山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

蔦のからまる昭和初期耐震校舎

2007-07-16 23:46:41 | 建物
 台風4号が去った直後に柏崎を中心とする大地震が襲った。山形でもかなりグラリと感じた(山形気象台の発表では震度3だが、隣りの市町ではいずれも震度4。)
 むろん中越地方の被害は甚大だが、もし台風と地震が一緒だったら更に深刻な被害となっていたであろう。ともかく被災者にはお見舞い申上げたい。
 さて、昨年は耐震偽装事件がマンション住民らを震撼させたが、日本の耐震建築の創始者にして地震工学、耐震構造の基礎を築いたのが我が山形県出身の佐野利器(としかた)である。彼は明治13年に現在の白鷹町荒砥に生まれ、東京大学工学部で学んだ。
 後に建築工学の日本の権威となり(日本建築学会会長もつとめた)、関東大震災の後に東京を始め全国の耐震建築の推進に尽力した。とりわけ東京の震災復興小学校の建設に力を入れた。
 まもなく山形でも耐火耐震建築が盛んとなり、その草分け的存在が山形市立第一小学校の旧校舎であり、昭和2年に竣工している。
 設計者は秦鷲雄という山形ゆかりの建築家だが、佐野とは親戚関係にあり、当然佐野から豊富な助言指導を受けたと考えられる。平成13年に登録文化財に登録。

※ 写真「上」山形一小旧校舎 「右下」広尾小学校(東京渋谷の震災復興小学校 やはり山形一小と感じが似ている) 「左下」佐野利器

※ 山形一小の内部写真 1月30日の記事(←クリック)
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