笙野頼子さん、『母の発達』

 タイトルからして、尋常ではない…。
 超絶的に面白いという評判は以前から知っていたが、タイトルでびくついていた。だからさ、駄目なんだってば母娘ものは。身につまされて痛いんだってば痛過ぎるんだってば。…てな訳で。

 結婚してやっと親元を離れて、よく見る夢のパターンがあった。いや、パターンという言い方は正しくなく、ただ終わり方だけがいつも同じ夢。 
 今より若かったり子供だったりする自分が、唐突に登場する実母から酷い叱られ方をする。実際の昔のままに。だんだん胸が苦しくなってどうにもならなくて、「もうイヤだ!自分が焼き切れる!」…という限界でやっと目が覚める。最悪である。朝より夜中のことが多く、そのまま泣き寝入ることになる。
 特に結婚してから、一人でいると回想に沈み込んでしまうことも多くなった。昔のことを掘りかえし、「どうしてあんなに否定されなければならなかったのだろう」「どうしてあんなに貶されて…」「どうしてあんなに傷付けられて…どうして…」と。それで気が付いたのだ。家族との関係が、自分のトラウマや歪みになっていたことに。
 最近漸く、あの夢は見なくなった。

 『母の発達』、笙野頼子を読みました。
 

〔 ――あーおかあさんというものは、物質化するしかなくっ、キノコか猫の糞の固めたのか、雀に着物を着せたようなものか、あわれで、ごちごちして、わけのわからんものなりー。 〕 19頁 

 ほんの少し読んでみて、やっぱり痛い…と思ったのは束の間だった。…うははははは!胸がすく! お母さんが縮む縮む。ち、ちぢむと可愛いー。うははのは。お母さんを縮めてしまうところまで追い詰められていた主人公の状況を考えたら、笑ってばかりもいられないけれど、「あ痛たた…」と顔を顰めながらも笑ってしまうわー。
 笙野さんの作品は凄過ぎてひりひりして、私のしんねりモードなんて吹き飛ばされて宇宙の藻屑です! いったい何なんだろう…この逆説的な癒し。 
 この作品、お母さんのことを刻んでいるようで実は己をも刻んでいて、それが大きな遠回りをしながら自分自身のことを癒していく…みたいな、そういう感じ。生まれ変わる為の痛み、とか。

 完璧な親に育てられた人には、その人にしかわからない悩みがあるのかも知れない。どんなにそれが理不尽に思えたとしても、自分の心は自分で癒していくしかないのかも知れない。
 佐藤亜紀さんがこの作品について、“鎮魂(たましずめ)でしたね、まるっきり。お母さんをお母さんの枠組みから解放することによって、娘も娘の枠組みから解放される。”とおっしゃっていて、この作品を読み終えて、なるほどこういうことか…と得心した。

 とりわけなストーリー展開と言うのはほとんどなく、主人公ヤツノとその母親(であった存在)との関係性の変化…というか、まさに母親(であった存在)がいかに解体され変容していくか…という話に終始している。が、これが滅法面白い。かつて主人公の母親であった新生お母さんが、縮んだり分裂したりしながら、どんどん超絶になっていく!
 章題は、「母の縮小」「母の発達」「母の大回転音頭」となっている。何と言っても「母の発達」における、「あ」から「ん」へ、お母さんを順繰りに分裂させていく為にヤツノが物語を紡いでいく件は、圧巻であった。

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