山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

自動車産業には震度7弱?

2007-07-21 23:51:25 | Weblog
 今朝読んでいた本(写真「左」)の中に中越沖地震に関連ある記述を偶然見つけた。
 著者の吉田司氏は山形市出身で私の知人でもある。1988年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
 むろんこの本の出版は中越沖地震発生以前の2005年。それにしても柏崎の自動車部品メーカー「リケン」に係わる記述を発見したことは、柏崎での大地震の発生を予言していたかのようにすら思え驚きを禁じえなかった。(←記述を一部書き換え 7/22朝)
 以下に記述を抜粋して紹介したい。

「・・・・田中角栄の初期の事業は多くが理研がらみで進んでいる。彼の故郷・新潟に多くの工場を持つ理研コンツェルン総裁の大河内正敏にどーゆーワケかよく可愛がられたのである。・・・・角栄が戦後「列島改造」をコンピューター付きブルドーザーで強引に推し進めたのは、この大河内理論の実践化みたいなものだったのだ。・・・・角栄の「列島改造」が清い水・青い空、緑の森林を滅ぼす環境破壊だということは「耳タコ」の反省噺だが、それは、もっと深く、山の神・森の神・水の神・海の神・空を飛ぶ妖精・精霊の類すべて、すなわち縄文系「八百万の神々」の風土からの追放や扼殺につながったということを誰も語らない。・・・・」

 つまり故田中角栄元首相は現在の柏崎市内の旧西山町出身であり、柏崎にある「理研」工場が地震被害により自動車のエンジン部品であるピストンリングの生産が生産停止になったため、トヨタを始め多くの国内自動車メーカーも生産停止の影響を受けている。
 「列島改造」のブームが終焉して久しい現在もなお、都市部の「魂」が感じられる歴史的建造物の多くは留まることのない車社会の進展のために解体され続けていることも附記しておきたい。理研(リケン)の工場と自動車産業が激震に見舞われるはるか以前から農山村も大自然も都市の歴史的街並みも激震に見舞われ続けてきたのである。
 ※ 写真「右」はYAHOOニュース内asahi.comより
コメント
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