている。からを移動する語り部によって、その終わりのない物語の力によって、密林に散らばっていても一つの共同体として繋ぎ合わされているマチゲンガ族。
 語り部の存在に強く惹かれた語り手(リョサ)が、マチゲンガ族に傾倒していた学生時代の友人サウル・スラータスとの日々や、その後を回想している章と、まさにその語り部が話すマチゲンガ族の物語の章とが、交互に配されている。そのまま耳を澄ましたならば、不思議な捻髪音を早口であやつる語り部の声の響を聴けそうな気がしてくるほどに、語り部の章の内容が素晴らしかった。

 人は、自分たちとあまりにもかけ離れた未開(と、判断してしまう)の文化を前にして、どこまでそれを尊重することが出来るだろう。それを理解できないからと言って、滅ぼすなんて権利は絶対にない。厳しい自然と調和しながら生き延びるための、研ぎ澄まされた知恵や特異な習慣、そして彼らにとって大切な信念を、それらが異常で稚拙にしか見えないという理由で、一方的に矯めてしまう権利だって誰にもないはずだ。たとえ完全な共存が理想に過ぎないとしても、それでも…。
 そんな重い問いかけの先に、大学で学び将来を嘱望された一人のユダヤ人青年の、純粋過ぎて殆ど狂気に近いとしか言いようがない、驚くべき決断がある。いったい何が彼にそれを選ばせたのか…と、そんなことを考え出してしまうと私は途方に暮れそうになる。でも、その答えにはたどり着けなくても、心が激しく揺さぶられていた。それは、痺れるような畏怖だった。

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