ミラン・クンデラ、『不滅』

 クンデラを読むのは、およそ…10年ぶりだった。『不滅』の感想を少しばかり。

 “ゲーテの語る不滅は、もちろん、霊魂の不滅への信仰とはなんの関係もない。これは死後も後世のひとびとの記憶にとどまる人物たちにとっての、宗教とはかかわらない、もうひとつの別の不滅である。” 81頁

 大変大変、面白かった。滔々と尽きることないクンデラ節(と、呼びたくなるのだ)に、ふふっ…と幾度も笑いつつ、捻りと可笑しみをない交ぜながら本質を衝いていく筆致に舌を巻きつつ、仕舞にはお腹がいっぱいになる読み応えである。
 目の前で展開される様々な考察に引きこまれる度、やはり凄いなぁ…と感じ入る。一見突拍子もない言葉たちが、強い説得力でもってぐいぐい迫ってくるような箇所では、ただもう圧倒されるばかりなのだ。不滅について。不滅と死の関係、不滅のための闘争、不滅の欲望の仕草のこと。愛について。常に孤独に惹かれながら、愛とはどういうものかを真剣に考える女の愛。と、恋人に夢中であると同時に、恋人の内面には全く関心がない女の愛。その平行線。“魂の異常発達”について…。などなどなど、息を呑んだ。

 まず第1章で、語り手の“私”が登場する。彼はスポーツ・クラブのプールでレッスンを受ける年輩の女性を見かけ、彼女の魅惑的な仕草を目にして甚く感動する。そしてそのことから小説の女主人公アニェスが生み出され、作中人物として“私”によって描かれていくことになるのだ。父親の五度目の命日である、いつもとは違う土曜日の朝の場面から。
 パリを舞台に、アニェスとその夫ポール、アニェスの不和の妹ローラ、その3人の関係を中心に繰り広げられていく物語。その物語に挟まれるようにして、第二部の「不滅」では、年老いた文豪ゲーテと若い人妻べッティーナの、恋を装いつつ実は不滅をめぐる闘争…が描かれる。かと思えば終盤近くの第六部において、また新しい作中人物が登場する別の物語(“私”はその題を〈存在の耐えられない軽さ〉だと言う)が挿入されてくる…という按配だった。

 そして七部構成によるこの小説は、其処彼処が絶妙に響き合う思いがけない仕掛けに溢れている(不滅の欲望の仕草、騒音を厭う仕草、胸に置いた手…)。それらの中には対立し合うものもあれば、優しく結びつき繋がり合うものも見付けられる。さらには、別々の話の境界に徐々に綻びが生じ、出会うはずのない人物同士が知りあってしまう…という錯綜があり、ふと気がつくと捲るめく渦の中に巻き込まれていくような、そんな心地が楽しめた。

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