服部まゆみさん、『レオナルドのユダ』

 『レオナルドのユダ』、服部まゆみを読みました。

 “「そのままでは飛ばない」と彼は悪戯を始めようとする悪童のような笑顔を見せ、空に指を向けた。遥か水田の上空に、蛙でも見つけたのか鳶が旋回していた。「あの形ですよ」と言い、また葉を差し出した。” 
 “ 彼の真似をして僕らは毎回「飛ぶぞ(ヴオラ)!」と叫んで飛ばした。「飛ぶぞ!」「飛ぶぞ! 飛ぶぞ!」「さあ飛ぶぞ!」「さあ飛ぶぞ!」――そして飛んでいるような気分になった。” 23頁

 この物語は、二人の人物の一人称によって語られています。フランチェスコの弟の乳母の息子で、フランチェスコの従僕になるジャンと、レオナルドに私怨を持つ毒舌の人文学者パーオロです。人々の賛辞と崇敬の中、神々しい光をあびてすっくりと立っているのがレオナルドならば、その光が生んだ闇の中で憎悪や嫉妬に苛まれる立場にいるのが彼らです。
 そしてそんな二人の存在こそが、天才レオナルドの魅力や才能を際立たせていくという、何とも皮肉な構成となっています。あたかも、一人の天才の影に隠れる数多の凡人たち…の略図のようです。

 才能と人格は全く別物だと私も思うけれども、正直なところレオナルド・ダ・ヴィンチはやはり、直接描くには大物過ぎるような気がしてしまいます。この物語の中でレオナルドが直接描かれている箇所は意外にもそれ程多くなく、しかもその少ない箇所がとても印象的な場面ばかりなので物足りなくもなく、なかなか巧みな方法だなぁ…と感じ入りました。
 特にフランチェスコとジャンが、レオナルドに初めて出会う場面が忘れがたいです。この物語の中ではとりわけ、レオナルドの自然を愛してやまない姿がよく写されていました。まさに一幅の絵のように素敵でした。

 文庫版あとがきによると、大幅な改訂がされているそうです。実は物語の途中までは、他の服部さんの作品ほどには楽しめなかったのですが、後半の展開が私にはよかったです。満喫いたしました。
 一閃のような強い光と、長く尾をひく深い闇。一人の天才を語り継ぐものたちの物語。
 (2007.5.21)

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