先日の記事で触れたダフネ・デュ=モーリア『レイチェル』、最後に読んでからもう3年以上経つので、いま再読したらどんな印象かと思って本棚から出してみました。
昨今のミステリやホラー小説と異なって、ことさらに切迫感を煽るような仕掛けはひとつもない、むしろゆったりと悠揚迫らざるリズムで書かれているのにページを繰る手を休ませない、常に次が気になる空気を湛え続けたまま終幕まで引っ張る筆致は何度読んでも飽きません。
何より作者が、“宿命の女”レイチェルを、ステレオタイプな記号でなく、生身の女性の長所も短所も兼ね備え活き活きとした、しかしたっぷりと不気味なキャラに描いているのが素晴らしい。
初読ではわからなかったことで今回強く感じたのは、この従兄弟には父子以上、というより男性同士の恋愛感情に近い絆がありますね。もちろんそのことが物語の純度を下げる疵にはまったくならず、むしろテンション補強に貢献しているわけですが。
とにかく揃っていい年になるまで女とまったく無縁で来たこの従兄弟、2人の男の危なっかしさや滑稽さ、世間標準とのズレ方のさりげない描出も見事です。
特に、兄のほうは物語序盤死んでしまうので、もっぱら回想や会話引用で生前の人となりが叙述されるのですが、そういう話法上のハンデすら、少しも伝えるニュアンスの豊かさを減衰させません。
それにしても、年譜によればこの作品の発表は1951年、これも前の記事で触れたリチャード・バートン、オリヴィア・デ=ハビランド主演の映画『謎の佳人レイチェル』が52年作品ですから、出版後、ほとんど間髪を入れず映画化されたことになりますね。現代のようなメディアミックス・タイアップの時代ではないだけに、当時のデュ=モーリアの人気作家ぶり、この作品の世評高さがうかがい知れます。
もとより好きな作家さんなので、ついでのようで失礼だけど、←左柱←に載せてみました。月河がヘタに内容ウンヌンするよりも、この04年版改訳を担当された務台夏子さんの“訳者あとがき”が、過不足なく作品の魅力を要約しています。
何度も読み返したい作品ではあるけれど、その時間がないときは、このあとがきだけでも読み返したいもの。“こんなに魅力的な物語が、時間さえあればまた読める”と確認するだけで少し心に余裕ができる。それくらい的確でイメージ喚起力に富む要約です。
さて、3年ぶりに読み返してみる契機になった『金色の翼』のほうは、まったく別ものとして、明日からまた録画視聴するとしましょう。