毎朝のラジオの天気予報、出がけに着て行くもの、高齢家族に着せるものを決めるのに重要な材料なんですが、「今日の予想最高気温は昨日より3℃から5℃低く…」はいいとして、「…5月下旬並みの肌寒さです。」ってタグイの表現、やめてくんないかな。親切なようで、役に立たないことおびただしい。
5月下旬に何着てどの程度の体感温度だったか、思い出せないではないか。
地元歴20年の月河でもこのザマなのに、当地は転勤族の多い町。去年の5月下旬頃は当地に住んでなかった人にしてみれば、ちんぷんかんぷんでしょうよ。
ましていわんや、6月初めぐらいに「今日は陽射しに恵まれ、風も弱いため、日中は7月中旬頃の陽気となるでしょう。」なんて言われたって、まる一年近く前の、去年の7月中旬に半袖1枚だったか、フレンチ袖だったかチューブトップだったか、カットソーだったかブラウスだったか、薄手の上着重ねてたか、首もとのスカーフでよかったか…なんか忘却の彼方だってば。
その去年7月中旬だって「今日は気温が上がらず6月上旬並みでしょう。」なんて予報されてた日はあったわけだしな。
何度も言うけど、昨年の当地を知らない、今年4月に転勤して来たような人はどうするんだ。
ラジオもTVも、天気予報って、定時に必ずある、廃止できない重要な放送コンテンツ、言わば“歴年のロングセラー商品”なんでしょうけど、意外に利用者の身になって作られてないと思う。“何月何旬並み”ってのは、データが何か月分・何年分と時系列で目の前に即並び、タテにもヨコにも如何様にでも比較できる、気象庁関係者の机上でだけ成立する話法でしょう。求む再考。
『金色の翼』第5話。昼帯ドラマ一週めの最終話は、翌週にまたがる重要なエピソードが必ず語られる、物語最初の重要なマイルストーンです。
昨日ホテルに闖入して来た修子のドラ息子ならぬドラ弟・玻留(はる)(倉貫匡弘さん)が理生に乱暴しようとしたところに槙が踏み込んでパンチ2発。鼻血を出した玻留に「傷害罪だ、謝れ、誠意を見せろ」と因縁をつけられ土下座の屈辱をなめた槙、ついに「あんな弟が博打で100万$すったのにくれてやる金があるなら、それぐらいの金を俺たちが手に入れて何が悪い、どこへでも飛んで行ける翼を手に入れるんだ、翼とは力だ、力は金だ」と、修子から金を巻き上げる決心を固めました。
翼=力=金。三段論法でドラマタイトルの“金色の翼”に、5話めにしてジャストミート。
前半では、玻留闖入により修子と奥寺の部屋を交換することになり、槙が奥寺に靴運べ、重ねるな、ついでに磨けとさんざんこき使われた挙句チップを渡される際に「汗臭い、新しいシャツを買え」と修子の面前で嘲られる→「こんな生活、動かなきゃ何も変わらない」と先般のセツからの提案(=フィリピンでのパイロット免許取得)応諾を申し出ると、実は借金苦のセツから「その話はなかったことに」。
この流れが、終盤に効いてくる。金の威力で押圧され屈辱→突破口を探る→塞がれる、という前段があったことで、“客から大金略取”という禁じ手に追い込まれる心理に説得力は出たと思います。
まぁ、詐欺とか、犯罪になるところまで考えるかどうかはわからないけど、ドラマの槙と理生のように、職業選択の自由も居住地選択の自由もなく、食う寝る所があてがわれてるだけのタダ働き、カネにあかして我侭放題イヤなやつばっかりの客に奴隷奉仕の毎日…って境遇にリアルにおかれたら、いい加減まともな判断力思考力や倫理観は失くなっても不思議はないですわな。
二十一世紀日本の身体健全な成人男女がそんな封建社会みたいな境遇ってのもどうかと思いますが、これくらいの非現実性は受け容れないと、ドラマを娯楽にはできません。
たとえば、親が裕福でなかったために私立に進学したかったのに公立しか行けなかったとか、東京で音楽やアートをやりたかったのに家業を継げと帰郷させられた、ぐらいの実例は身近によくあると思うので、それらを長ーく延長線引っ張った上の話だと思えば済むこと。
「オレはやる、金を手に入れて見せる、なんなら偽りの愛とでも引き換えに」と言い放って、理生が不安な表情を見せると、振り向きざま熱い抱擁へ。
『美しい罠』で、頻度としては少なめなわりにラブシーンが非常に好評だったせいか、今作は1話から高杉瑞穂さんが抱きまくっていますが、1話での客室押し倒し同様、槙の理生への行為からは恋心の熱烈さ切なさが、なぜか、どうしても感じられません。
飾って言えば、“燃えながら凍っている”感じ。我を失ってないんだな。
理生を宥めるため、安心させるためですらなく、どっちかというと、“自分に対してのパフォーマンス”に見える。
今日のそれも、一見、「大丈夫、愛を餌に彼女の歓心を買うだけで、本気で惚れたりなんかしないさ」「オレが惚れてるのはオマエだけだよ」と理生にうけ合うためのキスハグに見えるけど、理生は槙の背中しか見ていない。画面手前のカメラがとらえた槙の表情は怖ろしく醒めていて、振り向いた後の行為も「愛なんてこんな按配さ、ホラこうやって抱いてまさぐって、こうやって吸って、ホラホラ、な?」と肉欲ついでに自分にシミュレーション“展示”してるみたい。
この槙という男、恋愛体温は相当に低そうです。不自由な境遇にありつつも「もし叶うならこんな人生を」と幸福の設計図を描いてみることは彼なりにあったのでしょうが、その幸福を構成する中に“女(理生であれ誰であれ)に惚れて相思相愛”というパーツは、現時点では無いと思う。
この男が、修子相手に、偽りの愛からどう本気になっていくのか見ものです。
何だかんだで、女性には“使用人萌え”みたいな願望ってありますからね。男性におけるメイド喫茶のように、可愛くグラマラスな娘(こ)に「御主人様」と呼ばれ媚びられかしずかれたい願望とは似て非なる。
名字で呼びつけにして汚れ仕事にアゴでこき使っていた圧倒的目下(めした)の(若い)男が、深い仲になることでだんだん図に乗ってきて、逆にこちらを下の名前で呼びつけにしたりする。行為も最初は目下(めした)感まる出しで遠慮がちにおずおずしていたのが徐々に大胆に攻撃的になってくる。
…しかし、ほどのよいところで再び女性側から名字呼びにし「ワタシを誰だと思っているの、思いあがりもほどほどにしないとクビよ」とはねつけると、一気に立場が元に戻り「申し訳ありませんでした」と敬語に戻る。
女性の性が“組み敷かれ攻め立てられる”ものであることと“社会的地位において男性の絶対的上位にある(=雇用主として生殺与奪)”こととのアンビヴァレンツがもたらす昂奮は、メイド喫茶リピーターの男性にはちょっと理解していただけないかも。
『金翼』の構図にはそんな方面へのくすぐりも予感させるふしがあります。『美罠』でも奥様‐使用人構図はあったけど、あちらは表向きだけで、最初から男の槐がリードしての“対等のパートナー”でしたからね。
いつ槙が修子を呼びつけもしくは“オマエ呼び”にし始めるのかも見ものですね。
ところで、ドラ弟玻留が修子に、槙も皮肉っていたラスベガスでの負け100万$立て替えを承知させたとき発したポルトガル語「Muito Obrigado」を検索してみたところ、思った通り英語の「Thank you very much」に当たるらしい。しかも、検索ヒットした上位のソースによると、ブラジルの日系人の間ではこの“おぶりがぁど”が日本語の“ありがとう”の発音上の語源であるという説が伝えられているそうです。もちろん俗説ですが、種子島以来の日葡関係の歴史の長さを感じさせて興味深いですね。
そんな豆知識まで拾えてしまう『金翼』、あぁ、土・日は放送がないのだなぁ。